Act3:キミ、冬眠でもしてたの?
あくとさん。
「こんにちは、[さや]。待ったかい?」
そんな、デートの待ち合わせの常套句のようなことを言いながら現れた友人の[クロエ]に、私は笑顔を向ける。
「いえ。私も今来たところですよ」
「ほんとに?」
「いえ。実は20分くらい待っていました」
でもこう答えるのが礼儀でしょう? といたずらっぽく告げると、[クロエ]は口元に手を当てて控えめにくすくすと笑う。
「ごめんね。待たせちゃって」
「気にしないでください。私が好きで待っていただけですから。それに……」
「それに?」
「あなたとの約束ならば、待っている時間も楽しいので」
茶目っ気を出してへたくそなウインクも添えてあげると、[クロエ]は小さく「わお」と呟いて、それからお返しとばかりに口を開く。
「今のは効いたよ。ボクが男なら間違いなく惚れていたね」
もちろん、お手本のような艶やかなウインクも添えて、だ。
恋に恋する同級生あたりが聞けば「リア充爆発しろ」とでも言ってくれそうな会話であるが、[クロエ]の台詞からもわかるように生憎と女性同士の非生産的なじゃれあいに過ぎない。
場所は『始まりの街』の通用門前広場。このゲームにおけるビギナーたちの待ち合わせ定番スポットだ。
人口密集地からは少し外れた、広場のすみっこに立っている私たちではあるが、それでも周囲のプレイヤーからの少なくない視線を感じる。私のこの、手塩にかけて着飾った自慢のアバターを見ていただけるのは望むところなのだが、残念ながら視線の向かう先は8割がた[クロエ]だ。
私がジト目を向けると、[クロエ]は涼しげに小首を傾げた。
「?」
「いえ。[クロエ]はあいかわらず殿方の視線を集めますね、と」
「そうかな?」
そう言って笑う[クロエ]は涼風のような少女だ。
アイスブルーの頭髪は肩に届かない位置で短く揃えられていてボーイッシュな印象を受ける。女性にしてはわりと長身で、頭が小さくて足が長い完全無欠のモデル体型だ。所作の一々があか抜けていて、いつも涼しげな微笑を浮かべていて、大きく表情を崩すようなことが滅多にない。
そこに立っているだけでも目を惹く少女、それが[クロエ]だ。
ただ、今視線を集めている理由は、もっぱら異なる。
[クロエ]のモデル体型を象徴するもう一つの特徴として、彼女は豊満なのだ。すごく豊満なのだ!
「じと~」
「なんでボクは睨まれているのかな?」
私(とその他大勢の男性プレイヤー)が視線を向けるのは[クロエ]の胸部で存在を主張する二つの凶悪な質量兵器である。彼女はとにかく胸が大きい。ちょっとどうかと思うレベルの巨乳だ。私にとってはまったく未知の重量感を持ちながら、若さゆえかまったく弛んだところのない、夢とロマンが詰まったパーフェクトな乳である。
しかも、近接クラスの『ランサー』である[クロエ]は軽装の装備を好む。トップスもボトムスも、ボディラインがもろに出るタイプのぴっちりとした服装を好んで着用する。豊満な[クロエ]は決して肥満ではなく、むしろ全体的なシルエットはスレンダーですらある。だから余計に出るところはしっかり出ていて、なんというかむっちりしている。
てゆーかそのくびれとかどうなってるんですか。バケモノなの?
思うに、基本的に肉付きが良くて、しかも運動していて筋肉も適度にあるからこそ形成された、ある種奇跡のようなボディラインなのだ。
「そんな没個性の汎用コスチュームで周囲の視線を独占されてしまっては、着飾っている私が馬鹿みたいではありませんか」
「あはは。視線にも善し悪しがあるよ。どうせ皆おっぱい見てるだけでしょ」
ねぇ? と[クロエ]が流し目を周囲にくれると、ちらちら視線を送っていた男性プレイヤーたちが一斉に顔ごと視線をそらした。
ノリのいい連中だ。
「ヤロウどもは乳が好きだからね。しょーがないと思わないとやってらんないよ」
「あなたが視線を集めるのは、絶対それだけの理由ではないと思いますが」
私自身もそうなのだが、なんというか、[クロエ]という少女はとにかく見ていたくなるのだ。何故なら、立っているだけでもかっこいいから。見方を変えればそれは『隙がない』という表現になるのだろうが、彼女のすごいところはそれがまったくの自然体だというところだ。
自然体で隙がない、というのは私の兄や姉にも通ずるところがあるが、そういう人たちは得てしてかっこいいのだ。
しかも[クロエ]の場合はそれでいて女性的な魅力も十分すぎるほどに備えているのだ。
これはもう、私でなくてもキラキラとした憧憬の視線を向けてしまうこと請け合いと言うものだろう。
「ドロドロした視線を向けないでくれるかな?」
「これは失礼」
ちょっとばかしジェラシーが漏れ出てしまったようだ。
なにせ、私のこの貧相な身体である。コーデにはかなりこだわっているほうだと自負しているが、素の戦闘力はお察しだ。同年代の女子の平均値と比べても明らかに発育不良だろう。この先なにが起こったとしても絶対に[クロエ]の域には達しないであろうという悲しい確信がある。
ぺたぺた、と自分の身体のどことも言えない部分に手を当てている私の姿を見遣って、[クロエ]は穏やかに笑いながら言う。
「心配しなくても大丈夫さ。キミはまだまだ成長期なんだから、これから大きくなるよ」
オープンチャットでなくプライベートチャットで言ってくれたのは、周囲に聞こえないように気を遣ってくれているのだろう。
厳密には周囲には聞こえるけど、ログには残らないし内容も認識できないという機密設定の一つだ。
周囲のプレイヤーからすれば、会話しているのはわかるし声も聞こえるけれど、なに言ってるかはわからない、という感じになる。
「というか、お姉さんスタイルいいじゃない。[さや]も同じ血が流れてるんだから、将来はああなるんじゃないの?」
「生憎ですが、姉さまは昔からああでしたよ。私のようにちんちくりんの時代はなかったと記憶しています」
おそらく、バランスを取りに来たのだ。
兄は見上げるような長身で、鍛えているのもあって同年代の平均よりもかなりガタイが良い。
姉は平均身長くらいで細身の体躯だが、出るとこはしっかり出ている。ある意味で理想体型と言えるかもしれない。
そして私。低身長で発育不良。ほらバランスが取れた。
自分で言ってて虚しすぎる。
勝手に落ち込む私に、[クロエ]は「あらら」とでも言いたげな苦笑を見せた。
「ボクはむしろ[さや]みたいな体型に憧れちゃうんだけどな」
「何故?」
「可愛い服が似合うから」
「あなたとて、可愛らしい服装が似合わないわけではないでしょうに」
なにせ、体型はともかくとして顔は間違いなく美少女なのだから。
言ってて腹が立ってきた。なんですかこの究極のクリーチャーは。巨乳でボクっ娘で長身で美少女とか、属性盛りすぎでしょう。一個よこせ。
「いやぁ。そうでもないんだよ? そもそも着れない服も多くってさ。ムネガジャマデー」
「死ねばいいのに」
「出てる出てる。素が」
「おっと」
危ない危ない。
ここでは清楚で一途な大和撫子キャラで行くと決めているのだ。危うく軸がぶれるところだった。
わざとらしく自省する私の様子を見て、[クロエ]は面白そうに頬を緩めた。
「それこそ、このゲームの中でならどんな服でも着れるじゃないですか。ゴスロリとかできますよ?」
衣服は体型に合わせて勝手に補正されるのだから。
だからインナーを選ぶ際にブラのカップ数なんて気にする必要はないし、胸が邪魔でボタンが止まらないなんてことも起こりえない。まあ、[クロエ]レベルの巨乳になると、体型補正の結果衣服のデザインが破綻する可能性もなくはないけど、そんなのごく少数の例外だろう。
そう思って言ったのだけど、[クロエ]はうーんと悩まし気だ。
「それはそうなんだけど、人前ではあんまりそういうカッコする気にはなれないなぁ……」
「それはまた、何故?」
「これ以上、視線集めたくないじゃん?」
やれやれ、とでも言うように[クロエ]は肩を竦める。
「ボクって、美人でスタイルが良くて華があるから、わざと地味な格好するくらいじゃないと目立ち過ぎちゃうんだよね。いやぁタイヘンダナァ」
「もげろ」
おもに胸が。
なにがイラつくかって、概ね全て事実なところだ。
こちとらこんなに着飾っても[クロエ]の付属品くらいにしか視線を向けられないというのに。
私の暴言にも、[クロエ]はむしろ楽しそうに笑みを深めるだけだ。
「[さや]は飽きないなぁ」
「そうですか?」
「うん。だってボクの前とお兄さんの前では560度くらい性格変わるもんね」
「一周以上してるじゃないですか」
「一周回って違う生き物になってるくらいの勢いだね」
それはもはや私以外のなにかだ。
「私、兄さまの前では立派な妹であろうと心がけておりますゆえ」
「フッ」
「鼻で笑いましたか今?」
「滅相もない」
どうでもいいことを会話しつつ、時刻を確認する。
私たち(というか主に[クロエ]の胸)が周囲の視線に晒されながらもこの場に留まり続けているのは、早い話が待ち合わせの相手がまだ現れていないからだ。今日は私と[クロエ]ともう一人の三人パーティで活動することになっている。
集合時間は厳密には決めていないので遅刻と言うわけではない。
学校が終わったら一回家に帰ってからもう一度集合、てきなノリだ。まあ三人の誰一人として同じ学校には通っていないのだが。
「ところで、そのお兄さんもログインはしてるみたいだけど、あの人どこにいるのコレ?」
手元の空間に投影したウィンドウを眺めつつの[クロエ]の問いに、私も同じくしてフレンドリストを確認する。
このゲームの仕様はフレンド登録している相手ならばログイン状況と現在位置をリストから確認できる。私は当然として、[クロエ]も兄のアバターである[エッジ]をフレンド登録しているので、兄が今どこに居るのかがフレンドリストに表示されているわけだ。
[エッジ]の表示はオンラインになっていて、現在位置は『緑堕の森殿』となっている。
「ダンジョンで素材収集していますよ」
「ボク行ったことない場所だ。最前線かな?」
「そのちょっと手前くらいです。適正レベルが32だったはずなので、私たちが行ったら秒で死にますね」
ちなみに『最前線』とは適正レベルが40レベル以上のダンジョン群を総称する言葉で、そのなかでも現時点で最も難度の高いダンジョンの適正レベルが45だ。プレイヤーのレベルの上限は現状50なのだが、このゲームのレベル上げはかなり根気がいるので、サービス開始から居る古参プレイヤーでもカンストしている人は殆ど居ないようだ。
私たちのレベルは[クロエ]が17レベル、私は昨日ようやく10レベルになったところだ。
30レベルのエネミーの攻撃なんて食らったら一撃でHPが溶ける自信がある。
「[さや]ってボクより先にこのゲームやってたよね?」
「ええ。といいますか私があなたを誘ったのですし」
もっと言うならば、そもそも兄がこのゲームを始めたのも私が「一緒にあそびたい!」とおねだりしたからだったりする。私と兄は同時にアバターを作成したので、総プレイ時間もおおよそ同じくらいだと思う。
「え? お兄さん今なんレベルだっけ?」
「38ですね」
「キミは?」
「10ですね」
ドヤァ……。
「キミ、冬眠でもしてたの?」
「いえ? もの凄く精力的に活動していましたよ?」
あらためて言うまでもなく、戦闘そっちのけでアバターのコーデに傾倒していただけの話ですが。
最近、ようやく満足できるくらいにキャラクター性が固まってきたので、遅ればせながらレベリングなどを開始した次第である。
[クロエ]と一緒に遊んでいる時間もそれなりに長いので、もちろん彼女も私がレベル上げをサボっていた理由などわかったうえで揶揄しているだけなのだろうけど。
と、そこで私は見知った顔が雑踏をかき分けて近付いてきているのに気付く。
「待ち人が来たようです」
「あ。ほんとだ」
そういえば、と。
「あの人の存在も一因ではありますね」
◇◇◇
「遅くなってごめんね。待ったかい?」
「そのくだり、先程やったのでもう結構です」
「あっはい」
開口一番[さや]にダメ出しを食らってしょんぼりしているのは、[†TAKUAN†]というネームの男性プレイヤーだ。
背に届くほどの金髪を一括りにした面長の美男子と言えよう。
ラフに着こなした白いドレスシャツと、その上から最低限の軽甲冑を纏った出で立ち。甲冑のデザインは古き良き西洋風で、見た目の印象は『休日の騎士』かあるいは『ファンタジー世界の青年実業家』と言ったところか。上背の高さは[エッジ]さんにも並ぶくらいだが、彼に比べればだいぶ細身のシルエットだ。
見た目の年齢も[エッジ]さんと同じくらいの彼は、その実[エッジ]さんのリアルでの友人だということだ。
なお、パッと見いわゆる『厨二ネーム』なのかなと思いがちだが、よく見るとただの漬物である。
「こんにちは。[†TAKUAN†]さん」
ボクが挨拶すると、[†TAKUAN†]さんはしょんぼり顔を一転、にへっと締まりのない笑みを浮かべて「こんちわ」と返してきた。
変わりやすい表情は不思議と愛嬌があって、どうにも憎めない人物だと言うのがボクの人物評だ。
そんな[†TAKUAN†]さんの側頭部からは二本の鋭い角が生えていて、瞳の虹彩にも独特の文様がある。
アバターの種族として選択できる『ディアボロス』の特徴だ。
このゲームではアバター制作時に四つの種族を選択できる。
『ディアボロス』『ワービースト』『ハイエルフ』そして『ヒューマン』だ。
種族の違いはレベルアップ時のアバターのパラメータの成長傾向に影響する。『ワービースト』は肉弾戦に強くなりやすいが魔法関係の伸び率は悪い。『ハイエルフ』はその逆だ。『ディアボロス』は攻撃特化でどちらにも優れるが耐久性は低い。そして『ヒューマン』は特別な強みがないが、弱点もない。といった具合だ。
ボクと[さや]たち兄妹は皆ヒューマンだ。
「なんか楽しそうだったけど、なんの話してたの?」
「実はですね――」
[†TAKUAN†]さんの問いかけに、[さや]が答えようとするのを遮って、ボクは自身の胸元を指さして見せた。
ぷにっ、と。
「もっぱらこれの話ですね」
「ちょ、[クロエ]!? 殿方の前でなんということを――」
「嘘は言ってないヨ」
「そうですけどっ! ああ認めちゃった! ってそうじゃなくて!!」
「ほう……?」
「[†TAKUAN†]殿も『興味深い……。』みたいな空気出さないで下さいっ!」
あわあわと慌てる[さや]の可愛い姿にほっこり癒される。
[†TAKUAN†]さんとゲーム内で会うのはもちろん初めてではなくて、今までも何度も一緒に遊んでいる間柄だ。その人柄もよくわかっていて、彼はかなりノリの良い人だ。どんな話題でもとりあえずのってくる。
それに、[エッジ]さんとベクトルは違うが、同じように年上らしい余裕と包容力があって、こちらが多少の『おちゃめ』をしても笑って許してくれる。
「[クロエ]嬢は相変わらず、大変ご立派なものをお持ちで。いつもお世話になっております」
「それはかなりギリギリの発言ですね……」
「深い意味はないでござる」
ちなみにこのゲーム、セクハラにはめちゃくちゃ厳しい。
他プレイヤーに対するセクハラ行為で通報された場合、悪質と判断されれば一発でアカウント停止からの永久追放まであり得るくらいだ。運営のAIがログを監視しているので言い逃れは不可能だ。同時に、冤罪も起こりえない。
たぶん、今の発言をボクが通報すれば[†TAKUAN†]さんは一週間くらいこのゲームから消えると思う。
お世話になってるの……? と呟いてきょとんとしている[さや]がいろんな意味で可愛い。
「[さや]嬢は……将来性があるでござるよ。まだ悲観するには早いでござる。早まってはイケない!」
「貧相でわるうございましたっ! なんですかその口調?」
「オタクのロールプレイでござる。ドゥフフ」
「もしかしなくても私馬鹿にされてますよね? そろそろ怒っても良いですか?」
「怒ってどうするつもりでござるか~?」
ぷるぷると震えだした[さや]に対して、[†TAKUAN†]さんは余裕綽々だ。
どうでもいいが、見た目貴公子風の彼が伝統的なキモオタ(敬称)の口調で喋るのは違和感が凄まじい。
ボク? ボクは[さや]の可愛さに癒されていますがなにか?
「怒った私は…………兄さまに言いつけます! お兄ちゃぁーん!漬物がいじめるぅー!!」
「ちょ、おま! 俺が悪かったからそれだけは勘弁してください!」
「どんだけ[エッジ]さんが怖いんですか……」
リアフレでしょーにあんたたち。
いや、リアルで友達だからこそリアルにボコボコにされる危険があるのかもしれない。なにせ、あの筋骨隆々(推定)の[エッジ]さんと優男(推定)の[†TAKUAN†]さんが喧嘩などしたら結果は火を見るより明らかだ。
「そもそも[†TAKUAN†]殿! あなた[クロエ]の胸を見過ぎですっ!」
「おや嫉妬でござるk「は?」すんませんなんでもないです」
懲りずにクラシックオタクスタイルを貫こうとした[†TAKUAN†]さんであったが、[さや]の殺意すら籠った眼光に速攻で白旗を挙げた。
まあ、確かに視線を感じることはあるけど、不躾な奴らに比べたら全然マシだし。そもそもボクも一応は年頃の女だから、好印象を持っている男性にそういう目で見られるのは別に嫌いじゃなかったりもする。
「そこに視線が行ってしまうのは、男の本能みたいなものなので、ある程度は見ないふりをしていただけると大変ありがたいのですが……」
いきなり嘘みたいに低姿勢になった[†TAKUAN†]さんの言葉に、遠巻きにしていた周囲の男性プレイヤーたちが重々しく頷く。
「嘘ですっ! 兄さまは[クロエ]と居てもそんな風には見ませんっ!」
「いやそれは[さや]のフィルター掛かりすぎだって。ぶっちゃけ[エッジ]さんだって普通に見てくるよ」
まさかのボクの言葉だったのか、[さや]の表情が驚愕に彩られる。
無論、嘘は言っていない。ただ、敢えて言わなかったことがあるとすれば、ボクがわざと見せつけている節があるってことかな。ああいう硬派な男の人を慌てさせるのって結構クセになるんだよね。
「な、なんと……兄さまに限って、そんなことがあるはずが……」
「いや、アイツだって健全な男子なわけだし、そりゃ見るだろ」
「むしろ、見なかったほうがちょっと心配ですよね。ボクが言うのもなんですけど」
ボクがそう言うと[†TAKUAN†]さんは「だよなー」と言って笑う。
「むしろ俺よりもアイツのほうが見てるまである!」
「「いやそれはない」」
◇◇◇
「そういえば、結局なんの話をしてたんだ? 俺が来るまで」
あれから街を出てしばらく。俺たちは『碧望の街道』を並んで歩く道中にあった。
今日の目的はこの先にあるダンジョンでのレベリングだ。主に[さや]ちゃんのレベル上げを俺と[クロエ]さんで手伝う形になる。
目的のダンジョンの適正レベルは12なので[さや]ちゃんには若干厳しい戦いになるだろうが、俺のレベルは15だし、[クロエ]さんは17レベルあるから、どう転んでも全滅するような事態にはなり得ないだろう。
「だからこれの――」
「それはもういいから」
またもや自前の凶器を指し示そうとした[クロエ]さんの機先を制す。
余裕ある年上の男を演出するのも楽ではないのだから、少しは自重してほしいものである。
この[クロエ]さんと言う人物は基本的に理知的で、一歩引いて全体を俯瞰するような立ち位置を好む女性のようだ。さりげなく場の空気をコントロールするムードメーカーのような役割を苦も無くやってのける大した人なのだが、時たまこうしてセクシャルな話題で男をからかおうとする困った悪癖もちでもある。
あのシスコンで堅物の[エッジ]ですら手を焼くレベルだと言えば、その厄介さが伺えよう。
俺は彼女を[さや]ちゃんのリアルの友達だと言って紹介された口なのだが、リアルで会ったことはなく、いまだにちょっと距離感を図りかねている。[さや]ちゃんの友達と考えれば普通は同級生――つまりは中学生となるわけだが、いくらなんでもあの体型で中学生はあり得ない。となるとたぶん高校生くらいではないかと睨んでいるのだが、ぶっちゃけそれもだいぶ怪しい。
普通に俺より頭良さそうなのも理由の一つだし、あんな女子高生がクラスにいたら健全な男子諸君は勉強どころではなくなってしまう。
「というわけで、実は[クロエ]さんは海外からの留学生JD説を推そうと思うのだが、[さや]ちゃんどう思う?」
「夢を見るのは自由かと」
遠回しに全否定されてしまった。
道中に出てくるランドピークこと『へんなとり』は倒したところでもはや何の経験値にもならないレベルなので、先を歩く[クロエ]さんが見つけ次第即殺している。何故ヤツ等は絶対に勝てる見込みのない相手に、あんなにも意気揚々と突撃してくるのだろうか。
パーティのクラス編成は[さや]ちゃんが初期近接職の『ウォリアー』、[クロエ]さんは同じく初期近接職の『ランサー』、俺は派生魔法職の『ウォーメイジ』だ。女性陣のクラス構成は言うまでもなく、俺のウォーメイジも近接型の魔法クラスなので、要するに脳筋パーティである。
「先程は、私と兄さまのレベルが離れ過ぎている、と言う話をしていたのですよ」
「あー……まったく同時にやり始めたのに、って?」
「然様です」
その件に関しては思いっきり心当たりがあるので、思わず微妙な表情になってしまう。
一応言い訳しておけば、そもそもこの兄妹が両極端すぎるのだ。[さや]ちゃんほど戦闘そっちのけで他の要素に熱中するプレイヤーも珍しければ、[エッジ]ほど戦闘一辺倒でのめり込むプレイヤーもまた珍しい。そしてその両極端な二人の利害が見事に一致した結果、一方はひたすらオシャレを追求し、他方はひたすらエネミーを叩き潰し続ける日々が始まり。
ついでにどこかの誰か(俺)がそれを助長したことによって、奇跡のレベル差が発生したわけだ。
ちなみに、プレイ時間比で考えると[エッジ]のレベルアップ速度は明らかに異常であって、レベル差の原因を追究するならば戦犯はアイツのほうだ。[さや]ちゃんのレベルアップの遅さは確かに普通じゃないが、[エッジ]のレベルアップの速さはもっと普通じゃない。
「そういえば[†TAKUAN†]さんはいつ頃からこのゲームを?」
「俺も[さや]ちゃんたちと殆ど一緒だよ」
もともと興味があったところに、[エッジ]のやつがこのゲームをやり始めたなんて話を聞いたものだから、じゃあ俺もと始めてみたわけだ。
「そのわりにはレベル低いですよね」
「そりゃあ、俺は『クラフト』ばっかりやってるからね」
クラフトとは文字通り、収集した素材をもとに武器や防具、衣服などを作り出すシステムのことだ。
このゲームでは装備品は基本的に作るものだ。エネミーを倒したりダンジョンを攻略したりして素材を集め、対応した装備を作成する。強力なエネミーやレアなエネミーからは強力な素材やレアな素材が得られ、それを使えば強力な装備を作れる、といった具合に。
誰でもなんでも作れるわけじゃなくて、アサルトスキルの解放なんかと同様に一定の条件を満たすことで次のレシピが解放され、作れるものが増えていくシステムだ。クラフトには街にある専用の設備『工房』が必要で、一度行うと若干のクールタイムが発生する。強力なレシピを解放するためにはかなりの数をこなさないといけないので、俺のようなクラフターと呼ばれる人種は基本的には自分の工房に引きこもって、素材集めは『外注』することになる。
クールタイムの間だけ近場のフィールドに出て、どこでも取れるような基礎素材(石とか枝とか、そういうのだ)は自分で集める――というようなプレイスタイルなので、戦闘もそれなりにはこなせるのだけど、基本的には自分よりだいぶ格下のエネミーとしか戦わないのでレベルアップのペースは非常にゆっくりだ。
「気を悪くしたらすみませんけど……楽しいんですか、それ」
「これが楽しいと思う連中が一定数居るから、このゲームは成り立ってんだと思うよ?」
もちろん俺もその連中の一人だ。
わかる人にはわかると思うが、一種のコレクター魂みたいなものなのだ。
実績を解放してレシピを集めていく過程が楽しいのだ。
作業ゲーまじ楽しい。脳汁出る。
しかも、強力なレシピを解放できれば一時的にとはいえ『俺にしか作れない装備』というのもあり得るわけで、これはかなりの優越感があったりする。
「一応俺って、クラフト界隈ではそれなりに有名人なんだぞ」
「そうなんです?」
「そうですよ。[†TAKUAN†]さんって攻略wikiのクラフトのページに名前が載ってますからね」
[さや]ちゃんの補足に[クロエ]さんは「そうなの!?」と驚きをあらわにする。
常に涼しげな彼女の表情をついに崩してやった。今日は記念日にしよう。
「現時点で俺しか解放していないレシピっていうのがいくつかあるからね」
「その装備を作りたければ、現時点ではあなたに依頼するしかない、ってことですか」
「そゆこと」
例えば、と俺が指さしてみせるのは隣を歩く[さや]ちゃんだ。
「[さや]ちゃんの着てるコレ、『幽冥尚武姫具足』っていうんだけど、これはたぶん俺しか作れないし、[さや]ちゃん以外には作っていない」
「わお、てことはもしかして」
「今のところ、このゲーム内に一着しか存在しない」
[クロエ]さんがまじまじと見詰める先で、[さや]ちゃんがむふんと胸を張って見せる。気に入ってくれているようで俺としても嬉しい限りだ。
俺しか作れない理由はひとえに、レシピの解放難度がべらぼうに高いからだ。強力なエネミーしか落とさない素材を通算で何百個と求められるので、普通のプレイヤーはまず手を出そうと思わない。無論、時間が経てばいつかは他にも解放するプレイヤーが現れるだろうが。
もっとも、俺としてはレシピ解放のためにひたすらクラフトをしまくっていただけなので、時間と手間は尋常ではなくかかったものの、それほど苦労したという印象ではない。
では誰が苦労したのかというと、もちろん『兄さま』に決まっている。
「あの頃の[エッジ]はひたすらダンジョンでエネミー乱獲してたよなぁ」
「なんか、[エッジ]さんのレベルが高い理由が一瞬でわかった気がするよ……」
『姫具足』を作るためのそれは集大成的な思い出であるが、それに至るまでも結局は同じようなことを三人で延々とやっていたのだ。あれが着たいこれが着たいと主張する[さや]ちゃんの要望に[エッジ]が逐一大真面目に応じ、俺にレシピ解放の依頼をして、必要素材を集めに行く。
幸か不幸か[エッジ]は生粋の妹馬鹿であると同時に戦闘馬鹿でもあるので、膨大な素材を要求されてもげんなりするどころか嬉々として、ニヤニヤしながらダンジョンに通う日々であった。
そう、つまり驚くべきことに誰も損しないハッピースパイラルが形成されていたのだ。
[さや]ちゃんは可愛い服が着れてハッピー。[エッジ]は強敵と戦闘できて、しかも妹が笑ってくれるのでハッピー。俺はクラフトのレシピがキモいくらいに埋まっていってハッピー!
「そんなこんなで、俺にしか作れない装備って実は殆ど衣服関係なんだよね」
当然、武器や防具のレシピも人並み以上には解放しているが、武器専門のクラフターなんかには流石に一歩譲るのが実情だ。衣服の素材を集めるにしても、そのために強力なエネミーを倒す必要があるならば相応の装備が必要なわけで、それを作って[エッジ]に渡すのも俺の仕事だ。
「[さや]ちゃんの注文はかなりハイレベルだったからなぁ。俺も[エッジ]も毎回梅干しみたいな顔になってレシピとにらめっこしてたよ」
「その節は、大変ご迷惑をおかけしました……」
「いいよ。気にしないで。俺もアイツも基本オタッキーだからさ。誰に頼まれなくてもやるんだよね、結局。でも[さや]ちゃんが居れば結果にやりがいが生まれるからさ、むしろきみに感謝してるくらいだ」
「愛されてるねぇ、[さや]?」
からかうような[クロエ]さんの言葉に、[さや]ちゃんは恥ずかしそうに俯いて、はにかみがちに「うん」とだけ呟いた。
俺と[エッジ]たちの付き合いは長い。それこそ子供のころからこの兄妹の姿を見てきた。だからこそ、昔のこの子の姿を知っているだけに、今この子が楽しそうに笑っていることが我がことのように嬉しいのだ。
俺でこれなのだから、実の兄である[エッジ]がどう思っているのかなど察するに余りある。
まあ、その[エッジ]の『もう一人の妹』がこれを聞けば、『揃いも揃って妹を甘やかしすぎです!!』と眦を吊り上げるのだろうが。
「てことは、今日お兄さんが『森殿』?とやらに居るのも、[さや]の服を作るためなのかな?」
「いいえ。私はあそこのエネミー産の装備には一切興味はございません!」
[クロエ]さんの言葉に[さや]ちゃんはいきなり真顔になって、きっぱりと言い切った。
あまりにも強い調子で言い切られて、流石の[クロエ]さんも瞳をぱちくりとしている。かわいい。
「『緑堕の森殿』ってのは虫系エネミーの巣窟なんだよねー」
「うわぁ。虫ですか……」
[クロエ]さんも女の子らしく虫に苦手意識があるのか、非常に嫌そうな顔だ。
「そ。んで虫系素材から作る装備って、基本的には生物的なディティールで黒光りしてるから……」
「罰ゲームでも身に着けたくないのですっ!」
「成程ね。それは確かにちょっと」
「いやデザイン自体は普通にかっこいいんだよ?」
禍々しくて、わりと厨二心をくすぐる感じの。
少なくとも、俺は全く忌避感などない。
あのデザインラインは黒尽くめの[エッジ]にはよく似合うと思うのだが、[さや]ちゃんからは即座にNGが出そうだ。
「てなわけで、俺が虫系装備を作るために[エッジ]に素材をお願いしたんだ」
「あ。結局おつかいなんですね」
そんなことを話していると、前方からはまたもや懲りずに近付いてくる『へんなとり』の姿が。
街からだいぶ離れたところまで来ているので、この辺のエネミーは少しだけレベルが高い。
というか、『始まりの街』の近辺だけがビギナー仕様で極端にエネミーレベルが低いだけなのだが。
近付いてくるエネミーのレベルは8だ。
「[さや]、やってみるかい?」
「お任せ下さいっ!」
例によって意気揚々と走ってくる『へんなとり』に対し、[さや]ちゃんが太刀を抜刀しながらこちらも意気揚々と向かっていく。
まあ手伝うまでもなくすぐ片付くだろう、と背中を見送る俺の傍らに[クロエ]さんがススス…と身を寄せた。このゲームでは環境的な匂いが再現されているのだが、流石に個々のアバターには匂いなどない。それを少し残念に思う。
この人、リアルだったら絶対いい匂いするだろうに。
「ちなみに[†TAKUAN†]さん?」
「なに?」
「[さや]がレベリングをサボってたホントの理由、わかります?」
んー、と考えるふりだけする。
そりゃあキミ……
「[エッジ]に手取り足取り教えてもらうために、レベル差がつくのを待ってたんだろ」
確信めいた俺の言葉に、[クロエ]さんは「やっぱそう思いますよね」と言いながらクスクスと、あどけない表情で笑った。
あくとさん、えんど。
本日のメニュー。
妹「ところで『†』←これなんて読むの?」
漬物「ダガーやで」
妹「なにを思ってたくあんにダガーぶっ刺したの……?」
2020/6/28 描写を追加