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なんだか不安が残った食事会の翌日。俺は言われた通りに自宅で待機していた。
街の中心部から転移ポータルをいくつも通った先。
華やかな繁華街とは違う狭く暗い道にある5階建ての安アパートの一部屋が俺の家。
体を洗うのも体から出すのも全て一箇所で済ませられる素晴らしいバスルームの付いたワンルームだ。
問題点はそのバスルームが常に豪雨状態でどうやっても止められないので、ただトイレに行くのにも服を全て脱がなきゃいけないということと、温度調節機能もないことくらい。
換気ができず常にジメジメしているせいで変な色のきのこが生えてくるのには慣れた。
それにこんな家でも、いやこんな家だから? 一日50ゴールドという安さなので引っ越す気にはならない。
家ではほとんど寝ること以外しないから眠ることさえ満足にできれば他はどうでもいい。
たまの休みは前日に先輩の誰かと約束をつけて外で飯を奢ってもらう。
趣味は無い。お金の問題で金のかかる趣味を持てないということも有るが、そもそもこの世界にはそそられる物があまり無い。
そんな何も無い部屋でいつ来るのかもわからない監督を待つというのはとても苦痛な時間だった。
「クロウ! いるかー?」
「あっはーい。今行きます」
昼も近づいてきた頃、ドアが壊れるかと思う程に大きなノックの音と監督の声。
室内に入って貰おうかと思ったが、俺の部屋は小型の魔物用なのでたぶん監督は入れない。
だから俺が外に出た。すると。
「うっわぁ……」
部屋の外に出ると狭い通路に真っ赤な肉壁が詰まっていた。
すれ違うことすらもできないぐらいにずっしりで通路の手すりが肉に食い込んでいる。
いつもなら暑苦しいなーと思う真っ赤で巨大な図体も今みたいに暇で死にそうな時に見ると笑える。
「なんだよ気持ち悪ぃ。人を見るなりニヤケやがって」
「いやなんでもなっす。っく……監督、とりあえず場所変えません? くくっ」
「ああ。そうだな、動きづらくて死にそうだ」
相当な圧迫感を感じているらしく監督もどことなく元気がない。
でも監督には申し訳ないが一言喋る度カップに入ったプリンの様に体がプルプルと震えるのはすごく面白い。
ここまでジャストフィットしててどうやってここまで入ってきたんだこの人。
「出れますか?」
プルプル震えるも監督の位置は動かない。流石にまずいかと思い俺は彼に声をかけた。
「大丈夫だ。お前は外に出る準備でもしてろ」
「いや……動いてないっすよ」
「黙って準備してろ! すぐに呼ぶぞ」
「はーい。了解っす」
このままただ見てても八つ当たりされそうなので、俺はおとなしく一度自室に戻った。
でも外出準備と言われても、さっきも言ったとおり俺の部屋には何も物がない。
それは趣味の物だけの話しではなく洋服とかもそうだ。
着替えなんて、この世界に来た時に着ていた服か仕事で使うボロボロの作業着くらいしか持っていない。
流石に下着くらいはいくつか有るが。
だが監督と外で話す為だけにわざわざ下着を変えるなんて気はない。
結局俺は部屋の玄関に座り外の音をこっそりと聞くことで時間を潰すことにした。
ドアがしっかりしまっても抑えきれない、監督が手すりと格闘する声。
やっぱりはまって動かないじゃん。
俺が、誰か他の魔物を呼びに行ったほうが良いんじゃないかと思い始めた頃。
『っち。邪魔くせえな。……とっぱらうかこれ』ドアの外でこんなことを言っているのが聞こえた。
その声はかなり苛立った様子で今にも怒鳴り始めそうだった。
俺は慌ててドアを開けて外に出た。
そこで見たのは手すりを掴み力を込めている監督の姿。
ヤバイ。手すり全体にヒビが入って来てる。
「ちょっ、ちょっと何する気っすか。俺ここに住んでるんすから変なことしないでくださいよ!」
「ああ? 黙ってろクロウ。壊したもんは後で俺がどうにかしてやる」
「いや、もうちょっと頑張ってみましょうよ! きっと抜け出る方法が──」
ピシッピシ。ピシピシピシ──バギッ! 俺の説得も間に合わず、俺の部屋前の通路は豪快な音をたてて崩壊した。
砕けた外壁の手すりどころか、通路の床や部屋の壁にまでいくつも穴が出来ている。
「あっ壊れた! どうするんすか監督! 絶対俺が怒られるじゃないっすか!」
「うるせえっ!!! こんな迫っ苦しいとこに住んでんのが悪いんだろ!」
「だったらもっと給料くださいよ! これでギリギリなんっすよ!?」
「そういうのは一人前になってから言いやがれっ! ダンジョンもまともに攻略したことのねえひよっこが!」
「だからなんでダンジョンで命かけなきゃいけないんすか。頭おかしいですよ。……というか監督、それのことで今日来たんでしょ?」
「ああん? ……ああそうだ。この建てもんがイラつかせるからすっかり忘れるとこだった。クロウ、付いてこい」
壊れた外壁からドスドスと外に出て行く監督。
完全にこの惨状を無視して自分の目的地に行く気だ。
「何処へです? まあどこでも良いんですが。でも先にここの管理人にこれ謝って行ってくださいよ!」
「そんなの後でいいだろ。急いでんだよ。それともまた運んでやるか?」
追いすがる俺に振り向きもせず、監督は近くの転移ポータルへと歩いて行った。
遠ざかろうとしている監督と残されたガレキの山。
どっちに対処すべきか悩んだが、結局俺も見ないふりで監督を追いかけた。
ちょうどよく騒音で他の住人達も集まっていたし多分バレないだろうと心の中でお祈りをしながら。