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「ずっと一緒にいような」は、あの頃の俺の口癖だった。愚かな俺の。


  振り返った先には轍が続いている。踏みしめて転んだ傷跡は、一生消えない程強く刻まれている。












「ゆうちゃん、帰んの?」


 俺はゆうちゃんの頭をポンと後ろから叩いてそう言った。昼下がりの大学、陽はさんさんとあたりを照りつけている。


「ん、帰るよ」


 いきなりのことだったのに、何一つ驚いた様子もなく、ゆうちゃんは俺を振り返る。


「じゃあ、俺も帰ろうかな」


 四限は?という問いを、面倒くせーし、と付け加えた一言で潰して、俺はゆうちゃんに笑いかける。


「飯でも食おうぜ」

「......そうしたいのは山々だけど、お金が」

「奢るって、どーせマックかサイゼっしょ」


 千円以下なら気にしない。それはいつからか、俺たちの暗黙の了解となった。それでも少し不服そうなゆうちゃんを、いいからいいからとなだめて、俺たちは連れ立って歩き出す。


 中肉中背で良くも悪くも目立たない顔立ちの俺と、地味で真面目な優等生っぽいゆうちゃんは、並んで歩くといかにも均整のとれたカップルだ。

 それで正解だった。一年前までは。


「あー、高木さんと付き合いてー」


 俺は心からの声で、そうぼやく。可愛い高木さん。すらっとした体躯、整った顔立ち。目下、俺は高木さんに執心している。


「頑張んなよ」


 ゆうちゃんはそう言って、拳を握るジェスチャーをした。小柄な彼女がそういうことをすると、まるで小学生みたいに見える。


「で、横山くんからは連絡来たの?」

「ううん、来てない」


 ポーカーフェイスで装っているが、微妙に気にしているのが、声のトーンでわかる。


「ほんと連絡無精だねぇ、君の彼氏は」

「まー、もう慣れたけどねぇ」


 俺なら無理だなぁ、とぼやくように言うと、でしょうねぇ、とゆうちゃんは笑った。彼女は俺の「そういうところ」をきっと世界で一番知っている。一分以内の返信、毎日の電話、日々のことの詳細な報告。束縛、束ねる縛る。熟語というものは、その字によって良く良く意味を表すものだ。


「ラインしなよ、寂しいぞーって」

「私は、そこまですんの癪に触るの! コミュニケーションは相互の努力の賜物でしょ」


 私は、と強調して言うのは、俺がそういった「甘えた」なラインを何のハードルもなく送りまくっていたことを知っているからだろう。


「そりゃそーだな」

「でしょう?」


 少し先を歩いていたゆうちゃんが、後ろ歩きになりながら俺に向き直って、びしっと指差す。

 そんなゆうちゃんは、俺の目に酷く愛らしく映った。







 一年前のその日は、俺にとって、世界の終わりだった。ゆうちゃんは、その頃の俺にとって、自分の全てだった。


 泣き喚いて、屋上から地面を見つめて、コンクリートに頭を打ち付けて。

 そんなアレコレを経て、俺が胸に刻んだこと。


 もう、人を縛りつけられるなんて思ってはいけない。縛りたくなるほど、夢中になってしまう人と付き合ってはいけない。


 どうにか自分をゆうちゃんへの思慕から引き剥がして、必死に生活して、遊んだ結果が、高木さんであり、この距離感だった。






「私、絶対浮気できると思うんだよね」


 サイゼでドリアを混ぜながら、ゆうちゃんはそんなことを言った。


「なんだ、それ。横山くん泣くぞ」

「いや、しないけどさ」

「じゃ、なんでそんなこと」


 熱々のハンバーグとの格闘を一旦休止して、俺は顔を上げる。


「だって、連絡もデートも全然頻度無いし。バレ無いでしょ」

「そういう問題?」

「私、多分二人の人のこと、同じ熱量で好きになれると思うし」


 ひえー、と大げさなリアクションをとって、俺は挽き肉の塊を口に運ぶ。


「悪女だねぇ」

「そうだよぉ、騙されちゃダメだよ」


 悪女、という言葉と、ゆうちゃんのあどけない風体との乖離に思わず笑うと、何笑ってんのと子供みたいな顔で彼女はこちらを見つめてくる。






 ああ、君のその幼げな顔が、文字通り死ぬほど好きだったよ。もう前のことだけれど。






「んー、どうしよう。ケーキ食べちゃおうかなぁ、二百九十九円......」

「気にすんなって」

「いや待ってちゃんと払うからね」


 まるで人生の大ごとを決めるみたいな顔で、ケーキを食べるか否かを考え出す。

 俺はスマホを取り出して、そんなゆうちゃんを撮った。


「ちょ、今撮ったでしょ」


 俺はヘラヘラと笑う。だって可愛いから、と言うと、悪い男だ、と冷めた声が返ってきた。












「家まで送るよ」

「......ありがと」


 日の暮れた閑静な街。都会のど真ん中だというのに、この辺りはいつも、人通りが少ない。一年前も、今日も。


「明日、うまくいくかなぁ」

「大丈夫だって」


 明日は高木さんと二人で映画に行くのだ。告白するつもりでいる。


「祈っといて、成功するように」

「もちろん、祈っとくよ」


 昼間の太陽で、少しまだ温もった風が俺たちをすり抜けていく。気の早い蝉が、一際大きく鳴いていた。













「やっぱ、俺みたいな冴えない男じゃ、ダメだな」


 俺とゆうちゃんのほかに誰もいない教室。もう授業は全て終わったのだから、当然だ。


「そんなことないよ。偶然高木さんはダメだっただけだって」


 玉砕した俺は、ぐったりと机に突っ伏して、その破片を撒き散らしている。


「俺を一回振った人にそんなこと言われても、信用ならねー」

「でも一回付き合った人でもあるよ」

「......一理ある」


 でしょー、とゆうちゃんは笑う。俺も気が抜けてしまって、少し顔を上げて笑う。


「まー、こんくらいでメゲないけどね俺は」

「よし、それでこそだ」

「おう、また遊ぼうねとは言われたし、また誘ってみんべ」


 椅子から立ち上がって俺は大きく伸びをした。となりで座っていたゆうちゃんも、すくっと立ち上がる。彼女は小さい。昨日一緒に歩いていた、高木さんよりもずっと。


 俺はゆうちゃんの低い肩に額を乗せた。


「今から最低なこと、言っていい?」

「いいけど」


 俺は小さなゆうちゃんの体を、緩く、抱きしめた。一年前、何度も何度も抱きしめた細い体。


「俺と浮気しない?」


 強張るだろうと思った体は、ただびくりと震えただけで、俺にその重みを預けてきた。


「悪い男だ」

「そうだよ」

「悪女と悪い男だね」


 いいよ、と小さな声で、ゆうちゃんは言った。俺はぐっと抱き寄せて、それから離して、彼女を見た。


「ありがとう。でも、約束して。横山くんが一番、俺は二番。絶対にそうして。俺は二番目の男にして。そうじゃないと俺」


 また君を苦しめるから。また君を縛ろうとして、自分自身も苦しめるから。


 そう続くはずだった言葉は、ゆうちゃんの唇によって飲み込まされた。でも、彼女に全てが伝わった事が、その深くならないキスで解った。


「うん。好きだよ、二番目に」

「俺も、二番目に」













 流れた血がまだ乾いていない轍が、俺の少し後ろで陽に照らされている。

 温もった風が吹き付けている。血と太陽の熱が、まだそこにあった。

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