【CONTINUE】 ある村の朝の光景
少年が豚鼻に追われている頃、近くの村では平和な朝が訪れていた。
少年Aが豚鼻と対峙しているころ。
東の村では村人たちが朝飯前の仕事に出て行くところだった。
女達は朝飯の支度をはじめている。
茅葺屋根の家が立ち並ぶなか、村の外れに一軒だけ変わった家がある。
大きな木と隣接するように立つ家は半分が木の中にあった。
幹の内部は円柱状に空洞になっており、思いがけず広い。空間でいうと4つにわかれている。上からのぞくとだいたい、ドーナツを斜め十字に切った形だ。ドーナツグラフの要素1個が1部屋だと考えると想像しやすいだろう。
そして、それ以外の部分は木の内部とは続き部屋になっている。
木の近くから順に、玄関、食堂兼居間、台所だ。
その台所で忙しく動き回っている少年がいる。名前はキト。自室で朝の祈りを捧げたあと、食事の仕度をはじめた。年のころは十二、三。顔にはまだあどけなさが残る。
この家に女性は住んでいない。もう一人の同居人は家事などする人ではないから、自然、料理は少年が覚えることとなった。
スープの味をみていたら裏口から顔を出した男がいる。
近所に住む猟師のコッカーだ。先日十六になり、成人の儀を終えたばかりだ。とはいえ、成長期の真っ只中にある体躯は年齢に見合った筋肉を備えている。つややかな黒髪は不揃いに切られていて前髪が目にかかる長さに伸びていた。寡黙な男は落ち着いていると言えば聞こえはいいが、パッと見は…暗い。
戸口の影にびくっと心臓が跳ねたが見知った顔に安堵と呆れの混じった溜め息が洩れる。
「…コッカー、おはよう。来てたんなら挨拶ぐらいしろよ」
顔を出したというより、いつの間にか戸口に立ってジトーっとこちらをうかがっていたコッカーにキトが砕けた口調で注意する。
「おはよう」
にこりともせず挨拶を返し入ってくる。
「これ」
差し出された駕籠の中には野菜と果物、それから新鮮な肉が詰めこまれていた。
「いつも悪いな」
ニ、三日おきにこうして食べ物を持ってきてくれるのはありがたい。
「いや、…ミツシ様は?」
「まだ寝てると思うよ。ミツシ様に用か?」
「森の中でこんなものを拾った。視てもらおうと思って」
差し出されたモノははじめてみる形をしていた。
全身まっ黒で、突き出した腕は二本、にょっきりと胴体の一部とくっついている。足は短く力なく垂れ、腕の上から二本の角が生えている。
「珍しい形だな。生きてるのか?」
「……」
腕を持って差し出されたそれをキトが物珍しそうに覗き込む。
コッカーが妙な顔になったことには気付いていない。
台所からは一番遠い、木の内部でも西の端にある部屋へ向かったキトは控え目にノックして扉を開け、おや、と目を見張った。珍しく部屋の主が起きている。
「おはようございます。今日はお早いですね」
いつもならまだ寝ているのが普通だ。部屋の窓を開け放つと朝のさわやかな風が駆け抜ける。
村の人間が働き出して一息つこうかという時間にしか起きない彼にしてはかなり早いといえる。
青年は中央の敷き物の上に安坐して瞑想していた。青みを帯びた銀髪は体を中心に放射線状に床を這っている。異様な光景でも見慣れてしまえばどうということはないらしい。キトは構わず寝床を直している。
青年の名はミツシ。
キトの同居人であり、師でもある。
ゆっくり顔を起こすと顔に簾のようにかかる髪の毛を手で後ろへと梳きながら目を開く。瞳の色は髪同様青みを帯びた灰色。光がないのは先天的なものだ。そのせいか彼の五感はそれを補って余りある。そればかりではない。第六感と呼ばれる感覚が非常に優れており、さらに変わった術を使う。
立ち上がった青年の髪は、立っていてなお踝に届くほどの長さがあった。
キトがすぐさま椅子を用意し踏まないように髪を束ねたところでミツシが腰をおろす。
「お客様?」
姿勢よく座っているミツシの後ろではキトが櫛と紐を使い手早く髪を纏め上げていく。キトの身長は椅子に座ったミツシより頭ひとつ上になるくらいだ。これだけ長いともはや格闘である。
「はい。コッカーが珍しい生きものを拾ってきたので視て欲しいそうです」
どうにか腰の辺りまでの長さに纏め上げ、額に浮いた汗を拭いながらキトがこたえる。ミツシは大変だから放っておいていいというがそうもいかない。
纏めておかないと、どこかしこに引っ掛けては抜け落ちた髪が長いだけに渦を巻いているし、一度は台所で忙しく働くキトの様子を伺いに来て燃えたこともあるのだ。
異様な匂いに振り返ると心配そうな顔で『そんな変なにおいがするものを食べてお腹壊さない?』というミツシの髪がめらめらと燃えていた。
この人が台所に入るのは危険だ。
大慌てで水の入った桶をつかんで消火したが髪の毛とはいえ人が燃える姿など初めてみるキトはそれこそ心臓が止まる思いだった。
それ以降キトがきつく言ってミツシが台所に入ることはなくなったが、そのときのことを思い出すと未だにゾッとする。
「…生きもの…」
首を捻るミツシをキトが不思議顔で見つめる。
「どうかしましたか」
「ううん、とにかく視てみようか」
果物の皮を乾燥させたものを沸かしたお湯の中に一つまみ投げ入れキトがお茶の準備を終える頃、ミツシが着替えを済ませてテーブルについた。
「おはよう、コッカー」
「おはようございます。ミツシ様」
まるで見えているかのようにコッカーの方を向き話し掛けるミツシ。いつものことなのでコッカーも驚きはしない。丁寧に挨拶を返すとキトが茶器を持ってくる。
コポコポと注がれる器から甘い香りが漂う。
「これは、果物のお茶?」
「はい。先日頂いたものの皮を干しておいたんです。お茶にしたら美味しいかと思って」
「キトは研究熱心だねぇ」
台所に立つことのないミツシにとっては思いつきもしないことだ。感心したように器を引き寄せると香りを堪能する。
「いい香り」
わずかにそれを口に含むと満足したように器を置く。そして、コッカーに言った。
「私に視てもらいたいものってなに?」
傍らに置いた先ほどの黒い物体をミツシの前に置く。
「これは…」
「新種の生きものですか?」
驚いたように息を飲んだミツシに興味深げにキトが訊ねた。
その言葉にミツシが溜め息を吐く。
「キト。これは生きものではないよ。入れ物、だね」
「入れ物!?」
驚くキトを尻目にコッカーが隣でいかにもと頷いている。わかっているなら先に教えろよと睨むがコッカーはそ知らぬ顔で茶をすすっている。
「そう、変わった素材で出来てるけど、まちがいなく袋だよ」
いって、銀色の小さな突起を左右に引っ張る。ジーッと音を立て開かれたその口からなにやら赤と白の布のようなものと金属で出来た手のひらより少し大きめのもの。そして、手に収まるくらいの白く輝くものを取り出してみせた。さらに長方形のなにやら包みにくるまれたものと、透明な袋に入った茶色い物体が三つほど出てきた。
すべて台の上に並べ終えると首をかしげた。
「詳しく調べたほうが、いいかな」
白く輝くものを残し、あとのものを元通りに袋に詰め込み立ち上がる。
「コッカー。これは預かるね」
ミツシが調べるといった以上心配しなくても元の持ち主に戻すことができるだろうと考えている顔だった。袋の持ち主に多少の興味は湧いたがそれだけだ。
コッカーは頷くと立ち上がり、来たとき同様裏口から出て行く。
「キト。おいで」
白く輝くものを持ち誘う。
キトの顔が緊張で少し強張っていた。
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