【CONTINUE】 異世界 二日目
長く愉快な一日が終わり、一夜が明けた。帰る方法を見つけなければいけない状況にあるにも拘わらず、今日もマイペースなマコトの一日が始まる。
いつもの時間に目が覚めたマコトは、隣で寝ていたキトの姿が見えないことに気付き部屋を出た。人の気配がする台所へいってみると寝着から着替えを済ませたキトが朝食の用意をしていた。
振り返ったキトが挨拶するのに同じように返して手元を覗き込む。
土製の鍋の中では、三人で食べるには多すぎるのではないかと思われる量のポタージュのようなものが腹を刺激する芳しい湯気をたてグツグツと煮立っていた。コッペも焼き上がったばかりなのか焦げ目もおいしそうな仕上がり具合でしょうけの上にのせられていた。
足元には朝から収穫した野菜が朝露に濡れた状態で台の上に積まれている。
「朝飯?」
「ああ。そっちの棚に昨日の残りがあるから…とその前に」
用を言いつけようとして、相手がまだ起き抜けのままの姿であることに気づき、かまどの奥にある裏口を指して言い直す。
「先に泉で顔を洗ってこい」
指で示された裏口から出ると、すぐのところに小さな泉があった。
小さいといっても比較対照が西の泉なのでそれほど小さいと言うわけでもないのだろう。右奥は集落の方まで続いており、正面もマコトの家近くの川幅の倍はあるだろう。
見回すと泉の横には石で作られた臼があった。近づいてみると臼の上にはひしゃくが置かれ、臼のくぼみの中央には穴が空き、その横には木の栓が置かれている。
水を溜めて使用するのだろう。
ひしゃくで臼に水を汲み、そこで顔を洗えということだと解釈して木の栓をし、ひしゃくを手に取り泉の淵に屈み込んだ。
泉の透明度は高く、底の石まで透けて見えている。ぽこりぽこりとあがってくる空気の泡はそれが湧水であることを示していた。
底で揺らめきながら生えている水草や浮き草の陰には、銀色の小魚たちが群れをなし泳ぐ姿も見え隠れしていた。
顔を洗い、用意されていたミツシの服に袖を通して身支度を整えると、台所に戻り朝食の準備を手伝った。
卵を取り出したキトに何の卵かと尋ねれば、ケークックという飛ばない鳥の卵だという。見た目はうずらの卵で大きさは鶏の卵くらいだ。割ってみると、なんということもない普通の卵だった。
それをタンポポの葉のようなものを刻んだ野菜と混ぜて、中華鍋の底が平たくなったようなフライパンで炒めた。キトはかまどの火を器用に調節しながら料理を作っていく。
かまどを見て平次の父親の実家を思い出したものだ。
長い休みの時はよくお邪魔していた。
山奥の、それこそ竹取物語にでも出てきそうな竹林に囲まれた純和風の建築様式は、最近ではよく古民家などと呼ばれる平屋作りで天井は高く大黒柱が存在感たっぷりの重厚感を醸し出していた。
冬には囲炉裏に鍋が吊るされ、黒飴色に輝く梁はどこか安心感があった。
土間に設置されたかまどで動き回る平次の祖母や曽祖母はいつも明るく楽しそうだった。独特の訛りで話しながら作業している姿は見ているとそれだけで笑みが浮かんでくるくらい楽しかった。
そのかまどと形や使用方法は多少違うが、和やかで温かい雰囲気がそこにはあった。
ポタージュのようなスープを二つの鍋に移したキトが片方に蓋をしてマコトに手渡す。
「これをコッカーの家に持っていってくれ」
大量のスープはどうやらお裾分け用だったらしい。
「昨日キューイの肉を分けてもらったから、そのお礼だと伝えてリリカラッテに渡せばいい」
裏口から声を掛けるようにいい、自分は調理し終えた料理を居間の方へと運び込んでいる。
マコトは言われたとおりに裏口から出てコッカーの家を目指す。
コッカーの家はミツシの家からは目と鼻の先だ。間違えることはない。裏の方へ回るとそこにはリリカラッテの姿があった。
近づいてくるマコトに気付いたリリカラッテが、作業していた手を止め笑顔でマコトに話し掛けてくる。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか」
「はい、とても」
「それは良かったな」
ニヘラと笑み崩れたマコトの後ろから不意に声がかかり思わず鍋をとり落としそうになる。振り返るとコッカーが無愛想な顔でニコリともせず立っていた。
硬直しているマコトの横を小走りに駆け寄ってリリカラッテがお帰りなさいとコッカーに抱きつく。
この夫婦は夫が帰宅するたびに抱きつくのが習慣になっているのか。そんな美男美女の様子に、朝から眼福じゃ~とよく訳の解らない思考でもって感涙の涙を流すマコトに冷たいコッカーの声が突き刺さる。
「何か用か」
用がないならとっとと帰れと言いた気な声に我に返る。慌てて手に持っていた鍋を差し出した。
「これ。キトから。昨日のお礼だってさ。俺からも、昨日は危ないところありがとな。助かった」
深々と頭を下げたマコトの後頭部にポンと軽い衝撃があった。ポンポン、と立て続けに衝撃を受け、それが子供にする仕草の『よしよし』と同意だと気付いてなんとなく居たたまれなくなる。
確かにコッカーより少し背は低いが、どうもキトと同年代くらいの扱いを受けた気がしたからだ。
鍋を受け取ったコッカーはマコトの横をリリカラッテを連れ通り過ぎる。
頭を下げたままちらりとそちらを見やったマコトは、リリカラッテが嬉しそうに微笑んでいるのに無表情ながらも優しい眼差しで見つめ返すコッカーが仲良く裏口から入ったのを確認して膝をついた。
ダン、と両方の拳で地面を叩きうずくまったマコトは、羨ましさからかそれとも美人な奥さんを持つコッカーへの悔しさからか、肩を振るわせている。
しかし、マコトはそんなことで地面に懐いているわけではなかった。確かに羨ましくも悔しくもないといえば嘘になるが、それ以上にあの対となった美しい生き物に心を震わせていた。
「―――眼福じゃ~~~」
結局それかい!!
「エンリ様ですか?」
「うん。とりあえず昨日聞いた話ではマコトは炎を操ることが出来るってことだったでしょう。彼に視てもらったらどうかと思ってるんだ。それに、何か面白い話でもあったら聞いてきてほしいし」
マコトの帰りを待つ水使いの師弟コンビは、今後についての話し合いを行っていた。
ミツシは昨日、マコトとキトの二人が出会ってから帰宅するまでの全てを水鏡で視ていたわけではない。マコトとキトが無事に出会えた事を確認して術を解き、帰りが遅いことを心配してもう一度水鏡を覘いた時に二人がキューイの狩場に踏み込んでしまったことを知ったのだ。
よって、マコトが手から炎を出したことはマコトが床についた後で詳しく話を聞いた時にキトからもたらされた情報だった。
「そうですね。食事の後にでもマコトに話してみましょう」
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