【PAUSE】 一糸 -情報都市・ラジウム-
糸の端を握る青年。彼らが出会うのは偶然か必然か。それとも、運命であろうか?
目を閉じ横たわると、思考を記憶の深淵へと沈めていく。
彼の元へと吸い寄せられるように集まる情報は膨大だが、その全てが真実ではなく、虚と実の見極めは容易では無かった。
とじた口の中では一定のリズムで奥歯がカチ、カチと合わせられている。集中するにつれその音は速度を増していく、増していく音の速度と共に情報の飛び交う速度も増す。歯を鳴らすのは思考速度をあげるための予備動作といえた。
収集した情報の細分化と関連付け、不用と思われる情報は頭の隅にまとめおく。
砕けた欠片を拾い集め、その全容をつかもうとするその行為は恐ろしく神経の消耗を強いた。
集めた情報を整理し終えると、男は眉間に指を当て、思考速度を緩やかに落としていく。いつしか噛み鳴らしていた奥歯の動きも止んでいた。
肩の力を抜き吐いた息は、諦念と意欲の入り混じったものになった。
「しばらく、様子見やな」
これまでの経験から、重要な情報とはどんな些細なことであっても引っかかりがあるものだと実感していた。いくつもあるそれら全ての事柄を関連付けるわけにはいかないが、勘とも言うべきその感覚を彼は大事にしていた。
独特の訛りで独り言をもらした男、男というにはまだ幾分青臭い雰囲気を残す青年は現在、ある場所で起きている異常な現象についての考察をひとまず横に置いておくことにする。
依頼でも何でもないそれに避ける時間はそう多くない。
いくつもの依頼を抱える彼にとって、気持ちの切り替えというのは仕事を遂行する上で重要な技術なのだ。
外音を遮断した部屋から出て階段を上る。地上に近づくに連れ、徐々に馴染んだ喧騒が耳を叩く。
建物は街中の路地を入った裏通りにあった。
裏通りと言ってもそこに住むものたちにとっては一番馴染み深い通りだ。表が貴族や士族向けの高額な商品を扱っているのとは逆に、市民向けの安価な商品の多くはこの通りにある。
情報都市と呼ばれるラジタヌだが、中でも特に質の高い情報屋や呪い師が住むのもその裏通りが主だ。その一角に、静室と呼ばれる変わった商いをする店がある。
主に密談や商談に使われる店だ。
その性質上、防音には神経質なほどに気を使っている。
地下に作られた部屋は白土に覆われ、壁に窓は無く、戸口には音を吸収する特別な石が置かれ、内部の音は外へ、外部の音は中へと一切届くことはない。
その特異さからも窺えることだが料金についてもかなりの高額となっている。需要があるのか疑問に思うところではあるが、これがなかなかに繁盛しているというのだから人の心がいかに疑心に苛まれているか知れようというもの。
半年契約が基本となる。
静室はその特殊さゆえ、一般に個人で借りることはまずない。だが、青年は永年契約を交わしていた。永年契約とは契約更新を解除しない限りその契約が継続されるということだ。
「いいのは集まってるかい」
受付に座っていた壮年の男・ゼムは、階段を昇ってくる青年に気付き声を掛けた。
口髭を生やしたこの男が静室の経営者であり、この通りを仕切っている男でもある。
温和そうな四角い眼鏡の奥、瞳がそうとは気取られない程度に光を放っていることを青年は理解していた。
「まあな。そっちこそどないやねん」
青年の方も油断ならない表情で切り替えす。
互いに腹の探り合い。
この街では日常的に交わされる応酬。
情報屋にとっては一種の挨拶のようなものだ。
手に入れた情報を容易く手放したりはしないが、互いに有益な情報があれば交換することは珍しくも無かった。自分に不用な情報でも、交換する相手によっては有用な場合があるからだ。
但し、交換する情報の信頼度が高いかどうかは相手次第である。
依頼の窓口も兼任しているゼムだ、仕事を情報屋のレベルに応じて振り分ける彼の元へ入る情報が、とびきり信頼度が高いことは言うまでもないだろう。
時には有益な情報をもっている情報屋同士の仲介を行うこともあるくらいだ。
「リュシオンの村を知っているか?」
口髭をさすりながら世間話でも始めるような口調でゼムは切り出した。
青年は頭の中で地図を拡げた。
「第五階層やないなぁ。――上か?」
話は他愛の無いものだった。
聞く者によっては単なる噂話、もしくは与太話とみて聞き流す程度の内容だ。
しかしゼムの話を聞くにつけ、青年の表情は刻々と変化し始めていた。隠し様の無い喜色満面の瞳は、腹をすかせた獣がご馳走を見つけた時のように爛々と輝いていた。
「行くか?」
そんな青年の様子にゼムが確認してくる。
「あったりまえや。そないなご馳走ぶら下げられて、行かん阿呆はおらんやろ」
なんとも頼りがいのある男に育ったもんだ、とこれまでの青年の成長振りを間近で見て来たゼムは思った。この青年の良さは好奇心の旺盛さと行動の迅速さ、それに情報の収集能力と解析力だ。情報屋としての技量を成長と共に吸収し、過分なほど身につけている。
はじめて会ったときは受付台の下から頭の天辺だけ覗かせて『なんか仕事くれやオッサン』と子供らしい容赦ない口のききように呆れたものだが、それが今ではこの街でも一、二を争う情報屋に成長するのだから人とはわからないモノである。
「何がいい」
情報の対価に見合うだけのものを差し出そうとする青年に、ほんとに成長したなぁと感慨にひたりながらゼムは苦笑を浮かべた。
「じゃあ、あの地の情報があればどんな些細なことでもいい。届けてくれ」
お決まりの台詞を吐くゼムに青年も笑顔で返した。
「あんたも物好きやな。いつもそればっかりや。耳に入ったら必ず届けさせてもらうよって」
「ああ」
雑踏の中に足を踏み入れた青年は振り返りもせず片手だけ上げると、あっという間に流れに溶け込んでいった。
【NEXT STAGE】