【CONTINUE】 後悔先に立たず
いつもと変わらぬ日常から始まった朝。この日、マコトは異世界を訪れることになる。
「小枝ちゃん。早いな」
家を出て数歩と行かないうちに見知った姿が目に入る。
道路を挟んで流れる川には、危ないからとガードレールが設置されていた。それから身を乗り出すように川を見ている少女の後姿があった。
お隣さん。石坂家の小枝だ。
声を掛けるとマコトに気づいた小枝が必死の形相で駆けてくる。
長い髪の毛をいつもはポニーテールにしているのに今日はまだおろしていた。幼稚園のお迎えまでまだ時間があるからだろうが、それにしても早すぎる。
石坂家の車庫が閉じているところを見れば、父親もまだ出勤していないことは容易に想像がつく。
ここら一帯は住宅地で治安がいいとはいえ、園児が一人で朝から散歩というのはおかしい。
「マコにい! たいへんなの!」
その上、小枝はとても焦った様子でマコトにしがみつくと、腕をつかんで川の方へと引っ張っていく。
手を引かれ川のそばまで行くと、小さい手がガードレールの上から指差した先、川の中央付近にダンボールがなにかにひっかかりういていた。
ダンボールの箱から身を乗り出していた小さな影に目を凝らす。
「子猫?」
「『たすけて』ってこえがきこえたからみにきたら、あの子がながされてたの! 今はあそこに引っかかって止まってるけど、ほうっておいたらまたながされちゃう!」
不思議なもの言いをする小枝だが、もう慣れたものだ。
生まれたときから知っている。
言葉を話すようになってからは、「あそこにおじちゃんがいる」と何もない電信柱の横を指差して言ったりするものだから、小枝の母親は心配していたものだが、そういうところを除けばなんら同年代の少女と変わらない。
マコトは幽霊とかUFOの類を信じているわけではないが、頭っから否定もしていない。
電波や風といった、作り出されたものや自然のものの中にも目に見えないものはたくさんある。それを、全て否定していては電化製品なんて使えやしない。
幽霊も電波も理屈はわからない。なら同じだ。と妙な理屈でもって片づけていた。
猫の声が聞こえたと言うのだから小枝には聞こえたのだろう。例え、自分の耳にはミャアミャアと鳴いているようにしか聞こえなくても。
学生鞄を道路の端に転がす、バックパックは背負ったままだ。
よっしゃ、と気合を入れる。
「まかせとけぃ!」
親指を立てて鼻を弾くと。それを見て、小枝も動きを真似た。
「たのんだぜぃ!」
こんなところをマサミに見られたら、また変なこと教えて!と怒られかねないが、幸いアイツは夢の中〜。
ふふ〜ん、と上機嫌でガードレールを飛び越え、芝の急斜面を慎重にすべりおりる。少し行ったところに階段があるのでそちらから下りてもよかったのだが時間が惜しい。
近くで見ると川の流れは天気が続いたことで緩やかになっていたが、子猫の入ったダンボール箱は水を吸い、放っておいたら流されるどころか、ものの数分の内に沈んでしまいそうになっていた。
川の中央といっても広くはない、せいぜい川幅は二メーター弱といったところだ。
「気をつけてね〜」
小枝のエールに手を振って大丈夫と合図する。
手を伸ばせば箱の縁に指が掛かった。
子猫は野良で警戒心が強いのか、水の恐怖に怯えているのかはわからないが一層激しく高い声で鳴き出した。
上部も湿ってきている、底の方は浸水しててもおかしくない。子猫の重みで抜けないように慎重に引き寄せると子猫の首の後ろを掴んで持ち上げた。
無事生還、と思いきやマコトが思いっきり目を剥いた。もう一匹いる!
沈みかかった箱の底、ぶるぶる震えてうずくまっていた。
大慌てでつかみ出すと、救出されたことにも気づいていないのかマコトの腕に小さな爪でしっかりしがみついてくる。
相当痛いがそれどころじゃない、もう残ってないだろうな、と流されはじめたダンボールを追いかける。ついに沈み始めたダンボールが傾き、中を見通すことができて安心した。どうやら中にいたのはこの二匹だけだったらしい。
追うのをやめて手の内にいる二匹を見下ろす。
震えているのは恐怖心もあっただろうが、濡れたせいもあるだろう。初めに救出した三毛は後ろ足が濡れているだけだが、後から救出したキジは全身ぐっしょりだ。
三毛を芝の上に放すと足元で毛づくろいを始めた。
キジは手の上で震えている。
拭いた方がいいなと抱えたまま斜面を登ると小枝がホッとしたように笑顔を浮かべて迎えてくれた。
「マコにい、ありがとう」
「なんのなんの」
腕に抱えられた子猫を見て小枝が悲しそうに顔をゆがめた。
「さむいの?」
震えていた子猫が驚いたようにマコトの腕を蹴って飛び降りる。
「あぶないっ!」
車道に飛び出した子猫が恐怖に目を見開き、迫りくる黒い塊に毛を逆立てた。
『どうしよう』と考えるより先に体が動いていた。
最後に聞いたのは少女の叫び声。
『しまった』と思った刹那、……全身を襲った衝撃。
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