【CONTINUE】 さっきの敵は晩のメシ
昨日の敵は今日の友…とは限らないけれど。飯が美味しければヒトって幸せだと思う。
『気持ち悪い』
災難だったのはキトだ。
夕飯の支度をしてそろそろ起こすか、と見にきてみれば、マコトが毛布の中で不気味な笑い声をたてていた。太陽球はとうに沈み、明かりのない部屋から、それはそれは不気味な笑い声が布団の中からもれ聞こえてくるのだ。
部屋に入ることが躊躇われ、思わず、足が動くままに後じさり扉を閉めた。
さすがに閉まった扉から不気味な笑い声が聞こえることはなかったが、普段寝起きしている自分の部屋が異質なものに変わった気がして、ざわりとトリハダが立つ。
しかし、食事は準備万端整っているのだ、ミツシ様を待たせるわけにもいかない。
―――私は何も見てない、聞いてない、気のせいだ!
自己暗示にも等しい覚悟を決め、部屋に侵入する。
マコトの不気味な笑い声は尚も部屋に満ちていたが、キトはそれを無視してベッド横をすり抜け、サイドテーブルに置かれた灯器に火を灯した。明るくなった室内に安堵したのかキトの口からこぼれおちた言葉は、奇しくもマサミの台詞と同じだった。
途端、不気味な笑い声はぴたりと止まり、マコトの目がカッと見開かれた。腹筋だけで上半身を持ち上げると、キトの方へ勢いよく首だけを回す。まさにからくり人形か腹話術師の腕に乗っている人形のような動きで、口がパカっと開く。
「お兄ちゃんは気持ち悪くなんかないぞ!」
開口一番、何を言い出すのやら。
本日、何度目かの脱力感がキトを襲う。
―――だから、……誰が、いつ、お前の弟になったんだ?
なんともいえない怒りが込み上げ、握った拳がふるふる震える。
やはり寝ていても起きていても、マコトはマコト、相も変わらずマイペース。
とくに眠たそうな素振りを見せるでもなく、室内の灯りに浮かび上がるキトを見て「なんだ、アッチが夢か」とぼやいている。既に状況は把握しているようだが、空気を読めない人間が、確かにここにはいた。
気づけばマコトの言動に振り回されている感のあるキトは、怒りマークを額に張り付け、落ち着け、と自分に言い聞かせて口を開いた。
「目が覚めたのなら、ついてこい。食事にするぞ」
緊張を強いられ渇いた喉からは、掠れた声が出た。まだまだこんなもの、序の口であることをキトは知らない。
キトの部屋は木の内部にある。
ミツシが不思議な術を使った部屋とは、扉一枚挟んだだけで分けられていた。木の内部と居間を区切る扉は大抵は開け放してある。そうすることによって、少ない灯りを広範囲に利用することが出来るからだ。
居間からの灯りがそこからは正面にあたるミツシの部屋の扉の手前まで届いていた。
キトの後に続いて部屋を出たマコトの鼻に、コーンスープに似た甘い香りが届く。
居間へ来て、並んだ料理の種類の多さと立ち上がる湯気、そして香ばしい匂いに、マコトの腹の虫が騒ぎ始める。これから流れこんでくるであろう食べ物を前に、胃袋が盛大に動きを活発化させていく。
中央にメインであるキューイの丸焼き、それにリリカラッテが持ってきた野菜を豊富に使った数種類の惣菜が長丸い皿に盛られ丸焼きを囲むように置かれている。さらにキトの用意したスープが手のついた容器に注がれ、平たく白いナンのような物がしょうけのような駕籠に積まれていた。
口の端にたまった涎が今にも決死のダイブを決めそうである。
「座らないの」
促すミツシの声に操り人形のように椅子に掛けるが、中央にでんと置かれたキューイの丸焼きにマコトの目は釘付けだ。気の毒なくらいに腹の虫が早く食い物を寄越せと要求してくる。
先が三股に分かれたスプーンをキトから受け取ったマコトは、待ってましたとばかりに勢いよく手を合わせた。
「いただきます!」
キューイの丸焼きから視線も離さず、スープの容器を持ち上げるとごいごい飲み干す。見た目はクリームイエローで匂い同様コーンスープのようである。
丸焼きも気にはなるが、とりあえずはうるさい腹の虫を黙らせる方が先。スプーンの出番はしばらくなさそうだ。
「祈りを捧げる習慣はないのか」
がつがつと片っ端から料理へと手を伸ばすマコトを見て、キトが呆れたように呟くのにミツシが首をかしげた。
「さっきのがそうじゃないの」
「あれがですか?」
ミツシが「さっきの」と言うのが手を合わせて『いただきます』といったあれか?と疑問を口にするキトにミツシが頷く。
「『いただきます』って、つまりは作った人やその物に対する感謝の意味があるんじゃないのかな」
「そう、なんでしょうか?」
憶測だから、とミツシが顔を向けた先では一心不乱に食べ物を貪り食うマコトの姿があった。知りたいなら本人に直接聞くしかないんじゃないのとミツシは言いた気だが、とても話掛けられる状態ではない。
キトの嘆息を合図にミツシが微笑んだ。
「私たちも頂こう」
右の手で軽く拳を握り胸の前へと持っていくとキトもそれに倣った。特別な祈りの言葉があるわけではないが、二人とも目を閉じ数秒その姿勢をとる。なんともシンプルな祈りだが二人にとっては馴染んだ行為だった。
示し合わせたようにスープへと手を伸ばし、容器を持ち上げるではなくスプーンで掬って口に運んだ。
人心地ついたところでキトが器用にキューイの肉を切り分け、取り皿に葉物の野菜を敷き、その上に薄く切った肉を並べていく。
その頃には一通り食べ終えたマコトが、いまか、いまかとキューイの肉が配られるのを待っていた。
「ミツシ様、挟みますか?」
「あ、お願い」
すぐにでも配られるかと思っていた皿はそのままに、キトがミツシに問い掛けるとミツシはしょうけの上から一枚取ってキトに手渡す。それは味も食感もナンにとてもよく似ていた。
キトはそれを半分に切り分けると、半月型になったその間に更に切れ込みを入れ、葉っぱにつつまれたキューイの肉をその間に挟み、皿に重ねてミツシへ戻した。
ミツシはそのうちの一つを両手で掴むとかぶりついた。
マコトが見ていることに気づいたミツシが、もぐもぐ咀嚼しながらマコトに皿を差し出す。
「コッペに挟んで食べると食べやすいよ」
見た感じピタっぽい。
ナンではなくコッペというのがその白いパンの正しい名前らしい。マコトも受け取っておいてかぶりつく。
口の中に広がる仄かな酸味はドレッシングの類か?
肉はまさしく牛!
粒胡椒のような辛味は香辛料、絶妙な苦味は葉物の野菜から、独特な風味とともにやってきた。
「う、め〜。アルマジロ様様だな」
涙もちょちょ切れそうな美味さだ。
つい数時間前には追いまわされ、あまつさえ食い物にされそうになっていた相手だというのに、立場が逆転しただけで、こうも感想が変わるものか。
人間ってゲンキンな生き物だ。
頬張るマコトとミツシを横目に、キトはピタ製造マシンと化していた。
負けず嫌いな性分なのか、それとも単に誉められたのが嬉しいのかはわからないが、二人が食べ終わるより先にピタを完成させようと次々にコッペを切り分けていく。
「あっ」
二口目、かぶりつこうとしたマコトの動きが、短く発せられた声とともに固まる。
「やっべ、電源入れんの忘れてた」
あわてて腕時計に目を落とせば7時をまわろうとしている。
ズボンの上からポケットを探って、着替えたことを思い出した。探し物はバックパックにしまったままだ。音をたてて立ち上がるとキョロキョロと辺りを見回す。
目的のものはすぐに見つかった、戸口の横の壁掛けに吊るしてある。
食事の途中だということも忘れてバックパックの元へ向かうと、吊るされた状態のバックパックの横ポケットをさぐる。
「おおう、あったあった」
手に当たる固い感触、大きさを確認して取り出したのは、白く輝く携帯。
折畳式のそれを片手で開くとPowerのボタンを長押しして起動させる。
突然立ち上がり、バックパックを漁り始めたマコトの行動を眺めていたキトだったが、輝きだした携帯を驚きの表情で見つめていた。昼間は太陽球の光があった為画面が光っていることには気づかなかったのだろう。
その間にも、マコトの指は手馴れた動きで携帯を操作する。
頻繁に使う番号は短縮に登録してあった。「1」を押して発信ボタンを押すと、間もなくコール音が聞こえてきた。
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