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よくある話

作者: 穂崎りつ

「新商品でーす!どうぞご試食くださーい!」

目の前にずいっと出された手を無視することもできず、私は軽く会釈してそれを受け取った。

にこやかに笑う女性は「ありがとうございまーす」と甲高い声で言うと、また「新商品でーす」と別の人に手を差し出す。

ロボットような機械的な動きを横目に、私はその「新商品」をスカートのポケットに突っ込んだ。


昼下がりの街はうだるような暑さで、道行く人はみな汗を拭っていた。

春が来たと喜んでいたのがもう随分昔のことのようだ。あの柔らかな日差しは一体どうしてこうも姿を変えてしまったのか。

太陽よ、お前はそんな奴じゃなかったはずだ。優しさを思い出せ。

じりじりと照りつける太陽を睨みつけてみるが、とてもあの光には敵わなかった。

太陽を直視したせいか、そこら中に奇妙な光がチカチカと飛んでいる。

私は心の中で白旗を振りつつ、敬礼のようなポーズで光を遮りながら歩みを進めた。


それでも容赦無く日光は容赦なく降り注ぐ。

耐えきれずビルの陰を歩いてみるが、暑さだけはどうしようもなく、汗はどんどん溢れてくる。

脇や背中がじっとりと湿っているのを感じる。

黒い服を着てきてよかった、と襟元をパタパタさせながら私はさらに日陰の道を進んだ。


街中にある階段を降りると、ひんやりとした空気が流れてきた。

人の波をすり抜け、私は「南改札口」と書かれた看板を目指す。

ICカードをスマホケース越しにタッチし改札を通り、さらに階段を降りる。


地下というのはどうしてこんなに涼しいのだろう。


ゴオッと目の前を通過する電車の風を存分に堪能し、去って行く電車を名残惜しく見つめる。

乱れた髪をちょいちょいと整え、私は次に来た電車に乗った。


時間帯のせいもあってか各駅停車の車両は随分と空いている。

動き出した電車に少し体を揺らし、ぎしっと軋む座席に腰掛けた。


実家に帰るのは、何年振りだろうか。


黒く染まった窓に映る自分の顔を見ていると、ふと昔の記憶が蘇ってきた。







実家は町外れにあった。

電車に2時間ほど揺られると、花ヶ崎に着く。そこが生まれ育った場所だ。

何もないところだったが、学校から帰ると、温かな食事の香りをさせながら迎えてくれる家族のいる家が私は大好きだった。

中でも私はおばあちゃん子で、祖母にべったりだった。よく我儘を言って困らせたものだ。それでも祖母は、いつでも優しく私を抱きしめてくれた。


しかし、小学3年生の頃だろうか。


元気だった祖母が倒れた。

心筋梗塞だった。


安っぽいドラマみたいな、そんな、よくある話だろう。


その日も私はいつものように、我儘を言って祖母を困らせた。多分お菓子が食べたいとかそんなつまらないことだったと思う。

しかし生憎その日はお菓子がなかったのだろう。

眉を下げて「困ったねぇ」と笑う祖母に、私は悪態をつき家を後にした。




帰ってきた時には、祖母は病院で冷たくなっていた。




どうしてあの時あんなことを言ってしまったのだろう。

祖母の葬儀で私はずっと涙を流していた。

何度も何度も謝った、けれど祖母はもう抱きしめてはくれなかった。


葬儀が終わり、私は1人で祖母とよく行った河原に向かった。1人で河原に座り、傾いた太陽を見ながらさめざめと泣いたのを覚えている。


「ねぇ、お嬢ちゃん。泣いてるの?」


あの時、私にそう声をかけてきたのは誰だったか。

背後から聞こえた声に、ばっと振り向いた私に、その人は驚いたように目を見開いた気がする。少し間をおいて、その人は優しくこう続けた。


「お嬢ちゃん、いいものあげよっか」


「いいもの…?」


今思えば見ず知らずの人に答えるなんて、なんて不用心なのだろう。

しかしあの時の私はなぜか、警戒心というものをほんの少しも感じていなかった。


「そう、いいもの」


その人は小さく呟くように言った。そして私にすっと手を差し出した。


差し出された手には小さな袋に入った金平糖が乗っていた。


「でも…知らない人から何か貰っちゃ駄目だって、おばあちゃんが…」


「これね、実は魔法の金平糖なの」


「え?魔法の金平糖…?」


その人は真剣だった。


「これを食べるとね、不思議と元気になるの。お嬢ちゃん、何だかとっても悲しそうだから、特別にあげちゃう」


「本当に…?本当に魔法の金平糖?」


「ええ、もちろん。どこにも売ってないのよ」


もちろん今ならそんなわけはないとわかる。

でもあの時は、罪悪感と悲しみに暮れていた幼い私には、その金平糖がキラキラと輝いて見えた。

私は手を伸ばしかけて、また引っ込めた。


「で、でも、やっぱり知らない人に貰ったら怒られちゃう…」


私がおどおどと言うと、その人は眉を下げて困ったように笑った。


「ううん、困ったわねぇ…」


その顔がおばあちゃんのあの困った顔にそっくりで、私は驚き、同時に胸が締め付けられるような気がした。今はもうその人の顔も覚えていないのに、なぜかそう思ったことだけは鮮明に覚えている。

私は無意識に手を伸ばし、金平糖の入った袋を手に取っていた。


「あら?貰ってくれるの?」


「うん」


「そう、ありがとう」


嬉しそうに「ふふっ」と笑って去って行ったその人に、私はどこかで会ったような気がしてならなかったが、それは結局今でもわからない。

でもその人も私と同じ黒い服に身を包んでいたことは覚えている。もしかしたら祖母の知り合いで、葬儀にいたのかもしれない。


私は袋を開けて金平糖を一粒手に取ると、目を瞑り、ぽいっと口に入れた。

柔らかな甘さが口にじんわりと広がり、心なしか元気が湧いたような気がした。

不思議な不思議な魔法の金平糖。




「花ヶ崎、花ヶ崎です。お降りのお客様は~」




車内に流れたアナウンスに、はっと我に返る。

いつの間にか着いてしまったらしい。

私は急いで電車を降り、駅を後にした。


今日は大好きな祖母の13回忌だった。

黒い服に身を包み、田園風景を歩く。

するとあの懐かしい河原が見えてきた。

私はちらりと時計を見て、少し寄り道することにした。電車の中で思い出していたせいだろうか、あの頃とちっとも変わってないような気がした。


河原に下りると、ちょこんと小さな人影が見えた。

先客がいたか、と少し残念に思いながらその人影を見つめる。

小学生、だろうか?その肩は、少し震えているように見えた。

声をかけようとも思ったが、このご時世である。下手に関わっては警察に通報されかねない、と私は踵を返した。


その時、カサリとスカートから音がした。


足を止めてスカートのポケットを探る。


すると街でもらったあの「新商品」が出てきた。

小さな袋に入ったそれを見て、私は目を見開く。


「これって…」


袋には、説明書きがついていた。


【魔法の金平糖~あなたを元気にします~】


私はその見覚えのある金平糖と、初めて見る説明書きを見比べた。


もう一度河原に目をやる。


震える小さな背中が、まだそこにあった。


私は説明書きをくしゃりと丸めてポケットにしまい、金平糖をぎゅっと握りしめた。


すぅっと息を深く吸う。

風に乗ってふわりと、夏の匂いがする。


そう、これもきっと、よくある話なのだ。


私は笑みを浮かべ、小さな背中に近づいた。

何と声をかければいいのかはもう知っていた。



私の声が、記憶の中でひとつに重なる。



ーー「ねぇ、お嬢ちゃん。泣いてるの?」

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