ウゴロス
「じゃあ、行くぞ。」
そうアレクが言った時、状況を変化させる怒号が怪物から発せられた。
それは、悲鳴のように聞こえた。
それは、苦痛と痛みに歪んでいた。
それは、最後の断末魔に聞こえた。
しかし、あの怪物は生物ではない。セバスたちの話では、魔導実験の末の魔獣であると判断したのだから限りなく、生き物の枠から外れた存在だろう。
その体格から想像できない程質量がなく、豆腐のように切りやすいのに、瞬時に再生する。なにより、浄化術という全く攻撃力のない魔法を受けてダメージを食らうことが、この怪物が生物でない証明だろう。だからこそ誰もがその怪物が大きな盾開きの口を開き、内部に広がる、空間を燃せたときは驚きを隠せない。
あの怪物は、前回のように回復に専念するために行動を起こさなかったのではなかったのではなく、たったあれだけの攻撃で瀕死の状態にまで追い込まれてしまったようであった。
それは、初めてこの怪物に対峙したアレク以外にも分かるほどに明確に怪物は、最後の断末魔を叫ぶと、二本失ってしまった四肢から力を失い、胴体を地面に落とす。胴体からは無数の煙が噴き出しており、体中がブクブクと沸騰するように中から気泡を出している。
以前にも見た、この怪物の最後である。しかし、おかしい。以前であった怪物はこの程度ではまだ、最後の二本の足すら出さなかった。想定していた以上のホーリースフィアが強い術なのか? それともこの怪物が、元々ダメージを負っていたのか? いくつかの疑問が出てくるが、それは全て間違っていることも分かっている。
この怪物の再生能力は異常だ。切った腕すらすぐに再生できるはずなので、ダメージを負うという概念は、神聖魔法を食らった時くらいのものだろう。また、前回の遭遇の時にフィルビアたちに聞いた話では、遭遇した魔獣の中でトップクラスの攻撃力らしいので、前者の疑問もかなり怪しい。
「アレク殿人が悪いな。この怪物が自警団クラスの化け物などと。」
「うーん。聞いた話にゃもっと強いと思ったんだが、噂は噂ってことか?」
と、セイビムと一緒にこの魔獣に関してある程度の情報を持っていたミハヤが、アレクの傍に寄ってくる。
作戦の要を務める予定であったアレーナも緊張の糸が途切れたのか、その場に膝を崩して安堵のため息を漏らしている。
「多分だけど、こいつにも個体差があるんだと思う。オレが以前あった奴は、建物を一撃で倒壊させてたからこんなもんじゃなかった。」
と、アレクは奴がつけた地面の傷跡に目線を落とす。
確かに強力な一撃である。深さはおよそ1メートル強。人間の筋力では不可能なほどの威力ではあるのだが、建物を倒壊させるほどの威力を有するかと言われれば、疑問は残る。
それに、人間のあらかたの魔獣に関する資料を読んだアレクは知らなかったこの魔獣の名前。
ウゴロス
そのエルフの伝承上に登場する魔獣にいかほど酷似していて、そのウゴロスどれだけの実力を有しているのかも気なるところである。
「あ、あねさん!」
突然、オーエンと共に魔獣の方に向かっていたアレーナが叫ぶ。
何かあったのかと思い、そちらの方向にアレク達も急いで向かうと、それは、黒い魔獣の最後。沸騰した水のように表皮が泡立ち、黒い煙を異常なまでに出していた。その変化に不安を感じてアレーナは叫んだのだろう。
「大丈夫だ。こうやってこの怪物は完全に死ぬ。そしたら中から・・・・。」
人間が出てくるぞ。そういおうとしたアレクよりも早く、魔獣の朽ちた体の中から、人の形を完全に残した左腕が出てくる。その光景にアレーナは、年相応の反応を、口に手を当て、一歩下がる。
いや、ここで叫ばないあたり、普通とは言えないのかもしれないが。
そのまま、一分もたたないうちに、二メートル弱あった胴体は完全になくなり、その魔獣の媒介になったであろう人間が出てくる。
「・・・・農民、か?」
断言することは出来ない。いくら歴戦の戦士であっても戦いのない時期やその予定じゃない時に戦士と分かる服装をしているとは限らない。しかし、中から出てきた人間は、戦いの最中に命を落としたとは思えない姿をしていた。
裾が泥で汚れ、ぼろぼろになっていしまってるズボン。上着も最近の気候には合わない暖かそうな服装であり、あまり裕福とは見えない安っぽい生地で作られている。体つきもかなり細身で、戦えるような鍛えられた筋力は見られない。しかし、農耕に必要と思えるような筋肉もついているようには見えないので、そのあたりは少々疑問があるが、些細なことである。
そして、何より体のどこにも傷がないのだ。服は汚れていてボロボロであるが、それは劣化によるものあって、今までこの黒い怪物から出てきた者たちのように、戦いによる傷はなかった。
「誰だか、わかるわけがないよな。」
もし、持ち物で本人が分かるような分かりやすいもの(スフィアの家の家紋が入った腕輪とか)があれば、そこから探すことは可能なのかもしれないが、この男性には、持ち物があるようには見えない。服もどこにでもありそうなものだし、アレクのように髪色のこの国では珍しくもない濃紺であるため、特定することは不可能であろう。
それ以上にこの男性の遺体は、この場に置いていく他ないかもしれない。身元の分からない遺体は回収して集団供養所に送るのが普通のイグニアス王国なのだが、今回は遠征の途中であり、人員も限られている。それに伴って物資も最低限のものであるので、彼の遺体を運ぶ手段がないのだ。
なので、アレーナの祈祷を持って、アレクの炎魔法で火葬。その後、適当な場所に埋めておくことにした。
「では、荷物をまとめたらすぐに出発するとしよう。この魔獣が原因であるならば、トッティントンへ早く向かわなくては。」
と、先程の戦闘で倒してしまった馬車の荷物を全員で荷馬車に積み直し、興奮してしまった牛のような角を持った毛むくじゃらの動物をなだめると、二人の荷引きにセイビムは指示を出し、再び歩き始める。この荒野のような平原までは半日くらいで到着したのだが、目的の町であるトッティントンまでの道のりの半分が経過したのは、当日の野営中のことであった。
この辺まで来ると辺りの景色というか雰囲気は変わってくる。切り立った崖に面していたり、洞窟の中を通ったりと、商業を主な生業としているには少々高低差の激しい悪路を通っている気がする。
今回アレク達は10人にも満たない人数で来ているのでそれに比例して荷物は少ないのだが、街一つの経営する物資を運ぶには通れないだろうと思う道だって存在したのでいろんな疑問を洞窟の中での野営中にアレーナに聞くことにした。
「この道は、昔の道で一番の近道なんですよ。物資を運ぶ本路はもっと大回りに山を越えるんです。」
本当だったらミハヤかセイビム辺りに聞きたかったのだが、彼女らはこの後の順路の確認に勤しんでいる。オーエンは当然「知らん。」の一言で会話にならないし、ターニャが知るわけもない。そして、他の荷運びの人に比べればアレーナが一番話しやすくはあるだろう。
昔使ってた近道というだけあって、地面にも苔が生えていることから普段は使われていないことも納得できる。そして、この道では多くの荷物を載せた馬の退く荷馬車では通り抜けるだけのも一苦労だろう。さらに、いや当然というべきか持っている松明がなくては、壁に手を当てて進むくらいしか前進するすべがない。
「あの子たちは、元々、山の岸壁で暮らしている動物なので、起伏の激しい道もへっちゃらなんですよ。」
「確かにな。でも、馬車の方はそううまくいかなかったけどな。」
馬車を引く動物は洞窟内の起伏の激しい道のりに耐えうるものであっても木製の荷馬車はそううまくはいかなかった。小さな石ころでも運が悪ければ車輪を持っていかれるし、溝なんてあったものなら総動員で馬車を押す羽目になる。その為、こうして小休憩を取りながら、しっかり順路を確認しているのである。
「ですね。でも、この洞窟を抜ければすぐだと聞いていますので、楽しみですよね。」
「楽しみ。って、アレーナは行ったことないのか?」
「はい。同行するのはこれが初めてです。ぼく、動物さん好きなんですよ。」
動物さんというのは恐らくこれから向かう町、トッティントンに住む獣人の話をしているのだろう。元々は、ドワーフなどの主に金属加工や採掘を主体としていた町に人間(歴代のイグニアス国王が)獣人を運ぶことで出来上がった町である。以前は強制労働を行われていたらしいのだが、近年では、街として自治も独立しているらしい。
しかし、数日前の地揺れから、トッティントンからの連絡もトッティントンへの連絡の一切が絶えてしまい、こうして、この辺り一帯を収めるネイビム・ノア・マリージョ自ら足を運んでいるのである。
しかし、とアレクは思うことがある。果たしてトッティントンの住人は、人間に対してどこまで友好的なのだろうかと。自らが生まれ育ち、祖先の眠る地から強制的に連れてこられた彼らは人間に恨みを持っていないのだろうか。エルフは、互いに覚ええているものなどいないほど昔の話だというのに、ポールは人間に対し恨みを持っていたし、ターニャもこうして人間と多く接触する可能性がある場合は、顔全面を覆うターバンを巻くようにしているのだ。
獣人、異人種、人間とのいざこざはメリンダの時代になってようやく良好に向かい始めたくらいの浅い歴史である。故に、人間にたしい恨みを抱えた住人の方が多いはずである。そんな場所に赴くのは少々緊張するのだが、そんな感情を抱いているのはアレクだけのようで、
「アレク殿。出発しますが準備はよろしいか?」
「ああ。大丈夫だ。」
セイビムとミハヤを先頭に荷物を運ぶ動物、アレーナ、アレク、ターニャ、もう一台の荷馬車、オーエンと、人が三人横並びに並ぶには少々狭い洞窟を進んでいった。




