黒き魔獣再び
「血の狂乱か・・・」
「アレク?」
「いや、何でもない。それで、向かってる街の名前はあるのか?」
「ええ、今から向かうのは、異人族の商業ギルドが成す街。トッティントンよ。って、さっき言っていたじゃない。」
顔を覆うターバンがあってもその下のあきれた顔が分かるくらいの声でターニャはため息をつく。
商業ギルドが寄り合って形成される商業の街。トッティントン。その実は、イグニアス王国内にいる異人種たちを集め働かせる強制収容所の名残である。現在、メリンダが王位を継いでから各地にあった強制収容所廃止されているのだが、もうイグニアス王国内にそれぞれの種族の集落はなくなってしまったので、多くの偉人族は、イグニアス王国を出ていってしまったり、エルフの様にどこかに身を潜めている。
その中の一つ、元々山の中に暮らしていたドワーフの村落を利用して建てたのが、トッティントンである。そこに獣人を含む異人種を運び、街を築き、その山を領地に貰ったマリージョ家が現在は所有している。現在は、その山から出る鉱物などを中心に加工品を生業とした商業が発展しているのだが、やはり長いこと異人種に対して圧政を引いていたイグニアス国内で、異人種が商業を行うことは難しいので、トッティントンで作った物、採掘された鉱石をマリージョ家で買い取って、他のイグニアス王国内の国へと回しているのだ。
しかし、先の地揺れによって起きた山崩れの影響か、トッティントンからの使者もトッティントンへの使者も帰ってくる事が無かった。大規模な部隊を編成できる時期ではないが、これ以上放置することも出来ない急務であったところに、イグニアス王国において最強の部隊ともいえる自警団にも引けを取らない人物の派遣は、セイビムにとってまさに天からの贈り物であった。
そこに、セイビムの親の旧友である傭兵団を率いるミハヤが来てくれたことも含めてもいい。
必要な人員も集めることもできるし、足元を見て値段を吊り上げられることもない。さらに、ミハヤの傭兵団はその人員の過去の経歴から、その実力に見合わない破格の値段で雇う事が出来る。
「と、言っても今回は休暇中の依頼だ。全員は同行できなくて悪いね。」
「いえ、今回は少数精鋭で行くつもりでしたので、御三方だけで十分です。」
「はい。よろしくお願いします。」
「まぁ、久々のしごとだからなぁ。選んでなんていらんねぇよ。」
今回、ミハヤの自警団から同行してくれたのは、三人。団長のミハヤをはじめとして、マリージョに収監されていたオーエン。そして、年端もいかない少女のようにも見えるのだが、れっきとしたミハヤの傭兵団員であるアレーナである。
深緑色の髪に黄緑色の瞳。身長は155センチで筋肉があるようにも見えない細い線の体。それもそのはず、手には杖を持っているので、祈祷系の神聖魔法を施行することで戦闘に参加する。つまり、リズベルと同じ戦闘方法になるのだろう。中性の顔立ちにその体系。男の子とも女の子ともとれる。その声も、やはり子供のそれであるためか、男女の区別のつけにくい声質である。彼(ないし彼女)とは、アレクも接点がある。それは、マリージョに来る途中の野営で、ミハヤと共にアレク達と同じ班として夜間の警備(厳密には早朝だったが)当たった人物の一人。といってもあの時は、行きずりの人物であると思っていたわけではないが、彼女(ないし彼)が野営の時にすぐに就寝してしまったので、たいした会話をすることができなかった。
「大雑把でも原因はわかってんのかい?」
「いえ。なにぶん誰も帰ってきていないので、その原因が野盗の仕業なのか、地揺れの影響なのかさえ・・・。」
そんな場所によく貴族自身から行こうと思い、行かせたものだと思うが、それは、セイビムの今までの経緯の影響だろう。
彼女が男勝りの口調で話し、男装の服を着ているのは何も女だからなめられるという理由ではない。その理由もあるのかもしれないが、彼女はアリシアたちと同様戦士なのだ。実際、アレクが初めてこの町を訪れた時は、王都にて天馬騎士団と共に訓練を積んでいたというし、今、セイビムが身にまとっているのは、戦えない貴族たちが身に着けているような、動きづらい防具ではなく、戦うための最小限の防具である。
チェストプレートや、腕、足に装着された金属製の防具も関節部分は動物の皮でできているようでその可動を阻害されることはない。また、金属の防具にも無駄な装飾など一切なく、実用性を重視している。しかし、こういった危険な領地内の厄介ごとに首を突っ込むのは、彼女の気質が影響しているのだろう。
「それじゃあ、オレらも気を引き締めていかない、とそいつらのにのまえになるかもな。」
と、アレクは言いたかったのだが、その言葉は不自然な部分で遮られる。
その理由は簡単である。
ヒトならざる者の出す異音。いや、轟音が荒野に近い平地に轟く。もし、この平野に草木が生い茂っていれば、その轟音で草々は、揺れ動いただろう。
周囲の空気を震わすほどの怒号をアレクは何度か知っている。この40日足らずの人生の記憶の中で、そんなにも頻繁に爆音を耳にするのは、戦時中といえどあまり多くはないだろう。
そして、その音が自身に害をなすものばかりというものは。
「全員、左後方に退避しろ!」
アレクは、その空間全体を包むほど大きい轟音の発生源を、左前方から発せられたものと判断する。それは、今から向かう方角であり、低い山々が連なっている山脈側から発せられたものだった。
アレクの声に反応し、その轟音の危険性を理解できたのは、やはりある程度先頭の手練を積み、その音が生物を死に追いやるだけに十分なエネルギーを有していると判断できたものだけであったそれ以外の者。特に荷馬車を引く牛のような角を持つ毛深い動物、それを引く飼い主は、轟音におびえ動けなくなっているようであった。
その二者を助けようと一番最初に動こうとしたターニャのたなびくマントをアレクは掴んで引っ張る。
「なにすんの!」
「もう遅い。それに・・。」
アレクが言葉を言い切る前に全員が、その轟音の正体を目にすることになる。それを見たことがあるものは、ここには立った一人だけ。しかし、ターニャもミハヤもそのモノの危険性については、多少耳にする機会は存在していた。しかし、二人ともこの目にするのは初めての経験である。しかし、
「ウゴロス・・。」
アレクの想像通り姿を現したあの黒い怪物を見て、ターニャはそうつぶやいた。ターバンに顔面全てが覆われているので表情は見ることは出来ないが、その声の震え具合から、恐怖と驚きで満たされていることだろう。
ウゴロス。
アレクや自警団の面々は、まだ黒い塊、ないし化け物としか称していない黒い怪物。しかし、エルフの間では、その怪物を表す伝承がいくつか存在していた。ある文章においては、邪悪なるものとして。ある文章では神の忠実なる僕、ないし神本体として。また別の文章においては、負の感情の総称として、災厄をもたらす存在であったり、侵略者を食い殺す存在であったりと、一方方向の善悪の判別はなかったのだが、その見た目だけは統一されていた。
≪その体は、太陽をも飲み、その手は万物に届きうる。真球を持つ存在≫であると
そのものをアレクがはじめて見たのは、リズベルと二人で森を歩いた夜のことである。空覆うほどの魔法陣に誘われ、森(林に近い規模であるが)の中に入っていくと絶命しかけた黒い怪物を見ることになった。全身に傷を負っていて、もう動くこともかなわないその怪物は、数分もしないうちに消えてしまった。次に見た時は、地方の村の中。野盗の襲撃にあっていた村に突如訪れ、野盗も農民の家も構わず徘徊していき、最終的にはアレク達自警団によって討伐された。
そして、その二体には当然のことながら見た目と同じく共通点が存在した。それは、死亡時の異臭と蒸発するように消滅すること。そして、中から人間の死体が出てくることだろう。
その死体は今までは、イグニアス王国に関係のある人物であるにも関わらず、イグニアス王国には一切の記録の残っていない人物たちであった。
「全員警戒しろ! あいつは最近現れた魔獣だ。恐らく、人間がベースとなっていると思う。あの四本の脚は増殖するし、伸縮性も自在だ。間合いはあってないようなものだと思ってくれ!」
現在その黒い怪物は、核となる中央の塊から四本の足が生えている。全身は黒色というよりは、その部分にだけ光が届いていないような暗黒食。目にあたる器官を始めとする、生物に必要と思われる感覚器が、見える範囲には存在しない。蜘蛛のように四本の足を別々に使うことで、急な山の斜面を馬より早く降下してくる。
アレクが、全員に警戒を伝えきる前に、黒い怪物はアレク達の前に現れる。元々、そこまで距離はなかったのだろう、現れたあの山肌辺りに、大きな穴でもあって今まで確認できなかったのだと思われる。
そして、幸いなことに黒いか物の目的はアレク達飛びのくことに成功した面々にあったようで、牛のような角を持つ生物やその飼い主には一切の興味を示さない。
「アレク! あの怪物について知っているのか!?」
「ああ、二度遭遇して一度討伐した。結構強いぞ。八人がかりで、二人犠牲を出した。」
その二人は、自警団員ではなく野盗なのだが、そんな詳しく話していないので、この怪物は自警団員八人以上でも見傷で勝てないものだとミハヤたちが思っても仕方のないことだろう。
「じゃあ、無理だね。アタイらじゃどうしようもない。」
「戦わないであきらめるのか?!」
「頭数も足りない。実力だって団員と同じにしないでほしいね。そんな化け物に敵うわけないだろ!」
「でも、戦わなきゃ全滅だ! やるだけやれ!」
アレクの一括が聞いたのか、ようやく冷静さを取り戻したのか、ミハヤの目に希望の色が取り戻される。
「悪い、でも、アタイもあの怪物については多少聞き覚えがあってね。『死の体現』『明確な死』 なんて名前で呼ばれる新種の魔獣だ。討伐報告はあんたが初めてだよ。」
そんな話をしている間に、黒い怪物はなん考えもなく突進してくる。
ドドドッドドド。
四本の足を器用に動かし、絡まることも減速することもなくアレク達にただ直進してくる。
「(こいつに関する情報は少ない。けど、やっぱり、基本は直進しかしないんだな。)」
これは、セベに聞いた話なのだが怪物に追われている間追いつかれなかったのは、直前で曲がっていたのだという。この怪物は速度は明らかに人間以上なのだが、あまり知能がないのだろう。それ以前に怪物には目にあたる器官がないのだ。故に、直前で避けることが可能ならまだ何とかなるかもしれない。
「全員回避。あいつに正対していれば基本追撃はない!」
このタイミングの指示に全員が反応できるのだから、やはりミハヤの傭兵団のレベルも相当高いのだろう。一番体力的に心配であった、アレーナもしっかり回避している。
「ターニャ。あれをウゴロスって言ってたよな。知ってるのか?」
「え、ええ。伝承上の怪物。神そのモノともいわれてるわ。あたし達で勝てるかどうか・・・。」
ターニャの実力はアレクにも未知数な点が多い。今は、グランドウルフを連れていないので、単純に戦力は下がっているだろう。それに、今回持ってきた武器は弓と小刀だけなので、あの魔獣の攻撃を受け止めることも難しいかもしれない。しかし、エルフの里においてはほぼ全員がその実力を知るほどの実力はあったようで、オフィアと同じ地位の森番であったはず出る。
それに、単純に戦い方の幅は、自警団だけで倒した時よりも広く。弓による物理的な、遠距離攻撃が可能である。
「アレーナ! あいつには神聖系の魔法は有効だ。オーエンとミハヤは、アレーナを援護しながら、伸びてきた足を切断してくれ!」
と、逆方向に飛びのいたミハヤたちに指示を飛ばした後、
「ターニャ。オレらはアイツを撹乱する。身体能力的にも可能だろう?」
「ええ。」
今みたいに怪物が単調な攻撃しかしてこないのであればエルフの身体能力的に避けることは難しいことではないだろう。一番華奢なアレーナに比べればアレクも身体能力的には優れていると思うので、これが最善手である。出来れば、オーエンにもこちらに加わってほしいのだが、ミハヤとアレーナの実力が知れない以上は、二人きりにするのは少々不安である。
そう判断したアレクの初手はやはりこれだろう。
「≪ファイヤ≫!」
懐から取り出した魔導書を左手で取り出すと、斜め左に見据える黒い怪物に左腕を伸ばす。右手は、腰に差している県に伸ばすがまだ抜刀しない。半分閉じた状態の魔導書に魔力を込めていき、その言葉を言う。
毎度のことのように魔導書の前に魔力が凝縮し始まる。瞬間的に凝縮した魔力に炎がともるまでにコンマ一秒もかからない。形成された火球は、今までアレクが放ってきたどのそれよりも多いく、熱量を持っているように思えたのは錯覚ではないだろう。
そして、放たれた火球は、まっすぐに黒い怪物の方に進んでいく。丁度、突進を行い、アレク達にことごとく避けられたことを認識できた黒い怪物が振り返ろうとする体の側面に火球が直撃する。
ゴッバァ!
と、炎が爆散するが、黒い魔獣は悲鳴の一つも挙げることはない。それどころか、感覚器のないあの魔獣に正確な居場所を伝えたといってもいいだろう。
しかし、アレクには別の思考が頭をよぎっていたのだ。それは、今までとの違和感だ。その違和感は魔獣に関するものではなく、自身の魔法発動後のモノに対する違和感で、今まで感じていた倦怠感を感じないのである。最初の町でも、あの村でもエルフの里でも魔法を使用した後には、そこに差はあったが、倦怠感を感じていた。エルフの里では、落下の衝撃ではなく、その倦怠感が故に目を覚ますのに時間がかかった。しかし、今回はそういったものを感じない。それは、やはり魔力欠乏症に大きく関わってくるのだろう。
リューケに貰ったあのくそまずい液体。飲んだ直後には、何にも感じなかったがはやりあれには魔力を回復する効果があったのだろう。その為、今まであまり足りてなかった魔力が回復し、今まで以上の火球と倦怠感のない魔法を打つことができるのだ。
「(帰ったら、リューケにお礼しないとな。)」
そう心の中でつぶやきつつ、アレクは今まで連発することを控えていた。魔法を再度思考する。タイミング的にまだ黒い怪物の攻撃はない。
「≪ファイヤ≫!」
今度は、先程以上に力を魔力を込める。火球が形成されるのに先程まで時間がかかるが、その差はコンマの差であり人間が知覚できる速度ではない。
先程よりも一回り大きな火球が、先程と同速で黒い怪物に迫る。
一方、アレクの火球の大きさを目の当たりにしたミハヤは、驚きを隠せないでいた。
「あれだけの魔法を使うのに剣士なのか?」
「オレが対峙した時の魔法はあんな火力はなかった。真正面から受けても問題ないほどだったが・・・。」
本当の魔法使いの扱う、本気の≪ファイア≫がこの程度の威力では無い事はミハヤにも十分理解できている。しかし、驚いている所はそこではない。アレクが剣士でありながら魔法を使い、その威力が実用レベルであることにミハヤは驚いている。
ミハヤやオーエンは、恐らく、自警団以上に多くの戦場をくくり、人間と戦ってきた。中には英雄を気取って魔法剣士を名乗っていたものもいたが、剣術も魔術もお遊び程度。戦場に来るレベルの者は全くいなかった。故に、オーエンも初めて対峙した時、アレクの魔法を避けなかったのだ。「避けるだけ無駄。」と判断して。しかし、アレクの魔法は、純正の魔法使いのそれには劣るものの、避けるだけ無駄なレベルの代物ではない。確実にダメージを貰うことになる代物である。
「いける・・のか?」
当然、不安はある。ミハヤはこの魔獣に関してある程度の知識は有している。しかし、知れは聞いた話で、実際にこの怪物と対峙するのは初めてのことだ。それに、アレクの話が正しければ、自警団もある程度の人数を必要とするレベルの化け物にミハヤやアレーナが相手になるとは思えない。
しかし、ここには魔法剣士というバルバーム大陸住むものであればだれでも知るほどの大英雄と同じ戦いができるものがいる。神聖系の魔法も有効であり、アレーナはミハヤの知る限りでは、かなりの使い手である。で、あるならば。
そこまで思考を走らせたとき、アレクの二発目の火球が、黒い怪物に命中する。先程の一撃は、目に見えたダメージを負わなかったことは、あの魔獣がさすがといえよう。しかし、先程よりも強力な一撃を真正面から、それも自身の突撃の速度も加味されて食らったのだ。普通の魔獣であってもダメージは必至。速度を落とすどころか、完全停止してもおかしくない威力である。
だが、アレクは、その結果が分かっていたかのように、右手を添えるだけだった腰の剣を抜刀する。
爆炎の中、地面の砂が爆風によって巻き上げられ、黒い怪物の姿が見えない中から二本の何かがアレクに接近していくのが目に見えた。
それは、腕であった。
五本の指があり、人間やその他の陸上生物と大差ないその腕。しかし、手の先端の爪は指先そのものであり、腕の色は切り取ったような黒。何より関節があるような動きはなく、完全に先程の長さを超えてアレクに肉薄している。
その腕が伸びることが分かっていたのか、アレクは同時に伸びてくる腕の片方を剣を当てることで軌道を変更し地面へ。もう一方は、その腕を弾いた反動を利用して切断する。
地面に突き刺さった腕の威力は、その後の地面を伝わってきた振動が教えてくれた。
ズゥン。
という、音と共に振動がミハヤの足元を揺らす。もし、真正面から受ければ腕が一本と再起不能は免れないかもしれない一撃をアレクは、あれだけ冷静に対処したのだ。
「アレーナ!」
「は、はい。」
アレクに叫ばれたアレーナは、神聖系の魔法の一つである、≪ホーリースフィア≫の準備に入る。
「行く道を照らすものとなれ。≪ホーリースフィア≫」
後々分かることなのだが、神聖系の魔法もそのほかの魔法も詠唱にさほどの意味はならしい。その魔法を使う上での省略法を暗記した語呂合わせ的意味合いなので、同じ魔法を使うのでも人によって詠唱の内容は異なってくる。また、熟練した魔法使いは低位の魔法であれば即席の言葉で、もしくは詠唱なしに唱えることも可能である。
しかし、まだそのレベルにないアレーナは、詠唱してから杖に光が生まれる。光る先端を魔獣の方向に向ける。
その頃には砂塵もなくなりつつあり、3メートルあるその巨体に外す余地もないほど良明になる。
放たれたのは光球。人間が走るのよりは少し早い程度の光の玉は、まっすぐに黒い怪物に進行していく。その接近に魔獣も気付いたのか、アレクに使用した二本の足を除いた二本の足で、その場から飛び退く。しかし、その光球が遅い事にも相応の性能があったようで、今までまっすぐ進んでいた光球は、アレーナが杖を動かす動きに合わせて軌道を修正し始める。
空中に飛びのいた黒い怪物は、飛行能力はなかったようで、少し離れた地点に放物線を描いて着地しようとする。が、その地点には計算してそこに行くことを予想していた光球が待ち構えていた。
カッ。っと、当たった瞬間に光球の光量が一気に増す。その光は、黒い怪物の全てを包むほどに。
「ギギギィギィギィイイギ。」
やはり、規模や威力に関係なく、神聖系の魔法はあの怪物に有効なのだろう。明らかにアレクの魔法よりも威力のない光球≪ホーリースフィア≫に悲鳴を上げる。
距離にして15メートルの間が、魔獣とアレク達の間にある。現状、有効な一撃を持っているのはアレクとアレーナの魔法くらいだ。もし、あの魔獣に目でもあれば、打ち抜くほどの腕がターニャにはあるが、それも出来ない。
一応、弓をマントの下からだし、矢をつがえてはいるもののどこを狙えば有効なのか分からない以上邪魔にしかならないだろう。と、考えていたターニャにアレクが指示を出す。
「ターニャ。あの足の関節部を打ち抜けるか? あそこは生き物と同じで柔らかいらしい。」
アレクが言っているのは、胴体となる核とのつながってる部分ではなく、蜘蛛のように一度胴体より上に曲がっている関節部(人間でいうところの膝や肘にあたる部分)のことを言っているのだろう。
「打ち抜けるが、本当か?」
確かにターニャは弓の腕には自信がある。100メートルくらいなら狙った場所あてた矢にもう一度当てることだって可能だ。しかし、その威力を先程、足を切断したアレクの剣と同じだけのモノを求められても難しい話だ。
弓の一番の利点はその戦う距離にある。一撃で仕留められれば無傷の間合いを持っていることである。しかし、あの魔獣には間合いは関係ないことは知っている。であれば、あの魔獣に弓は威力のない礫と大差はないのかもしれない。
だが、今ターニャが自分の頭で何かを考えたところで、打開策と呼べるものは浮かばないだろう。ならばせめて、オーダー通りに動くのが彼女の最善手だろう。
そう判断したターニャは、黒い怪物の足の関節部。人間でいうところの膝をめがけて弦を引き絞る。狙うのに時間は必要としない。ターニャには弦を引き絞っている間、全ての時間の流れがゆっくり感じたことだろう。それほどまでに、彼女は弓の名手なのである。
放たれた弓は、寸分の狂い無く残る三本の足の内、一本の関節部に命中する。完全に中心を打ち抜かれた足は、想像していたよりも簡単に切断されると、当然、魔獣の体が地面に崩れる。
好機。
そう判断したのは、人間が弱った瞬間を多く見てきたミハヤとオーエン。そして、狩りの感からターニャが、小刀を抜刀しとどめを刺しに行こうと飛び出したが、
「待て! このまま退くぞ!」
というアレクの言葉に一同全ての行動を停止させる。
なぜ?
その感情が浮かばなかったものはいないだろう。完全にこちらが優位に状況を進めていたし、あの魔獣は四本の内二本の足を失って動くこともままならい。仮に体力的にまだ余裕がっても、こんな状態の攻撃など当たる方が恥ずかしい。
確かに魔獣と呼ばれる存在は生物に比べて痛みやダメージに鈍感である。致命傷を与えても絶命するまで突っ込んでこれるものもいるが、この魔獣は確かに痛みを感じる魔獣であった。であれば、この弱っている間にとどめを刺すべきである。
しかし、アレクはあの魔獣の真価は、第二形態とも呼べる、六本足になったところにあると思っている。今失った二本は、完全に補填できるし、威力も速度も先程より向上する。そこまでアイツを追い詰めてしまうとここで撃破することになるのだが、あの時と違って、今は、アレクが最大戦力である以上決め手に欠けてしまう。
売っていた剣や小刀しかないオーエンとターニャ。リズベルほどの浄化術が使えるか未知数のアレーナ。そして、自警団より実力がないといっていたミハヤでは、勝機よりも不安が先行してしまう。それに、今回は避けてもいい難所である。あの魔獣は恐らく再生能力も持っているだろうが、瞬間的ではないだろう。であるならば、こちらがリスクを負ってでも倒す必要はない。
だが、一度もあの怪物と出会ったことのないセイビムはアレクの申し出を雇用することは出来ない。
「待ってほしい、アレク殿。出来ることならここで討伐していただきたい。勝手な話であることは重々分かっているのだが、この魔獣を我が領内にいることは看過できない。」
それは領主として当然で、彼女が進む騎士道の道にはこの魔獣を放置することは最も愚策である。己が命を散らす結果になったとしても。しかし、今回はそうでは無い。明らかな優勢なのにここで魔獣を倒さない理由が分からないのだ。
「・・・・アレーナ。浄化術はどの程度まで使える?」
「浄化術ですか?」
「そうだ。セイクリッド・ピュリフィケーションは使用可能か?」
「は、はい出来ます。」
かなり後ろにいたはずのアレーナもセイビムとミハヤと一緒にアレクのところまでは来てしまったようで、もう撤退のことを考えているのはアレクくらいだろう。
「それじゃあ、ヘブンズ・ゲートはどうだ?」
「それは出来ません。たぶんですが、アレクさんの知っている方とは方向性が異なるので。」
この時は、よく言及しなかったのだが、アレーナとリズベルは、違う方向の道をたどる神聖系魔法の祈祷を修行しているようで、攻撃系の魔法よりも回復系に重視しているらしい。
これは、信仰している宗教の違いなのか判断はつかないが、恐らく、自警団と傭兵団の必要としている戦力の違いなのだろう。
ここの実力があり、対人戦闘においてほとんど攻撃を食らうことのない自警団では、リズベルのように足止めや、攻撃力を重視し。ここの戦力では劣るが、人数は十分にいる傭兵団では、戦える戦力を増やすためにも回復系の技術が必要なのだろう。
「ホリースフィア以上の攻撃のすべはあるか?」
「い、一応。」
いけるかもしれない? 今回重要なのは攻撃の魔法よりも浄化魔法だ。神聖系の魔法は、普通の魔法に比べ、有効にダメージを入れることができるが浄化術は、相手の体を直接溶かしているように前回の戦いで見ることができた。
恐らく、ダメージに加えて弱体化しているのだろう。それができるのであれば生存率も上がるというものだ。
「わかったよ。なら、こっちの指示に従ってもらうぞ。」
全員が無言でうなずく。黒い怪物は、アレク達以上に今は回復することにご執心らしく、切断され足先がブクブクと泡立っている。先程食らったホーリースフィアもなかなかに聞いたようで胴体からも血の代わりに黒い煙が、沸騰する湯気のようにあふれ出している。
「ミハヤとターニャは、ここでアレーナとセイビムにちょっかい出されないように援護と狙撃を頼みたい。」
アレクは、魔導書を懐に戻し右手で掴んでいる曲剣に力を籠め、歩き出す。
「オーエンはオレと前衛だ。こんな遭遇戦でこんな人数じゃ策も何もない。ただある程度立ち位置は指示する。」
アレクは、オーエンと同じ位置。怪物との距離が10メートルを切ったくらいの位置でオーエンたちと合流する。
「右手前からa、b、c、d・・・新しく生えてくる足は、xとyで目標を言うからその足注視、警戒もしくは攻撃を指示する。間違えるなよ。」
「善処するぜ。」
アレクの中でも一番心配なオーエンが、笑みを浮かべながら返事をする。不安は尽きないが、やると決めたのなら信じるほかない。
「一撃で死ぬと思ってくれ。それくらい前回の奴は強かった。」
そのアレクの言葉を一番理解できたのはターニャだろう。彼女は、あの怪物を知っている。最近エルフの森に現れ、バートンが手傷を負い、撃退することがやっとだった強敵。
「アレーナ。タイミングは任せる。浄化術をありったけたたきつけてくれ。」
今回の作戦のかなめは間違いなくアレーナだろう。そのことは、アレーナ自身も十分理解しているようで、その緊張は全員感じれる。
「そう緊張するなアレーナ。出来ることしかアレクは頼んでねぇよ。」
「はい。あねさん。」
今日初めて会った人物にここまで命を懸けることは気が引けるが、アレクは毎回そんなな気がする。成り行きにせよ、これが今持てる前戦力であるのなら、それを最大限活用し、信用しなくては勝つものも勝てない。
「じゃあ、行くぞ。」
そうアレクが言った時、状況を変化させる怒号が怪物から発せられた。




