女。名を聞こう
そして三日後の三英雄戦を迎えることになる。
三英雄戦の当日の朝は、アレク達が思っているよりも普通にやって来た。それは、至極当然のことで他のこの世界で生きるものにとっては何気ない日常の一日でしかない。太陽の光がエルフ族の住む森の大きな木に生える葉々により心地よく遮られ、木漏れ日がアレク達自警団のいる控室に差し込む。
ここにいるのは、アレク、フィルビア、ルシアは当然のこと、シャノン、ターニャそしてオフィアまでもが、闘技場が眼下に広がる控室に腰を下ろしている。
今日までにターニャのこれからの方針(アレクの求婚を受けるという)はエルフ側の王子様に伝えられているようで、もう普通の観客席には行けないし、エルフ側の応援は難しい状況になってしまっていた。
オフィアが、こちら側の控室にいるのは、当然、監視役という名目な訳なのだが、当人は全力でアレク達自警団を応援するつもりである。
「体調は大丈夫かい?まぁ、無理だとしても出てもらうことにはなるけどね。」
「ああ。問題ない。それよりもオフィア、ターニャ。今日までありがとな。二人の期待に応えられるよう頑張ってみるよ。」
「そうしてもらえると助かるね。何せまだ戦争のスタート地点にすら立っていないんだから。」
そう。このエルフ族との三英雄戦は、彼らの望みの前哨戦。アレク達が無事にイグニアス王国に帰るためにも、オフィア達エルフ族の未来のためにもこれに勝たなくては話が進まない。
それも全てアレク達の腕にかかっているのだから。
先鋒。
エルフ族歴代最強の男。ターニャやオフィアの森番たち戦士の最高司令官でもあり、数少ないアレク達の理解者バルト。重厚な装備を纏い、人間により洗練された剣術を扱う極めて稀有な剣士。しかし、鋼をも切り裂く爪を持つと言われる鬼族であってもその守りは崩すことは出来ず、エルフ族においても彼を超える戦士は、ここ数百年現れていない。
そんな、圧倒的な強者に対峙するのは、齢16になったばかりの少女―ルシア・セルビアン。イグニアス王国きっての天才天馬騎士。最年少で天馬騎士団に入団し、その中でも埋もれることない才能を持った少女。槍術の扱いにも長けており、英雄サイアスのいない時代であれば、後世に長く語り継がれるほどの英雄になれたであろう少女。
「頑張って来いよ、ルシア。」
「はい。アレクさん。」
普段、模擬戦を自警団や天馬騎士団の先輩方と相手してもらうときには、適度な緊張感をもって戦うようにしている。先輩方や自警団の団員の多くは、ルシアの経験したことがない命を取り合う緊張感を経験してきている。そこから学んだ戦いは、戦術書や武法を解いた書物から学んだルシアには、理解できないものが多い。その中でも、最も強い『生』への執着心を感じた男性。目の前にいるアレクという記憶を失った奇妙な黒髪の男性。ルシアに今までの戦い方の限界を教えてくれた師匠。
たった一度。たった一度だけ、彼と模擬戦で剣を交えた。それまで、模擬戦をやったことがないのか、ルールも作法も麓美さにも欠けるアレクの戦い方は、貴族の剣術上がりの天馬騎士団や自警団には存在しない、『生』への執着からくるものだとルシアは感じた。
だからこそ見えたものがある。アレクと戦って、ルシアが感じて、新たに見つけたルシアの戦い方とも言えるもの。
「行って参ります。」
こういった闘技大会が、人間の国で行われれば、民衆の多くが遊戯目的や賭け事の対象になりやすいものだろう。実際、ボトムス王国やベルディア公国ではそういった祭典は数ヶ月おきに行われているし、イグニアス王国でも賭け事は禁止しているが、祭典として剣闘士の戦いを披露することはある。
しかし、争いを基本的に好まず、必要以上に他者へ害を与えることを嫌うエルフ族にとっては、この三英雄戦は儀式の一款としての意識が強い。故に、選手となる戦士たちが入場したとしても大きな歓声は起こらない。
蒼天に下。二人の戦士が姿を現す。
一方は、ここにいる多くのエルフ族にとって初めて見ることになる人間の女性。身長は160センチ台とエルフ族の平均身長を下回った小柄な人間の少女。身の丈ほどの大きな槍を持ち、金属製の赤と白い鎧。そして、エルフ族にも劣らないその美貌と後ろで束ねられた白銀の髪が闘技場で輝いている。
そして、もう一方からは、身の丈190センチを超える、顔まで覆われたフルプレートの戦士が入場する。エルフ族のカラーともいえる深緑色にペイントされたその見事なフルプレートの下には、エルフ族の英雄バルドがいることだろう。この時ばかりは、数人が思わず声を上げてしまう。
それも仕方のないことだろう。普段、この里でバルドが戦闘用の鎧を装備することは無い。唯一、鬼族が進行してきた際にはその鎧をまとい戦地に赴くのだが、一般人が英雄の真の姿を拝むことはまずできない。
総重量何十キロになるかも分からないフルプレートの鎧に加え、バルドはさらに自身の大きな状藩士を覆いつくせるほどの盾と、普通の人間であれば両手で振るうことを思い浮かべるような直剣を腰に下げていた。
「貴様がワシの相手か・・・。あの男が最強と聞いていたが・・・。」
「はい。お願いします。」
「うむ。」
見た目では、三十代のいいお兄さんにはふさわしくないしゃべり方や一人称なのだが、バルドのバリトンの利いた低い声、世界を駆け、越えて来た修羅場の数を感じられる落ち着いた口調は、歴戦の戦士を思わせるものだった。
自然の金属製の甲手の中のルシアの手に汗が滲むのが分かる。これは、武者震いの類ではない事もルシアには、しっかりと伝わる。
畏怖。
バルドが無意識にはなっている、敵意の感情が嫌でもルシアの体を反能させているのだ。これを感じられるルシアも優れた戦士であるという証明には違いないのだが、それは、絶対的なまでの力の差を表していた。
「では、行くぞ。貴殿らの力、ワシに見せてみよ。」
「参ります。」
二人の会話が聞こえていたかのようなタイミングで開戦の銅鑼の音が会場に響く。
互いに戦闘時の思考回路に移行する。ルシアは、低い場所に体の重心を落とし、両足を開く。おへそのあたりに槍を置くと、矛先を地面に対し45度くらいに構える。
それに対しバルドは、特に大きな構えを取ることはしない。強いて言うのであれば、体の前に右手に持つ直剣ではなく、上半身を覆いつくせるほどに大きな盾を構えた姿勢。
最初に動いたのは、重装を装備し防御面に圧倒的な優位性を持っているバルドではなく、俊敏性に特化した戦い方を好むルシアの方であった。
体感の中心にやや下に体重を置き、瞬間の反発で一気に相手との距離を詰めるルシアの必勝必殺の突進技。歴戦の戦士でも見失うほどの速度は、まさに神速。その速度にさらに、槍の突きの速度が加算されたこの一撃を対処できるものは、片手で数えるほどしか存在しない。
しかし、
「ッ!」
「・・まぁ。速いか。」
当然のようにバルドは、左手で持つ大きな盾でルシアの必勝必殺の突きを軽々とはじき返す。その大きな盾をルシアの速度で振るうことですら造作も無くこなしてしまえるバルドは、粉うことなき英雄。
さらにバルドは、突きを完全に弾かれガラ空きになったルシアに対し、もう一方の直剣で薙ぎ払う。当然、その一撃は、ルシアを絶命に追いやることは簡単であった。しかし、バルドは、この自警団に鬼族との戦争に参加してもらいたいという考えがある以上、そんなことは出来ない。
まあ、バルドの出会った人間の中では、強者の部類に入るであろうこの女性を圧倒する戦士がいるのであれば、申し分ない。早いところ十分な隙を見せて負ければいい。その前に軽い一撃。申し開きする際の言い訳程度の。
死にはしない。この年齢でここまで武術を極めた人間の戦士だ。最悪上手によけて距離を取る事も出来るかもしれないだろう。
そんなことを考えるほどの余裕を持った横薙の一閃が、ルシアの上半身を捉える。
「ッフッ!」
バルドは、エルフの中では圧倒的なまでに多くの二足歩行の武術に精通した者と戦ってきた。それは、時には人間。時には鬼族など、様々で、その中にはバルドの記憶に残るほどの強者も存在した。しかし、今、バルドの剣が捉えようとしている人間の少女からは、聞き覚えのない呼吸音がした気がした。それはバルドの盾を破るためのものなのか、一撃をかわすための一歩のためのものか観察しようとした時、予想外の衝撃がバルドの右手に加わる。
加減はしていた。人間の脆弱さは理解している。それに目の前の少女は、バルドの十分の一ほどの時間しか生きていないのだ。金属製の防具を纏っているが、バルドの本気の薙払いを食らえば、上半身と下半身が二度と出会うことは叶わないであろう。だからこそ、全力の一撃ではなかったことは認めよう。しかし。しかしだ。
ガキッン。
金属同士が衝突した時のような鈍い音が、昼前の蒼天の下に響く。
バルドが初手に簡単に弾いた一撃は見事なものだった。それは、バルト自身この女性のッ全力の一突き。と、感じさせるものでだからこそ、彼ら自警団に多少賭けようと思ったのだから。
しかし、今バルドの前には、想像を超えた光景がある。
避けると思っていた。片手で全力の一突きを止められたのだ。いくら本気でなくともバルドの一撃は受けきれないだろう。
盾を破ろうとすると思っていた。突進と腕を突き出した時の速度を失ったが、両足が地面についていれば、工夫の仕方でバルドの盾を破り、その槍を鎧にかすめることが出来るかもしれないだろう。
しかし、実際に起きたのは、想像もしていなかった状況。それは、バルドの直剣。重量8キロという片手で自由に振るうには難しい剣が、その軌道を変え、体をかがめた少女の頭の上をかすめる光景であった。
刹那、目の前の少女が加速する。それは、初めに見せた突進に劣らないほどの速度で体を回転させ、バルドの腹部の鎧に一撃を加える。
「クッ!」
想定もしていなかった一撃に思わず力が入り、人間の少女を左手で持つ盾で大きく吹き飛ばす。少女もその一撃は、上手に受けたようで、一撃と呼べるものにはならなかった。
理解できなかった。
この剣を弾いたことは分かっている。起きた現象もその事実も。しかし、なぜその現象が起こったかが理解できない。
見失った。
人間の少女が、体を器用に回し。短く持った槍でバルドの腹部の鎧に一撃を加えたことは見えた。しかし、その行動までの彼女の思考を完全に見失っていた。
「・・・クック。」
バルドは、フルプレートによって覆われたその顔をわずかに緩める。誰にも聞こえない小さな声でこみ上げる感情をあらわにする。
最近の戦闘は、一言で言ってつまらないものばかりであった。本気で戦えるエルフ族はこの里には存在しない。攻めてくる鬼族もまだ、名のあるような強者と呼ぶには、物足りない者ばかりであった。人間の住む場所に初めて出たときには、身体能力では、縮めることのできない技術を感じた。だからこそ、人間の剣術を極め、今までの速さを殺してまで戦い方を変えたのだ。
そんな強者となったバルドは、いつの間にか満足できるほどの戦士と巡り合うことは無くなっていってしまった。それ故に、自身の人生。戦士としての全てを捨て、エルフの国のために残りの生涯を迎えようとしていた。
いや。諦めていた。
だからこそ。
「・・女。名を聞こう。」




