エルフの里
標高約900メートル。山すればたいした標高ではなく軽い登山の気分でも十分に上り切ることのできる高さ。しかし、それが崖、つまりは、ほぼ直角になれば話はかわってくる。体重68キロのアレクがその高さから自由落下すれば、落下までにかかる時間は約21秒。最高時速は180Km/hを超える。その衝撃は、人間をミンチにするのには十分すぎるほどだ。
「フィル!シャノン!ルシア!無事か!?」
崖から落下してすぐにアレクは叫ぶ。正確な標高は分からないアレクは、目測でリミットは20秒くらいだと判断する。
「アレクさん!」
「ルシア!二人はいるか?!」
「はい!わたしの前に!」
帰ってきた声は、ルシアだけのようで他の二人はからの返答はない。一番先頭でアレクは落下しているため、ルシアを含めた3人が落下していることを予想する。どうやら、フィルビアとシャノンは、土砂に巻き込まれた時の衝撃で気を失ってしまっているようだ。アレクは、空中で器用に振り返ると。ルシアに急いで指示を飛ばす。
「ルシア!二人を掴んでくれ。一塊になりたい。」
「わかりました。」
自由落下に基本的に重量は関係ない。4人が一塊になれば必然的に質量は増加するがそれ以上に表面積が増加する。それは、空気抵抗が加わる面積が増えるという事で気持ち程度に落下速度と衝撃を抑えることが出来る。
しかし、それは本当に気持ち程度の減少で、人間を肉塊に変える衝撃を待つことには変わりはない。
ルシアは、フィルビアとシャノンを掴むと両手を広げ減速するアレクと合流する。
「どうするんですか?このままじゃ・・・。」
落下死。
それは、天馬騎士にとって最も間近にある死の形で、最もありえない死に方だ。戦うとき、移動中、上空数百メートルを飛行する天馬に跨っているため、落馬=死という事は、見習い時代に教官から耳にたこができるほど聞かされてきた。しかし、天馬騎士になってみたら落下死した話など聞かなくなった。それは、天馬との信頼関係が理由だ。優秀な天馬騎士の天馬は、家族同然に信頼関係を構築している。故に、もし落馬したとしても、地面に叩きつけられる前に天馬が器用に拾い上げてくれる。そのため、天馬騎士団は、天馬との信頼関係で飛行速度と制限高度取るようにしている。
「大丈夫。オレに捕まってくれ。」
アレクがニカッ。と、笑う。
何を根拠にそんな言葉が言えるのかルシアには理解が出来ない。
900メートルの高さから落ちれば即死は免れない。眼下に広がる森の木々に引っかかる可能性など皆無に近いし、もし、当たったとしてもそこまで大きく衝撃が減少することは無い。寧ろ、主の危機にフィルビアとルシアの天馬が助けにくる可能性の方が高いと思えるほどだ。
現状の手持ちでの助かる可能性をルシアは導き出すことは出来ない。それでも、アレクは笑っている。
「・・・お願いします。」
右手に抱えていたシャノンをアレクの右手側に渡し、右腕全体を使ってアレクの体にしがみつく。
アレクは、右腕にシャノンを抱えると、懐から魔導書を取り出し左手で握り、突き出す。
目測を誤れば死。正確なタイミングで、正確な魔力量で。アレクは、体勢で速度を微調整する。そして、
「≪ファイヤ≫!」
『入れずの森』
イグニアス王国とボトムス王国の間に存在する山脈の唯一とも言える裂け目。そこに存在する森には、決して入ることが出来なかった。どの道からどのように入ったとしても一刻も経過しないうちに入り口に戻ってしまう。それは、イグニアス王国側からの話で、ボトムス王国側では、別の名称で呼ばれている。
『鬼樹林』
イグニアス王国側の入れない森とは違い、入れば二度と出てこれない森として有名だった。足を踏み入れれば並みの軍では、全滅が必至。精鋭であっても踏破するだけで大きな損害を生んでしまう採算の合わない森。この森の影響でボトムス軍は、山岳地帯を通る細い山道から進軍することしかできず、イグニアス王国に大規模な戦争を仕掛けることは出来なかった。
それ故に、この二つの伝承のある森は、ヒトの手での開墾がされることがなく、木々は育ち、動物たちも大きな体を有し、太古の人間をも恐れない怪物たちがひしめく森となっていた。
この森に居るものは誰もが知っていた。それは、目撃したというよりは伝承や噂話がほとんどで、希望的推測の範疇を出ないモノばかりであったが、確かな実証もいくつか存在していた。
『入れずの森にはエルフの魔法が、鬼樹林には、鬼が住む』と。
今日は、ここ数日の中ではかなり平和な日だった。原生生物が住民を襲う事件も起きなかったし、国境を越えようとする鬼族達が来たという報告も隊長であるターニャの所には上がってこなかった。
この森にすむものは基本的には、人間をこちらから襲うことは無い。それは、イグニアス王国側とは反対の森にすむ鬼族に関しても同じことが言える。進行してくる人間たちを撃退することはあっても、国の正規兵が進撃することは無い。
「申し上げます。本日の犠牲者はありません。」
しかし、最近は事情が変わって来た。ここ数年でボトムス軍は大きな力を付けつつある。それは、非力な人間の唯一の脅威。成長と馴れが生んだもの。身体能力では圧倒的なビハインドが存在する鬼族を押し始める技術と数を持ち始めたのだ。
鬼族は、基本的には武器を使用しない。己の身体能力と爪、牙、角を有して人間に対抗する。しかし、それ以上の『軍事力』をボトムス軍は有してしまったらしい。
「うむ。では、引き継いだ後、安息に入れ。」
「はっ。」
一日の出来事をそれぞれの部隊が、部隊長であるターニャに報告し、それを司令官にターニャが報告した後、夜間の部隊長に引き継げば、一日の仕事は終了である。
鬼族の問題は当然、隣国である、エルフの国にも影響を与えた。力の鬼と技術のエルフ。これらの人間との差は、顕著に存在している。故に、力だけでは、人間の侵攻を防げなくなった鬼族は、エルフの技術、つまるところ武具を力ずくで取り込もうとしているのだ。
そのため、最近では、普段の仕事である原生生物の警戒の他、国境での鬼族の進行も気にしなければならなくなってしまっている。
「はぁ。いい加減にしてほしいものね。」
薄桃色の髪の毛をかき上げ尖った耳にかける。一日中走り回った疲れがどっとのしかかる。平均寿命、150歳のエルフの世界でまだ、24歳のターニャは、まだまだ若者もいいところなのに、独り言が増えてきた気がする。
この世界のエルフは、よくある様な不死とも思える長寿ではない。人間の平均寿命が80台なのに対し、エルフの平均寿命は150歳くらいの差だ。しかし、圧倒的に違うのはその見た目にある。エルフ族の老化は、個人差はあるが三十歳までに止まってしまう。もうすぐターニャもその時期を迎えることになり、それは、多くのエルフにとっては結婚の歳にもなる。
「あー。もう嫌だ。」
部下の前では当然こんなことなど言えない。齢24歳。エルフの中ではまだまだ成長途中の子供であるターニャが、王族の親衛隊の一員に選ばれ、森の出入り口の森番の部隊長に選ばれたのは、その類稀なる弓術と身体能力の高さに加え、次期族長に気に入られていることも関係してくる。
別に、その族長の息子が嫌いなわけではい。族長の息子と言っても結婚を強制されることもない。しかし。しかしだ、
「半ば強制みたいなもんでしょ。・・・。」
周囲のエルフにターニャが、次期族長の妻になることを期待しない者はいない。それは、口に出なくても目線や会話の端々で伝わってくる。
好きな人がいるわけでもない。けど、結婚なんて考えられない。そういう時期。
「明日も早いし、さっさと報告済ませよ。」
朝から昼過ぎまで森中を駆け回る。日が落ちる前には寝床に着くのが、ターニャの日常だ。それは、明日も続くもので変わることはまずない。
夜間の部隊長は恐らくもう起きて、森番の櫓でターニャのことを待っている。木から木へと器用に渡りながら、櫓へと向かってゆく。
「お疲れ様です。オフィアさん。」
「お疲れ、ターニャ。」
オフィア。栗色の髪を三つ編みにし、その二つの束を使って後ろでお団子を作っている。動物の皮で作った胸当てと服装は、ターニャと同じ森番の制服だ。ターニャにとっては、大先輩の森番の部隊長。弓術や槍術の師匠でもあり、家族と同じくらい親しい女性。見た目の年齢は、人間で言うとこの28歳くらいだが、確かもう60歳中盤を過ぎている二児の母親。彼女がターニャから引き継ぐ夜間の森番の部隊長だ。
「今日も一日平和で何よりだったな。」
「はい。何も起きなくてよかったです。って知ってるなら報告する意味ないじゃないですか~。」
「ふふっ。そういうな。大事なことだぞ。」
もうすぐ、日が落ちる。太陽は、もう半分以上は山に遮られ森の中には闇がおり始めている。夜行性の特に危険な原生生物が活動を始める時間。
ターニャも家に帰り、寝る時間が迫っている。
「戦争・・。起きないですよね・。」
「・・・。」
ターニャの呟きに対してオフィアは答えてはくれなかった。誰もその答えを出せるものはいない。大昔にあったイグニアス王国とボトムス王国が起こした戦争の際は、イグニアス王国側で戦争をしたことがあるらしいが、そんなことを覚えている世代はもういないし、イグニアス王国との国交も無くなってしまっている。
もし、鬼族達と戦争になったら、どれくらいの人が傷つくのだろう・・・。
もう慣れて来た正式な引継ぎをオフィアに行い、これで本当に今日の仕事は終わり。
「お疲れ、ターニャ。ゆっくりお休み。」
「はい。オフィアさんも気を付けて下さい。」
もう少しすれば、夜間の他の森番たちも来るだろう。今は、一番警備が手薄な時間だからこそ、少数の精鋭たちが警戒の目を配らせている。それに、まだ、獣たちが目を覚ます時間には早い。
「おやすみなさい。」
「おやすみ・・・!!」
オフィアと別れようとしたその時、大地が大きく揺れ動く。木々の中らは鳥たちが飛び立ち、眠りに着こうとしていた者たちも声を上げて走り出す。
「ターニャ!何かに捕まれ!」
オフィアに言われるがまま、近くにあった柱にしがみつく。
生まれて初めての地揺れ。木々が倒れる音が響き、両側を囲む山も崩れる音が響く。轟音は、村の方からも聞こえてくるが。木の上や間に建てられているエルフの家。木が倒れなければ基本的には無事だと思うが、今までに経験のないほどの揺れがエルフの国を襲う。
さらに、
ドォゴッォ!!
地揺れがもたらした山崩れや、木の倒れる音とは異なる轟音が、櫓と村との間で響き渡る。目線だけをその方向に飛ばしてみると、両側の山崩れの土砂に雑じって、魔法で作られた、真紅に近い炎が広がっているのが見えた。
体感では、かなりの時間感じていた揺れがようやく収まり、何とか立ち上がることが出来るようになる。
「大丈夫か、ターニャ?」
「大丈夫です。それよりも。」
「ああ。そうだな。」
地揺れ。それに伴う山崩れや倒木の被害も気になるところだが、最も気になるのは、魔法によって起こしたと思われる恐ろしいほど巨大な爆炎。もしあの炎が木々を燃やし、この森を焼けば、エルフにもう帰る国は無くなる。
「悪いが、付いてきてくれるか?」
「もちろんです。」
仕事なんて関係ない。森番の部隊長として、いや。エルフの里に住む者としてこの状況は見過ごすことは出来ない。
先程の地揺れにも耐えきった櫓から飛び出し、木の上を飛び移りながら、炎の上がった場所へとオフィアと共に走り続ける。気が付くと、他にも森の警備にあたっていた精鋭の人たちも並走しているのが分かる。
「こ、これは。」
件の場所は、一目瞭然。見る影もなく変化していた。
しかし、多くのエルフが予想していたような大火災は起きていなかった。と、言うよりも火の粉一つ舞っていなかった。直径200メートルにわたり木々は、薙倒され、草は無くなり、地面は爆散してはいたものの、森が燃えることは無く、一同は安堵の色を隠すことが出来ないほどに予想外の光景だった。
「おい!こっちに来てくれ!」
聞こえる声の距離からしてこの爆発の中心方向で一人の森番が叫ぶ。恐らく、この魔法を放った張本人もしくは、その対象となったものの死骸でも転がっていることであろう。
ターニャはオフィアと共に声の方向に走る。
円形状に薙倒されている木々たちの中央は、地面すら捲れ上がっていた。そこにも広がっていた森は見る影もなく、一面が更地とかしている。
「どうしてこんな事に・・・。」
やはりあの爆発を起こし魔法が原因なのだろうか?しかし、こんなところに打つ必要が本当にあったのだろうか?エルフ族に攻撃を仕掛けたものなら、直接集落に攻撃すればいい話だし、森を燃やすつもりならその目論見は失敗に終わっている。やはり、エルフとは全く関係のない第三者による攻撃と考えた方が自然と思えるこの状況に、ゆっくりになる足を運びながら、ターニャとオフィアは爆心地足を踏み入れた。すると、
「・・・。」
爆心地の中央。そこには、地に伏している数人の人間と、槍を使うことでようやく立っているようなボロボロの状態の人間が一人いた。
ボロボロであってもこの里のものからすれば、あまり見る機会の少ない人間だ。現にターニャ自身も人間を見るのは初めての経験だった。
「・・・人間ですか。」
「そのようだな。あのものがこの爆発を起こしたのか?」
自然と小声になり、焦げ臭いにおいを放つ少ない茂みの中に身を隠す。
ボロボロにはなっているものの、すぐ先にいる人間は、どっからどう見ても戦士の様な兵装をしている。もし、この爆発をあの戦士の女性が起こしたのだとしたら、人間の戦士は、これほどの高威力の魔法を有していたとしても、魔導士にはなれない高水準の世界なのだろうか?
その時、白銀の髪を垂らした女性戦士が顔を上げる。
こちらの精鋭の森番たちは誰一人として動いていない。ここにいるのは、嗅覚や視力に優れた森の原生生物ですら欺くことのできるほどの手練れたち。人間クラスの感覚器では気配すら感じる事も出来ないはずなのに、
「だ・・誰かいるんですか・・・。」
透き通るように聴き心地のいい声は、かすれ、ようやくターニャたちのいる場所に届く。
「・・・た・・助けてください。」
それを伝えるために、それだけを言いたいがために立っていたのだろう。森の中。誰がいつ来るか分からない状況で。
恐らく、足元で伏している人間は彼女の仲間なのだろう。その仲間を助けるために、満身創痍の体に鞭を打って。槍を支えにしなければ立っていられないほどに傷ついて。
最後の言葉を口にすると、白銀の髪の女性は地面に倒れる。最後の力が途切れ、捲れ上がった元は森だった地面の上に。
白銀の髪の女性が地面に着いたことが合図かのように、何人かの森番が茂みや木の上から降り白銀の髪の女性のもとに歩み寄る。最も早く歩み寄ったのは当然、森番の部隊長でもあるターニャとオフィアの二人だった。
「誰か里へ報告に。他のものは、この人間たちを運ぶのを手伝ってくれ。」
オフィアの指示に従い、精鋭の森番たちが一斉に行動を開始する。何の相談もサインも無いのに的確に里へ向かう者、櫓へ報告に行くもの、ターニャたちのもとへ来て、人間を運ぶものに分かれている。
「全部で、四人ですか・・・。」
「そうみたいだな。・・・よし、とりあえずは息がありそうだ。この子の頑張りは報われそうだな。急いで里に運んでくれ。」
謎の人間。この爆発を食らってしまったのか?しかし、どこから入って来たと言うのか。森番の櫓を越えていることから、魔法をかけた森を越え、ターニャたちが警戒の目を配らせている櫓すらも超えて。
「・・・まさか、落ちてきたわけじゃないよね・・・。」
ふと、ターニャは、頭上に聳え立つ崖を見上げる。切り立って崖は、900メートルにわたり、草木も生えていない。降りることも上る事も出来ないそんな崖。そこを落ちれば、人間は、いやエルフですら即死は免れない。では、どうやって・・・
「ターニャ。置いていくぞ。」
「あ、はい。今行きます。」
唯一の男性を抱えたオフィアのもとに走る。
これから、報告をした上に司令官の指示を待たなくてはならない。今日の仕事は終わりそうにないな・・・。




