トラブルは舞い降りた
「なんか、匂わない?」
列車が長野県に入った辺りからだった。
「ああ、誰かタバコ吸ってるのか?」
今時列車内で喫煙できる車両があるとは思わないんだが。
しかもグリーンだし。
見るとデッキのところでタバコを吸っている二人の男が見えた。
身なりからは派手なスーツを着た、いかにもなチンピラ風の男と、刺繍が入った派手なシャツを着た男の二人だった。
「なんかタチ悪そうなのがいるな」
「ちょっと注意してくる」
そう言ってヒジリが立ち上がろうとしたので、彼女を抑えて俺が立ち上がった。
「いや、ちょっと待て……俺行くわ」
「ホント? あんたの言うこと聞きそうもない感じだけど」
そんなことはわかっている。
だが、女の子に行かせるわけにいかんだろう、さすがに。
いや、本当は多少のタバコ臭いのは我慢してもいいから、トラブルは避けたかったんだよな。
「一回言ってみるよ」
俺はそう言って立ち上がったのだが、どうにも足が重い。
絶対ヤバイと分かっているのに、なぜ火中の栗を拾う様なことをしなければならないのか?
「あの、すみません」
デッキまで行って勇気を振り絞って俺が声をかけると、二人はすぐに俺の方を睨んできた。
「すみません、ここ禁煙なんで、タバコは遠慮してもらえませんか?」
すっごい物腰柔らかに、そして普通に話してみたんだが、当然反応はよくなかった。
「うるせいなガキが」
そう言うと二人は俺の肩を押して車内に戻した。
「ガキのくせにグリーン乗ってんじゃねえよ。俺らとかわれや」
そう言って俺たちの座席までやって来て、持っていたバックを座席にたたきつけた。
「ちょっと、待って!」
ヒジリが俺を後ろに引っ張って、自分がチンピラ二人の前に立った。
「なんだ? お嬢ちゃんはすっこんでな」
ヒジリは大きく深呼吸をするとチンピラの顔を指さした。
「金ないくせにグリーンに入ってくんじゃないわよ! 一般自由席に戻れクズ!」
一瞬、俺もチンピラ二人も唖然として固まった。
小柄な女の子からこんな啖呵を切られて、しばし驚いた顔をしていたチンピラであったが、すぐに形相が鬼のように変わった。
「ナメとんのかこのガキ!」
グラサンをかけた男がヒジリの肩を小突こうと手を伸ばしてきた時だった。
ヒジリは、すっと身を沈めて男の腕をかわし、下からアッパーカット気味に掌で男の顎を激しく突き上げた。
「がっ!」
男は後方によろめきながら足元から崩れるように膝をついた。
「ア、アニキ!」
後ろにいた小柄で刺繍の入ったシャツを着た男が声をあげた時には、すでにヒジリは次の行動に移っていた。
まるでPKでボールを蹴るサッカー選手のように、ヒジリは勢いよく跪いた男の顔面を蹴り上げていた。
「あっ……」
俺がそう口にした時には、列車の通路に口から血を流して仰向けになったチンピラが一人倒れていた。
しばらくの間、俺ももう一人のチンピラもその光景を呆然と見つめていた。
沈黙が周囲を包み、ただ列車の走行音だけが続いていた。
次の駅に到着を告げるアナウンスが流れた時、ヒジリが袖口を強く引っ張ったので、俺は我に返った。
「逃げるわよ、早く」
俺はヒジリに促されながら、慌てて座席の手荷物を持って、引きずられる様に隣の車両へと歩いて行った。
しばらくすると背後から男の怒声が聞こえてきた。
男が死んでいなかったのは良かったのだが、意識を取り戻して俺たちを追いかけてきているようだった。
「こっち!」
電車が駅に止まってドアが開くと、彼女は俺を引っ張って電車から降りた。
そのまま二人で向かいのホームまで走って、停まっていた列車に飛び乗った。
追いかけてきていた男たちは俺たちを見失ったようで、先ほどの電車の中を行ったり来たりしていたが、間もなく発車のベルが鳴って男たちを乗せた列車は走り去った。
俺たちは向かいのホームの列車の中からそっとその光景を見ていた。
「どうやら逃げられたわね」
「ああ。しかし、一時はどうなるかと」
すると発車のベルが鳴って、今度は俺たちが乗っていた列車が走りだした。
「あれ、この列車どこ行きだよ?」
「ま、いいじゃん。次の駅で降りればいいでしょ。少し休もうよ」
しかし次の駅で彼らが待ち構えているかもしれない。
と、思っていたら、どうやらこの駅で別の線に分岐していたようで、彼らを乗せた列車は北上してゆき、俺たちの電車は南下していった。
「次で降りないと全然違う方に行っちゃいそうだ」
「だからそれまで休憩しよう? 久々にマジで走ったら疲れたわ」
彼女は座席に深く座り直して大きく伸びをした。
俺たちはとりあえず次の駅で降りた。
俺は降りたホームでスマホの乗り換え案内を調べて確認した。
「北上していく列車が通ってるからそれを待とう」
俺の説明も聞かずにヒジリは傍らに置いてある荷物を見ていた。
「おい、聞いてるのかよ?」
「あんた、そのバックなに?」
「え?」
ヒジリが指差す方向、トランクの上にグレイの手提げバックがあった。
俺は逃げる時に自分のリュックとともに彼女のトランクと手提げのバックを持ってきた。
と、思っていたのだが……。
「わたし、手提げのバックなんて持ってきてないんですけど」
そう言えば彼女は肩からバックを下げていた。
「それにそんなダッさいバック、見たことないんですけど」
そのバックは俺の子供の頃に近所のお兄さんがよく通学の時に持っていた、通称マジソンバックなる少し薄めの手提げバッグだった。
「それ、さっきの連中のバックじゃないの?」
そうだ!
あのチンピラが俺たちの座席に荷物を荒々しく置いた記憶があった。
だから慌てていた俺は間違えて一緒に持ってきてしまったのだ。
これは立派な窃盗じゃないか!
「しまったなぁ……慌ててたから」
「やるじゃん!」
彼女が親指を立てて笑った。
「は?」
「どさくさに紛れてバックぎるなんて、大したもんだわ」
そう言いながら彼女はバックのファスナーを開け始めた。
「お、おいおい! 人のバックだぞ」
「なに言ってるの、今はわたしたちのものでしょ?」
いや、違うぞ! なんでそう言った思考になるんだお前は!
「どれどれ」
そう言いながら彼女がバックの中に手を入れて取り出したものに、俺は言葉を失った。
それは直線と曲線からなる機械的な美しさを備えた黒い金属でできていた。
「ヒジリ……それ、もしかして、拳銃じゃないか?」
ヒジリは特に驚いたような様子もなく無骨なオイル(グリス?)の香りを漂わせる拳銃と思われるものを興味深く眺めていた。