学祭前の夏の日
翌日。
悩んでいた。俺はどうすべきか?
女子と二人で旅行か。
なんかいい響きなんだが……いや、断るべきだろう。
しかし、なんと言って断ったらいいんだ?
「サラシナ君、サラシナ君」
放課後、俺がアサツミへの断りのメールを考えていると、隣席の大棗ナツメさんが声をかけてきた。
肩まであるストレートの髪と猫のような眼が印象的な子だが、出身中学も違ったので、最近席替えで隣に来るまではまともに話したこともなかった子だ。
「あ、えっと、なに?」
「サラシナ君、同じ係だよね。よろしく」
係?
あ、学祭の準備で俺とタイソウさんは模擬店の飾り付けの係りになっていたことを思いだした。
確か飾り付け係は総勢十五人くらいはいたような。
その中の二人ってわけだ。
「ああ。そう言えば今日打ち合わせだっけか」
「そうだよ。そろそろ時間だから一緒に行かない?」
もうそんな時間だったか。
俺はヒジリに書きかけていたメールを閉じて立ち上がった。
「あ、タイソウさん、そう言えばどこでやるんだっけ?」
「忘れたの? 困ったさんですね」
あー、ホント俺こういうとこダメだわ。マジ困ったさんかも。
「教えてあげる。でも一つ条件があるんだけど、飲んでくれる?」
タイソウさんは振り返って、流れるような黒髪をさらっと掻き上げると、愛玩動物のような眼差しで俺の目を覗き込んできた。
「条件? いったいなんだい?」
「わたしのことはタイソウさんって呼ばないで。みんなみたいにナツメって呼んでよ」
最近話すようになったばかりで、まだそれほど親密な間柄でもないと思うんだが、本人がいいならそうするか。
「わかったよ。で、どこ? 場所は?」
タイソウさんは無言のまま少し不満そうな表情で俺を見つめる……そうかい、そうかい。わかったよ。
「あー、えっと、打ち合わせ場所はどこですか、ナツメさん」
下の名前を呼んだら急に笑顔になったナツメさんは、一歩前に出て俺と体が触れ合うくらいの距離に来て俺の顔を見上げた。
「美術室だよ、サラシナ君」
「な、ナツメさん、なんか近くないか?」
「サラシナ君ってさ、遠慮しすぎだよ。線引かないでよ、近づけないでしょ?」
なんか、俺ってそんなに距離とってる気はなかったんだけど、意外に無意識のうちに距離とってたのか?
「やっとサラシナ君に近づけたよ」
ナツメさんはそう言って半歩下がって距離を空けると手招きした。
「いこう。はやく」
「あ、ああ」
なんか、なんか妙な動悸がするんだが、気のせいか?
「んじゃあ、次に模擬店での品書き作りと飾り。これ二名な」
司会進行の人がそれぞれの役割を分配していた。
俺としては適当に割り振ってくれて、それで自分の役割を果たせばいいと思っていた。
そんなことを思っていたら急に俺の右手が誰かに捕まれて上に引っ張られた。
「な、なんだ?」
横で俺の手を握って俺を引っ張っていたのはタイソウ、いや、ナツメさんだった。
「それ、わたしとサラシナ君でやります。いいよね?」
俺はあっけに取られていたが、最初から割り振られた仕事をしようと思っていた俺にとって、特に断る理由もなかったし、ここで断ったらナツメさんに悪い気がしたので俺は頭を立てに振っていた。
「OK、じゃあ、サラシナとタイソウな。よし次」
打ち合わせは続き、隣のナツメさんは「じゃあ、よろしく」といって握手をしてきた。
俺は何となく手が柔らかいなぁ、と思いながら、ナツメさんの笑顔を見つめていたが、なんかうまく誘導されたんじゃないかって気もしていた。
打ち合わせも終わって教室に戻り、俺は帰り支度をしてからやりかけだったアサツミへのメールを打ち込んでいた……のだが。
「うーん……本当にいいのか?」
よくよく考えればアサツミと旅行に行くことも悪くない気はしている。しかし、、あまりまだ親しくもないあいつと、泊りで旅行とかいいのかな?
迷った挙句俺はメール作成画面を閉じてしまった。
「サラシナ君、誰にメール送ってるの?」
鞄を持ったナツメさんがやってきて俺の携帯を覗き込んだ。
「あ、いや。ダチだよ、うん」
危ういところでホーム画面になっていたので、ナツメさんはふーん、って顔をしながらも、俺の目を覗き込む。
ナツメさんて、こんなに人の顔覗き込むような子だったのかな?
ま、今まで普通にしか話したことなかったしなぁ。
「アサツミさんにメールしてたんでしょ?」
「え?」
「なんでばれてんだ? って顔してるね。なんでわかったと思う?」
「なんで、だ?」
ナツメさんがにっこりと笑った。
「今、なんでだ、って言った瞬間に、メールがアサツミさんへのものだって確信しちゃったよ」
は? つまりそれってかま掛けられたってことか?
「まんまとやられたよ」
「ま、別にかま掛けなくたってわかっていたけどね」
「それってどういうことだよ?」
「ただの友達にメールするにしてはえらく困ってたじゃん。つまりだいぶ気を使う相手だってことでしょ?」
ナツメさんは机の上にお尻を置いて座ると鞄を膝の上に置いた。
「そうか。それで、なんでアサツミだって」
「サラシナ君がそこまで気を使う相手で、サラシナ君と接点がある人なんてアサツミさんしかいないじゃん」
す、鋭いな、この子。
「サラシナ君だけだよ。アサツミさんにあいさつしたり話しかけてるの」
そ、そういえば、他の奴ら話しかけてるの見たことないかも……。
「みんな怖がって話しかけないアサツミさんに積極的に話しかけてる。ま、全部跳ね返されているけどね」
そうなんだよな。全く相手にされていないんだよな。
「でもね」
そう言ってナツメさんは立ち上がると、俺の耳元に顔を近づけてきた。
「サラシナ君、気づいてないと思うけど、アサツミさん、サラシナ君に話しかけられた後、すごくうれしそうな顔している時、あるんだよ」
「ま、まじか?」
ナツメさんが頷いた。
「間違えないと思うよ。だって……あ、これはちょっと、あれかな」
「な、なんだよ?」
「聞きたい?」
「できれば」
「できればかぁ。じゃあ、やめよ」
プイっと背を向けるナツメさんに俺は待ったをかけた。
「すまん! ぜひ聞かせてくれ」
ナツメさんはしょうがないなぁ、といったような表情をしながらも、右手を俺に差し出してきた。
「条件があるの」
「条件? か、金か?」
ナツメさんは首を横に振った。
「サラシナ君のシャーペン、ちょうだい」
なに?
「今使っているシャーペンくれたら最高にいい情報教えてあげる」
俺は筆箱を出して中から銀と青のラインが入ったシャーペンを出した。こんな安物のシャーペン、なにに使うんだ?
「じゃあ、これでよければ」
ナツメさんは俺からペンを受け取ると自分の筆箱の中に入れて鞄にしまい込んだ。
「で、情報って言うのは?」
するとナツメさんが俺の両肩に手を置いて、耳に息がかかるほどのところから囁くように言った。
「アサツミさん、ちょくちょく、サラシナ君のこと見てるよ。これ、マジだから」
アサツミヒジリが俺のことを気にかけているかもしれない……なんかうれしいような怖いような複雑な気分だった。
そのせいなのか、もしくはナツメさんが俺にくっついていることで、じんわりとナツメさんの体温が伝わって意識してしまうせいなのか、俺の胸の鼓動が速くなっていた。
「あ、あのさ」
俺が声をかけようとした瞬間、ナツメさんはさっと離れてニヤニヤとした顔で俺を見つめていた。
「明日の午後は学祭の準備だから頑張ろうね。それじゃあまた明日!」
そう言って彼女はすたすたと教室を出ていった。
なんかナツメさんて、スキンシップが凄いんだな、としかこの時点では思わなかった。
そう、まだこの時点では。
次の日午後は学祭の準備だが、午前中は普通に授業があった。
アサツミは俺が座る左後方から対角線上に反対の一番前の席にいた。今は授業には出ているが、きっと学祭の準備はサボって帰宅だろう。
アサツミは早退、遅刻の常習だった。
しかも体調不良を訴えて保健室に篭ってしまうことも多々あった。
それでも試験の成績はほどほど良好、ま、俺よりはちゃんと勉強しているようだ。
ふと、授業中隣を見ると、ナツメさんが昨日俺があげたシャーペンを使っていた。
「それ、使いやすいか?」
「サラシナ君の使っていたペンだから、書き心地がいいよ」
俺が使っていたからって書き心地がいいってどういうことだ?
確かあのシャーペンは模試の時に筆記用具忘れて、あわててコンビニで買ったやつで、そのまま使い続けていただけのもんだしなぁ。
そんなことを思いながらナツメさんの手元を見ていたら、ナツメさんが顔を上げて俺の方を見た。
「ねえ、サラシナ君」
「なんだ?」
「じゃんけん強い?」
「いや、別に普通くらいかな」
「リベンジ、させてあげようか?」
そう言ってナツメさんは筆箱からまっさらな消しゴムを取り出した。
「サラシナ君が勝ったらこの新品の消しゴム、あげる」
いや、別にシャーペンとられたって思ってないから、リベンジとか考えてなかったんだが……。
「負けたら?」
「サラシナ君、消しゴム没収―ット!」
それは困る。真剣に頑張らんといかんな……いや、いや! なんでもうじゃんけん勝負しちゃうことになってんだよ?
「行くよ、最初はグゥ!」
一番後ろの席だからって授業中にじゃんけん始まっちゃったよ!
いや、どうすんだこれって思っているうちに進んでる!
「じゃんけんポン!」
あ、負けた……。
「二回戦、行くよ、最初はグゥ!」
二回戦あるの?
「じゃんけんポン!」
か、勝った! この場合どうなるんだ?
「あちゃー、負けちゃったか。じゃあ、結果発表ね」
「あ、はぁ」
「一回戦負けたので、消しゴム没収!」
そう言って俺の筆箱から使いかけのケシを奪っていった。
「ちょっと待て、二回戦勝ってんだけど」
「わかってるよ。だからこの新品のケシあげるね。ちょっとまって」
そう言うとナツメさんはなにやら新品のケシに何かを書きこんでから俺に渡してきた。
「これであいこだね」
そう言ってナツメさんは笑顔を見せると黒板の方に向き直って、授業を聞きだした。
なんか結局俺は使いかけのケシを新品にかえてもらってよかったような気がするんだが、どうなんだろう?
「ん、なんだこれ」
俺はもらった新品ケシをケースから出してみると、「しょうま」と俺の名前がインクペンで書かれていた。
さっき渡す前にやってたのはこれだったのか……。名前書いてくれなくていいんだが。
「あれ?」
ふと裏返すと反対側には『なつめ』と名前が書いてあった。
「な、ナツメさん、なんで自分の名前まで書いてんだよ。誰か拾った時にどっちの所有物かわかんないじゃん」
俺の問いかけにナツメさんはただ笑顔を向けるだけで答えやしなかった。
それどころか今さっき没収した俺の使いかけケシに自分の名前をしっかりと書き込み始めた。
「これでもうわたしのだからね」
「い、いや、それはいいんだが、だからなんでこっちはナツメさんの名前入っちゃってるんだよ」
ナツメさんは頬杖をついたまま俺の眼を見つめた。
「万一わたしがケシ忘れた時に使えるから」
いや、普通に言われればケシくらい貸すっちゅうの。
「だからわたしの名前、消さないでね?」
そう言ってまた前を向いてしまうナツメさんだった。