風の便り
―バルコニー 昼―
薫風が僕と美月の間を通り抜ける。その風にさらわれて、葉が僕の足下へと落ちた。
「ん……もうこんな時期になったのね」
落ちた葉を美月が拾う。僕はやっと美月の眼力から解放された、そんな気分になった。
「もう少しで皐月の誕生日じゃないか、そういえば」
五月五日……盛大な誕生会が開かれることは間違いない。そろそろ使用人達が、露骨に忙しくなる頃だろう。
「そういえばって……忘れてたの? まさか」
「いや、別に……何と言うか、色々あり過ぎて日付間隔が……」
「忘れてたのか、忘れてなかったのかって聞いてるんだけど」
美月が僕に近付いて、頭を優しく叩き始める。これは、脅迫だ。もうすぐ雷が、僕の頭に落ちる。
「忘れてました、ごめんなさい」
「屑」
その言葉の直後、バシーン! という鈍い音が僕の頭上で響いた。と、同時に頭に何とも言えない痛みが始まる。ただでさえ痛いのに、さらに痛くしてくれた。
「あああっ! 何で叩くんだよ!」
「大切な家族の誕生日を忘れるとは何事なの。許せない」
「それはごめんって……でも叩くほどじゃないだろ!?」
「そうね、叩くほどじゃない。殴るくらい」
「どうしてそうなるの!?」
美月の勢いに完全に巻き込まれ、頭痛に頭痛を重ねて頭痛の地層が出来そうなくらいに痛い。これに、はまらない人物などそういない、多分。
「殴られたくない?」
「当たり前だろ! そんな趣味でもないんだし」
「そうだったのかー」
「何で初耳感出してるんだよ、今まで何度も言ってきただろ」
「一切記憶にございません」
美月はそう言って、そっぽを向いた。
「はぁ……」
思わずため息が漏れた。しんどい体には余計に来るものがある。
「ま、こんなしょうもないやり取りはさて置いて……皐月に何あげるの?」
再び、こちらに顔を向ける。
(しょうもないって思ってるんだ……)
「何あげるって……皐月はもう八歳になる訳だから、そろそろ子供騙しは通用しないだろうな……何あげたら喜んでくれるんだろう」
「巽お得意のお菓子詰め合わせは、もう限界でしょ。毎回毎回同じものはね……そろそろ実用的な何かの方がいいかも」
「実用的……本とか?」
「馬鹿。皐月が本読む子に見えるの? だとしたら、その目は節穴ね」
「だよねぇ~……はぁ」
人に何か考えて贈り物をするというのは、案外難しい。その人が何が欲しいとか、どんな物が好きかとか、逆に嫌いかとかそんなことまで考えないといけない。
こういうのは、あまり本人に聞くのは気が引ける。何故なら、当日の楽しみが奪われてしまうから。子供の内なら尚更だ。
「あ、そういえば巽って、今日博物館行くんだっけ?」
「え? 行くけど……夕方くらいには」
「じゃあ、少し時間あるってことでいいのね?」
「いやでも……他にもやらなきゃいけない仕事は――」
「よし、城下に行こう。お忍び、こっそり内緒で、ね」
美月は、僕の言葉を遮ってそう言った。ぎこちなくて慣れない笑顔を作り、片目を苦しそうに瞑る美月の姿は、昔こっそり睦月と秘密基地を使って城を抜け出す前を思い出させる。
昔と違って、笑顔などを認識出来るようになったことは時の流れを感じさせる。言葉の間隔や語尾の上げ下げなど、そういった面も徐々に成長していると思う。
「いやいやいや……なんでわざわざ」
「当たり前でしょ、普通に行ったら気を遣われるし、貸し切り状態にしちゃうし……何か買うのはお忍びでいいんだって」
「えぇ……でも、お金とか僕ないよ?」
「あるよ、私」
「なんであるの、前から思ってたけど」
「装飾品を換金したら結構ね……一緒に行こうよ。お金は私が出すから」
行こうよとは言うけど、行かないと許さない、そんな雰囲気を今美月は出している。正直言って、ちっとも乗り気にはなれないが……今この体調で美月に歯向かっても勝てる状態ではないことは明らかだ。虐殺されて終了。
だとすれば、答えは一つしかない。黙って美月について行く、それだけだ。
「分かったよ……」
「よしよし、あ、服はこっちが用意するから部屋で待っててね」
「え?」
その言葉を聞いた瞬間、何故か鳥肌が立った。そして、美月は走って部屋へと入っていった。背中が、僕にとって良くない何かを語っている。
(何故だろう? 何か凄く嫌な予感がする……)
そんなことを考えながら、僕は美月の言う通りに部屋へと歩みを進めた。




