あの歌声は
―自室 昼―
僕らはそれなりの距離を、それなりの時間をかけて部屋に戻ってきた。そして部屋で小鳥は、先ほど落としてしまった湯飲みの処理をしていた。そして、僕を見るなり彼女は立ち上がって深々と頭を下げた。
「あ、先ほどは申し訳ございません。かなりびっくりしてしまって、少し時間を置いて考えたら、見間違いのような気がして」
「……どんな風に見えていたんだい?」
「気になる」
見間違いのような、ではない。絶対に見間違いである。小鳥は、顔を上げて言った。
「えっとですね、その、抱き寄せて口づけを……しようとしてるみたいに見えました」
少々頬を赤らめて、恥ずかしそうに目を逸らす。
(酷い誤解だ。小鳥の角度から見たら、そんな風に見えていたのか……)
僕は美月を起こそうと腕を引っ張っていただけだ。そして、顔の位置が少し近くなってしまった時に、その光景を見てしまった為、そのような誤解が生まれてしまったのだ。
「一応言っておく、それは絶対ない。断言する」
第一、僕らは姉弟であり、お互いをそんな風に見たことはない。そう、たったの一度も。死んでもありえない。しかも、どちらも婚約者がいる。僕に至っては、式が目前に迫っている。
「そうそう、命を奪うことはあっても、唇を奪うことはないわ」
ないない、と美月は手を横に振る。
「えっ!?」
「あのさぁ……」
「もし、仮に私達が姉弟じゃなかったとしても、巽と口づけ? 気持ち悪い。ありえない。こんな女々しくて……可愛い奴をそんな対象で見れないわ」
(可愛い? 女々しい?)
「美月様、あ、あの……」
美月はそのまま続ける。
「皆、巽をいいように言うけど、そんなの表面上からでしか見れてないのよ。可哀想なくらい変わってしまったのは表面上だけ。中身は昔から変わってないのにね」
「違う!」
僕は、美月の胸倉を掴む。
「違う? 何が違うの? 自分でも本当は分かってるんじゃないの、殴りたいんだったら、殴りなさいよ。落としたいんだったら、落としなさいよ、今ならどうぞご勝手に」
(違う違う違う違う……違う違う違う違う違う違う違う、昔とは違う。変わったんだ、可愛くなんてない、弱くなんてない!)
――そうさ、君は変わったんだ、変わったんだったら、力尽くで彼女をねじ伏せることなんて簡単さ。もう弱いままの君じゃない――
「巽、あんたは強がりでしかないの」
――強がりじゃないって、今度こそ力で証明してあげなよ――
「落ち着いて下さい! 二人共!」
――彼女は……邪魔者だ――
僕は、美月を殴ろうとした。
「瞳の色……黄色」
しかし、それは出来なかった。
「めめり~つ~えよのとら~♪」
あの独特な歌が聞こえて来たからだ。それは、初めてその独特な歌を聞いた時と同じ、子供の声。その声を発しているのは、小鳥だった。目を瞑り、祈るように手を握って歌っている。
僕は、苦しくてその場に座り込んだ。心の中に入ってくるような歌、ズキズキと苦しい。
歌はとまらない。小鳥は歌うのに夢中になってしまっているみたいだ。小鳥をどうにかして貰おうと美月を見ると、美月が僕を睨んでいた。
「失敗、残念」
(嗚呼、そういうことか。あえて僕をイラつかせて、先に手を出させれば、昔と同じみたいに僕を悪者することが出来る。特にそれを誰かが見ていた方がいい。この、先に手を出した方が悪いという風潮のせいで、どれだけ今まで苦労してきたか。わざわざこれをやるってことは、美月は僕にまだ怒ってるんだ。いつもこれを、美月が僕に対して怒ってくる時にやってくる。危なかった……)
胸を押さえながら、美月の小賢しい作戦にはまりそうになっていたことを理解した。
――これもか……全く、疲れるな――
「小鳥……もう歌うのはやめて……苦しい……」
「あ! 申し訳ございません! 私ったら、つい夢中に!」
小鳥は歌うのをやめて、僕の所へと駆け寄った。歌が終わった途端、苦しみも頭で響く声も消えた。
「君が歌うこの歌は何なんだ一体……」
「それが、そのよく分からないんです。私は祖母に教えて貰っただけで。でも、練習しても全然駄目で。今回初めて上手く出来たみたいです……」
歌を歌っている人物が、一人特定出来た。そして、それを自然な形でそれを聞くことが出来た。
「歌術って奴かしら」
美月が、口を開く。歌術、聞いたことがない。
「はい、それです!」
「それを使いこなせる人物も少なくて、随分前に滅びたって書籍には書いてあったけど、誤りみたいね」
「……美月は知っているのか」
「昔、悪戯の為に。まぁ、それはいいとして、本を漁ってたら、魔術辞典みたいなのが落ちてきたの。その後ろの方に名前と、ちょっとした情報だけね」
「難しいんですよ。本当に。あ、喧嘩はもう駄目ですよ」
(喧嘩か……)
「すまない、大人げなかったね、困らせてしまったようだ」
「……ごめんね」
美月も淡々とそう言った。
「二人が仲直り出来たらそれでいいです! 昼ご飯、どうしますか?」
「巽、一緒に食べようよ。しんみりしてるあの空気を巽が責任を持ってどうにかして」
(やっぱり、だから嫌なのに。仕方ない。これくらいはどうにかしないとな)
「分かったよ。行くよ」
「恐らくもう準備出来ている時間ですから、参りましょう! あ、また後で部屋の掃除しますね」
小鳥は、後片付け途中の破片の山を見てそう言った。
「嗚呼、頼んだよ」
「じゃあ、行きましょ」
僕と美月は、小鳥に連れられて茶の間へと向かった。




