朝ご飯との戦い
―自室 朝―
「う゛えっ!」
やっぱり先ほどの感覚は間違いではなく、明らかにこの料理を不味いと僕自身が感じているようだ。
何とか茄子の揚げ物を、嚙み切って小さく小さくする。その間にも、何度も吐いてしまいそうになった。
無味と不味いのとで比べたら、不味い方が苦しいような気がする。無味は、まだ僕としては耐えられる。でも、不味いのは自分に誤魔化しが中々通用しない。舌が素直に拒否してしまう。
(これは食べる作業だ。無理矢理にでも胃に押し込む。その為の作業だ)
その作業を繰り返して、やっと茄子の揚げ物が皿の上から消えた。
(今度は野菜だ。これは、大丈夫だろう……)
しかし、その野菜を飲み込むことを体が拒絶した。
でも、食べなくてはならない。それに茄子の揚げ物よりは、まだ耐えられる。だから、すぐに食べることが出来た。
(どうして? 野菜じゃないか何の味つけもされていないのに、あの風邪から一体僕に何があった?)
頭の中で思考を色々巡らせる。あの水をかけてきたのは、ゴンザレス。でも、それを命令したのは恐らく、あの夜喧嘩していた女だろう。
(あの女が僕に何かしたのか?)
あの女と奇妙な歌の女は、同一人物であると僕は考える。その女が歌ったあの歌に、何か秘密があるのだろうか? だとすれば、一体何の為にこんなことを?
邪魔者。前、僕の中で響いたあの声が、そう言ったのは、そういう意味だったのか?
(何にせよ、最悪だ。明日から向こうでしばらく過ごさなければいけないのに。はぁ)
手紙でしかやり取りをしたことがない相手と初めて顔を合わせて、両親や家族、向こうの国の人達と挨拶をする。絶対に晩餐会的な感じになって、取材も入ってくるだろう。それなのに、この様では、印象は最悪だろう。
上野には今まで僕は行ったことがない。と言うより、大人になるまで駄目だと言われた。その代わりに、向こうの両親が何度か訪ねに来ている。
それが何故か婚約の条件だったからだ。向こうが出したのはこれのみで、逆にこちら側から出した多くの条件は、全て飲んでくれたらしい。不思議な人達だと思ったが、一番不思議だったのは彼女の両親はこの国に来る度、海を見たがることだ。
上野には海がないからと言う理由だったと思うが、海はそんなにも良いものなのだろうか。僕の国には当たり前にあるから、分からない。
そんなことを考えながら、水を一杯飲んだ。
(嗚呼なんて美味しいんだろう、こんなにも水の有難みを感じたことはないな。えっと、まだステーキと汁とお菓子が残ってるのか。お菓子は最後だとして、どっちから食べようか)
少し悩んだ末、ステーキを食べることに決めた。重い物をあまり最後まで残しておくのは、後々苦しむと思ったからだ。
僕は大きく息を吐いて、恐る恐るステーキを口に運んだ。
(あれ……美味しい?)
口に入れたその瞬間は変な感じがしたが、少し時間が経てばいつものように美味しいと感じることが出来た。美味しくて当たり前なのだが、それが久々過ぎてとても嬉しい。
食べる作業が、本能的に食べるという行為に変わった。そのせいで、一瞬でステーキはなくなった。
(重い物をすぐに食べることが出来るとは、皆もこんな感覚で食べてるのかな? いや、それでもあれは凄過ぎるよね……)
そのまま普段の勢いで、汁を一気に飲み干そうとした。だが……それは叶わなかった。
僕の口から噴射された汁は、綺麗な水飛沫を描きながら周りに飛んで行った。僕の手から落ちたお椀は、床に叩き付けられる。一体何を入れたのか、そんな味だった。これは本当に食べてはいけない物の味がした。
僕は慌てて手拭いを取り出して、飛び散ってしまった所を拭き取る。魔法を使えば一瞬だけど、今日は絶対に使わない。そう決めている。
(魔法って本当に便利なんだな。魔法が無い世界なんて考えられない)
手拭いは、あっという間に水気を含んだ物になってしまった。これでは、もう意味を成さないだろう。
(後はもう自然乾燥でいいか)
再び、僕はゆっくりと自分の席に着く。机の上に残っているのは、お菓子だけになった。
(長い戦いだった。これで終わる……)
口の中へ、白くて甘い物を運ぶ。幼い頃は、これが大好きだったのだが――
「うげっぇ、ゴホッゴホッ……」
この世の物とは思えないくらいに衝撃的な味で、思わず咳が出る。吐くか吐かないかの攻防を自分の中で繰り広げて、堪える。また作業の繰り返しになった、苦しい。
お菓子の白くて甘い物が溶けて綺麗になくなって液体になってしまうほど、僕は朝ご飯と戦っていたらしい。最後に残った苺がそれを証明している。
(これで終わりだ。この苺さえ食べてしまえば……)
真っ白に染まった苺を目を瞑って、口へと放り込んだ。
(勝った……)
味は例によって、最悪の極みだったが、終わればもうどうでもいい。僕は、全て自分で食べ切ることが出来たのだ。達成感は計り知れない。
「よし! 戻しに行くか」
僕は達成感に心を弾ませ、部屋を出た。




