昔みたいに
―自室 昼―
凍えるような寒さに、ハッと僕は目を覚ました。先ほどまで、ゴンザレスと話していて椅子に座っていたはずなのに、僕はベットに横たわっている。が、それよりも先に驚いたのは――。
「寒っ! 手が凍って……美月ぃぃい!」
これが異常気象によるものでも、悪意ある何者の策略でもないことを僕は知っている。美月が目覚めた以上、このおかしな現象は悪戯というもので説明される。
「いいお目覚めね、巽」
視界に真顔の美月が現れた。僕には、美月が心の奥底で笑っているのが分かる。
そして、子供の頃のように僕を見下していた。まぁこれは僕が寝ていて、美月は立っているという所為でもあるが。
「相変わらずいい趣味してるね、美月は」
「巽がまた寝てるなんて珍しいと思って、その記念」
「……やっぱり寝てたのか、また」
「また?」
「いや、今日だけでいつの間にか寝てるっていう現象が二回も……はぁ。というか、寒いんだけど」
手が凍るという言葉は、今この僕の手の惨状を表す為にあるに違いない。
「あぁ」
美月はそう呟くと、僕の両手を包み込む。すると、見る見るうちに僕の手を覆う氷が溶けていく。
「本当、もう子供じゃないんからやめてくれよ」
「ひさしぶりだったからいいじゃない。眠り姫様の行為くらい、許してよ」
「え……!」
美月が、自身に起こっていたことを自覚していて驚いた。
「熊鷹から聞いたのよ、全部ね。私にそんな記憶はなかったけど。何者かに呪術をかけられて、今日の今日まで寝てたらしいわね。私としては一日くらいしか眠っていない気分だけど。人生を失った気分ね。皆大騒ぎだったから、熊鷹の意地悪な嘘じゃなかったみたい。深夜二時から皆元気よね」
美月の記憶から、僕とのやり取りはなくなっているみたいだ。安堵感に包まれる。
もし、あの時の記憶があったままだったらと思うと少し怖い。常識が揺らいでしまう可能性も、美月がおかしな人扱いされてしまう可能性がある。美月は昔から、ややおかしいが。
ともかく、美月が何者かによって呪術で眠らされていたということは共通認識のようだ。真相を知るのは、僕だけ。美月が目覚めたのは、この国が幸せで平和で穏やかになったから。
でも、何か心残りがある。本当に、幸せになったのか……ということだ。
(美月の目覚めは、平和の始まり……でも)
「ねぇ、美月」
「何」
「……僕が王になってから、美月は幸せだった?」
「どうしたの、急にそんなこと」
「気になったんだ。こんなこと聞いても仕方がないかもしれないけど。分からなくなった、幸せで穏やかで平和な日々って何なんだろうって」
沢山の人が死んだ。沢山の人が苦しんだ。沢山の人が涙を流した。それなのに――。
「昔、巽がよく言っていたじゃない。王は自身の感じる幸せをなんたらかんたらだから、国の人全員がお菓子を沢山食べれて、遊べて、面白くて楽しいお話が沢山出来るようにする! って」
「それは子供の妄想、所詮昔話さ。そんなことで、皆が幸せになれる訳ないよ……それに、今そんなこと――」
「そんなことない。それは違うよ、巽。だって想像してみてよ、争いばかりある国で皆がお菓子を食べることが出来ると思う? 遊べると思う? 面白くて楽しい話が出来ると思う? 確かに、子供が言ったことかもしれない。だけど、少なくとも私は……十分だと思ったよ。今この国では、それがほとんどの人がそれを出来る。全てが出来なくても、皆楽しそうにしてる。私はこっそり抜け出して色んな人達を見たけど、皆幸せそうだったわ。勿論、私も幸せ」
美月の手の温もりが伝わってくる。そして、口調もどこか優しい。
「当たり前のことだけど、その当たり前が続くことが一番の幸せなのよ。そのことを忘れないで。これからの巽の役目は、全てが出来ていない人にそれを与えること。大変だと思う、難しいと思う。でも、皆がいる。王は独りじゃない。家族もいれば、使用人も、大臣達だっているのよ。分かるでしょ」
「でも、父上は全部一人で……」
「巽は巽、父さんは父さん。それぞれなの。いい加減、大人なんだから自覚しなさい。それに、父さんは何年王をやったと思ってるの。巽よりずっと長い。慣れよ、慣れ。熟練者と初心者は違うのよ。長い人に聞いてみれば、きっと若い頃の失敗談が聞けると思うわ」
「父上が……」
その時だった。扉を叩く音が聞こえたのだ。やましいことをしていた訳でもないのだが、何となく焦って美月の手を振り払って僕は起き上がる。
「ど、どうぞ」
そこから、小鳥が入ってきた。
(そ、そうか。昼、昼なのかな。嗚呼、そうか)
僕はベットから降りて、立ち上がる。
「お食事の準備が……あれ、美月様?」
「だってさ、巽。行こうか。ひさびさに皆で、ね」
「う、うん。え? ちょっと、やめ!」
「いいじゃない、昔みたいで」
美月は力強く僕の手を握って、離れないように指を絡めてきた。指が痛かったが、美月の力には逆らえない。
そして、僕らは年甲斐もなく腕を振って、周囲の痛い視線を浴びながら茶の間へと向かった。
(恥ずかしい……)