男女二人
―中庭 夜中―
いつもと同じように、月明りと建物から漏れる光だけが庭を照らす。
この時間帯であることと、医務室があるのは限られた人物しか使わない建物である為か、ここに来るまでの間に人とすれ違うことはなかった。
しかし、普段僕らが住んでいる方の建物は、まだこの時間帯でも多くの使用人が働いている。だから、早く寝ろとか休めとか言われても、皆が働いているのに僕だけ寝てはいけない気がするのだ。どっちにしても、仕事は腐るほどあるから、どう足掻いても早く寝れることはない。
(倉庫は、もっと向こうか。遠いな……)
今思えば、ゴンザレスに成り代わる必要性はあったのだろうか。少し自信がない。
しかし、あいつにあの状況を見られた時点で、どうにかしなければならなかった。僕が動き回るより、ゴンザレスの方が行動しやすいという利点もあったし、騒がれたくないという思いもあったし、これは最善策だったと思い込むことにした。
そして、しばらく倉庫に向かって歩き続けていると、少し先に人影が二つ見えた。ゴンザレスと、後一人は、こちらに背を向けているので分からない。その人物は、体全体を覆い隠す外套を着ているようだ。性別等は分からない。
(ここに隠れて様子を見るか……)
何か並々ならぬ雰囲気を感じた僕は、そこで陰で息を潜めることにした。ちょうど僕が様子見を始めた同時に、ゴンザレスが声を荒げた。
「――ざけんなっ! 理由くらい、いい加減言えよ!」
(理由? 何の話をしているんだ?)
「そんなに俺が信用出来ねぇかよ。俺は、お前を信じてここに来た! お前の為になりたくて……例え、お前が俺にとって大切なことを忘れていたとしても! それなのに何も言えない? 異世界まで連れて来られたのに、俺は信じられてすらなかったのか? それなのに、次から次へと俺にああしろこうしろと……俺はお前の人形か!?」
相手の方も何か言っている。女性の声だ。しかし、大きな声ではない為、会話の内容まで聞き取ることは出来ない。
(お前を信じてここに来たということは、連れて来た人物……!?)
「俺だって必死に頑張ってやってんだよ! お前だって、元々ちょっとした不良で引きこもりで屑で、魔法なんて使ったこともない俺とあいつの力の差くらい……分かるだろ!? もう証明して見せてやっただろ!?」
(じゃあ目の前にいるのは女で、謎の歌を歌う人物……?)
「余計な慰めなんていらねぇ! 俺は、弱いんだ! ハハッ、とっくに分かりきったことじゃねぇか! どんなに努力した所で……」
そこから先は、聞き取れなかった。だが、今度は女性の方が大きな声を出す。
「そんなことありません! 貴方は絶対に強いです! 自分で自分を否定しないで下さい! 弱気になっていたら……強さは貴方から逃げて行きます!」
「俺があいつだからか!? ハッ! 結局は違う世界で生きる別人だ! 一緒に考えんな! もし俺があいつみたいに強くなれたら……」
(何て言ってる? 話すなら最初から最後まで大きな声で話せばいいのに……)
刹那、バシンという鈍い音がした。ゴンザレスは、頬を抑えた。少ししか離れていないとは言っても、この鈍い音がここまではっきり聞こえたのは、かなり強い力で平手打ちをしたということだろう。
「お前は、お前一人でやれよ。そしたら自分の思うがままだ。じゃあな……」
ゴンザレスは、後ろを向いて歩き出す。女性は、そこに立ち尽くしたままだ。
(ここで呑気に話を聞いている場合ではなかっただろうか? とりあえずあの女に……)
僕が、正体不明の女に歩み寄ろうとした時だった。
――駄目だ、行ってはいけないよ――
(何故……)
――危険だし……さぁ、寝ようか――
(そうだ。寝なきゃ明日は大事な用事があるんだ)
――そう、それで良い――
その声は、いつの間にか僕を誘導する。それを否定する気持ちすら湧いてこなかった。
そして、僕は自室のある城内へと戻った。
***
ー? ? ?ー
時同じくして、深い森の蘇芳色の花の付いた小さな木の近くで、男女が二人話していた。
男は、十六夜綴。女の方は、こちらも外套で身をすっぽり隠していて誰かは分からない。
「へぇ、もう一人の巽か。面白いね」
「やはり、あの伝説は間違いではなかったのです」
女は、花の咲いた枝をぐしゃりと握る。握り潰された花びらが、ゆっくりと地面に落ちていく。
「それで、それをどうしたいんだい?」
「私のおもちゃにしようかなと……素敵な物を覚えたんです」
「何を覚えたんだい?」
「お楽しみです! ウフフッ!」
「ハハハ……そうかい。じゃあ、楽しみにしているよ。私は、そっちの方はどうでもいいから好きにしてくれ。でも、巽に何かない程度にね。ただでさえ、今は中の飼い慣らせていた獣が意思を持ってしまって、大変なんだ。その所、頼んだよ」
「分かってます。大変ですか……でも、何もかも思い通りなんてつまらないですよ。完璧に整備された道より、いつ風が吹いて落ちるかもしれないような崖を歩く方がずっと楽しい。現に、私楽しいですから。一緒に楽しみましょう、ウフフフ……」
女の不気味な笑い声が、夜の深い森に響いた。




