君しかいない
―興津大臣 地下牢獄 昼―
巽様がゴンザレスの代わりになって、ちょうど二カ月。寒さも段々と本格的なものになってきていた。この二カ月、特に問題は発生しなかった。
ゴンザレスは、私の言った通りに王としての仕事をこなしている、巽様として。彼に違和感を感じない。二人はが入れ替わっていると知っているはずなのに、目の前にいるのが本物の巽様なのではと錯覚してしまう。それくらい、そっくりだ。そっくりというのは変な表現かもしれない。何故なら、同一人物だからだ。
だが、性格はその同一人物とは思えないほどに違う。だからこそかもしれない。二人が入れ替わっていると誰も思わないのは。ただ、皐月様は注意しなくてはならないかもしれない。たまにゴンザレスが扮した巽様を見て、不思議そうな顔を浮かべている時があるからだ。
「お元気ですか」
鉄格子の向こうで、頭を抱えている巽様に声をかける。しかし、それに対しての返事はない。
「嫌だ……違う! 違う違う違う!」
ここに来た時からずっとそう言い続けている。私には分かる。巽様は、決して独り言を言っている訳ではないと。
背後にいる看守が言う。
「深夜からずっとこの調子でしてね……黙るように言っても聞きません。他の囚人はどうでもいいですが、我々が困るんですよ。どうにかして頂きたく……こういう時は、興津大臣に伺えば良いと言われていたような気がしまして」
「そうですねぇ」
確かに言った、この前にいる人物が。仕事量が大幅に増えてしまった。お陰であの人のことを考えずに済むが。
「化け物としての力が制御しにくくなっているか……まぁ、その辺は置いときましょう。こうなることは想定済みです。今すぐ、手錠と足かせを。今すぐ眠らせるための注射もお願いします。とりあえず一度、落ち着かせる必要があります。この状況では何を言っても無駄でしょう。無理矢理にでも眠らせます」
「……口は塞がないのですか」
看守の声が沈んでいる。永久に黙らせるために私を呼んだのに、という感じだろう。
「静かに暴れられても困るでしょう。慣れて下さい」
「はぁ……」
『僕はまだ君が嫌いだ』
『でも、君に頼るしかない』
『君しかいないんだ』
『少しだけでもいい……人として生きていられる時間を増やして欲しい』
少し前に震える声で巽様は言った。巽様が抱く恐怖を感じ取れた。今の巽様も、恐怖に震えている。
(手錠やら足かせやらしても……いずれは無意味になるでしょうね。そのいずれも、もう目の前に)
あくまで仮の処置。これを壊して抜け出すことが出来るようになってしまったら、もうそれは人ではない。
(無茶を言わないで下さい……それは、巽様自身が今まで無意識でも意識的でもやってたことなんですよ。第三者には、どうすることも出来ません。もう意識が掌握されかかっている……私は観察することしか出来ないんですよ)
あの時、私は何も言えなかった。嘘すらも浮かばなかった。最近の私は、何やらおかしいのだ。何故か、咎める気持ちが浮かんでくるからだ。
「急いでさっきの持って来て下さい、お願いします」
「え? あ、分かりました」
意気消沈していた看守は、大きな足音を立てながら慌てて外へと走って行った。
「大丈夫です。国は守りますから」
私に言えるのはそれだけだった。命じられた使命を果たすことへの決意を、独り苦しむ真なる王に。