死
―洋風庭園 夜―
今までのことが全て嘘であったかのようだ。人が一人消えてしまったのに、あるはずもない空間が生み出されたのに、穏やかな風が吹いている。その風に吹かれて雲が流れていく。もしかしたら、それらは全て夢であったのかもしれない、そう錯覚してしまいそうだ。空を眺めている間に、眠ってしまっていたのだと。
でも違う。それは、僕のこの体全体に負った傷と座り込んでいる興津大臣が証明している。そう、確かに僕らは目標を達成した。十六夜を、この世から消し去るという大きな目標を。
「消えちゃいましたね……嘘みたい」
興津大臣は、四つん這いになって僕の所まで近寄って来た。そして、僕の手に触れる。
「っ! やめろ!」
「フフフ……酷い怪我ですね。もし、私があの時あの人を攻撃しなかったら……もっと凄くなってたんでしょうかね?」
彼女は笑った。だが、その目からは涙が流れていた。
「どうして泣いてるの?」
泣く理由が、どこにあるのか分からなかった。彼女の殺したいという願いは果たされたのに。嬉し涙にしては、その笑顔は引きつっている。
「……消し去りたかった訳じゃないんです。弱るくらいに痛めつけて、ゆっくりと殺したかっただけなんです。でも、私では出来なかった。だから、あんな魔法に頼るしかなかった……もっと痛めつけたかった。血を肉を骨を眺めたかった……」
彼女は両手で顔を塞いだ。肩を大きく揺らしながら、嗚咽を漏らす。
「そう……」
つまりは、遺体が見たかったということだろう。それを愛でて、宝物にするつもりだったのだろうか。気が触れている人間の考えることは鬼のようだ。愛でる意味も分からない。
「力不足です……」
「あっそう、で、君の願いは叶った訳だけど。自分で言ったこと覚えてる?」
僕がそう問うと、彼女は顔から手を離した。
「殺してくれますか。別に殺し方はどうでもいいです」
彼女の言い回しに、少し引っかかった。
(殺して欲しいってことか。あの頃は好きにしろって言ってた気がするけど……フフ)
「……殺さない。君には死ぬまで生きて貰う。前、君は好きにしろって言ってたでしょ。だから、君は生きるんだ。多分君にとってそれは面白くない……君の意思では動けなくなる。それは死かもしれないね。どうする? 約束を破る?」
そろそろ僕に限界が来ている。とても眠たくて、空腹だ。正直言葉を発するのも疲れる。目前が霞む、もう彼女の表情は見えない。
「……私は意味のない嘘もつきませんし、面白くない嘘もつきません。もう何も求めません……巽様の手となり足となり、人形となりましょう。我が特性を利用して下さい。私は、龍の加護も影響を受けることが出来ません……巽様の意思の影響のみを受けます」
「そうか、だからか」
僕の与えた常識が通じていなかった。十六夜もそうだった。酒を飲んだことがないのだろうか。しかし、十六夜はワインを好んでいたはずだ。ならば、何故――。
「その傷を癒しましょう。私を食べますか?」
「まさか。食糧庫から肉を持って来て欲しい。今すぐに」
***
―興津大臣 洋風庭園 夜―
それっきり巽様は喋らなくなった。指と右足が反対方向に曲がり、頭からは大量の血。巽様が王でなければ、即死だ。死体が動いていたようなものだ。
「巽様の意思のままに……」
命令通り、私は食糧庫に向かうことにした。もう彼のいない世界に興味なんてない。でも、他の誰かに殺して貰えないのなら私は巽様の人形として生きていく。それもまた一つの死だろう。