弾け飛んだ風船
―自室 朝―
興津大臣が去った部屋。当然、僕は一人。なのに、一人じゃない。何故なら、僕の中には化け物がいるから。
「……僕、は?」
まだ彼女がいてくれた方がまだ良かった。話し相手がいるから、そのことに頭を使っていられた。
彼女の独特の笑い声で気持ち悪さは変わらなかっただろうが、僕が誰なのかという疑問が脳を埋め尽くすことはなかっただろう。
(僕は僕なのに、僕ではなくて……分からない分からない)
僕が誰なのか、その答えを知っているのは誰なのだろう。誰が誰で、何が何なのか分からない。今、あるのは混乱。こんな時に限って、部屋を訪れる輩はいない。普段だったら、狙って邪魔をしに来たかのように現れたりするのに。
「誰なの」
化け物からも話しかけられない。
(こんなのおかしい……おかしいのは僕? でも、僕……僕じゃない。違うよ、違う。違うって何が? 分からない分からない分からない!)
恐怖から来る苛立ちが、よりいっそう混乱を強くさせた。見えないものに怯えている。見えないものが、一番恐ろしいということに気付いた。見えないから分からない、自分のことなのに分からない。こんなこと初めてだった。今まで一度もなかったのに。どうして急にこうなってしまったのか、それすらも分からない。分からないことだらけ。
では、今までは理解していたのだろうか。僕が何者なのか。その当たり前のように受け入れていたことは、当たり前ではなかったのだろうか。
「うぅ……」
この部屋を、もう何往復しただろうか。落ち着かない。部屋から出ようと思った。だが、この疑問を今解決してしまいたくて仕方がない。
(一人でいるから駄目なのに、でもこの部屋から出ても解決する訳じゃない。でも、一人いたって解決しない。なら、どうしてここにいるの? 今すぐ解決して、楽になれるの? 楽に? 楽……僕が誰なのかってそんな大きな問題なの? 駄目だ、考えてること滅茶苦茶だ)
外はこんなにも晴れているのに、一体何をしているのだろう。僕、僕ではない僕は一体何をしているのだろう。頭の中で風船が膨らんでいく感じ。疑問の風船はいつまでも膨らみ続ける訳じゃない。そう、沢山空気が入れられればすぐに爆発する。
(僕、僕? 僕は、僕が? 僕は……僕僕僕僕僕僕ボクボクボクボク?)
そしてすぐに、頭の中で膨らみ続けていたその風船は大きな音を立てて弾けた。
「ハハハ……僕は誰でもないんだ」
一人で導き出した答え。弾け飛んだ思考の果てに、突如として現れた。解は、僕にやっと安らぎを与えてくれた。
「そうか、そうだよ……僕は六歳のあの日からいないんだ。人間としての僕は……とっくに。もう僕は誰でもないんだ。あぁ、やっと分かった」
心が晴れた。爽やかな朝と比例するくらいに。気持ち悪さも消えた。もうつっかえる物は何もない。
「フフフ、ハッハッハッハハハ! アハハハハハハハハハハハ!」
澄み渡るような青空の向こうまで、この声が響いた気がした。