姉弟喧嘩
―秘密の道 夜―
「ぐっ、あはははっ! あははは……」
痛過ぎて言葉にならなかった。
殴られた顔のジンジンと来る痛みと、壁に衝突した痛み、まだ完璧には癒えてない傷の痛み、そして見えない心の痛み。気付けば、笑っていた。勝手に笑いが込み上げてとまらない。
俯いていると、汚れたズボンに涙が零れ落ちた。堪えていたものが衝撃で溢れ出てしまったんだろう。涙が落ちるのは、俯いているからだ。だから、僕は顔を上げる。
(笑いながら泣くって、こんな感じなのか。あはは……)
壁にもたれかかるような体勢になっていた僕は、二人の様子を眺めることしか出来ない。
ようやく電流から解放された東を、睦月は優しく抱き締めていた。そして、僕に鋭い視線を送る。
「あんた、巽ね、ゴンザレスがこんな魔法をまだ使える訳がないし、声も違うし……何で? 何で東にこんな事をするのよっ!」
(何で? 連れ戻す為に決まってるじゃないか。東と最初に会って命令に応じなかったからこうしただけなんだよ……)
と心の中では答えたが、笑いが止まらなくて口には出せなかった。
「あはははははははははは! あはははははははは……」
それが、睦月の怒りを増幅させてしまったようだ。
「答えなさいよっ! ねぇ!」
また、いつの間にか睦月は僕の目の前に来ていて、胸倉を掴んでいた。東は、後ろで心ここにあらずと言った表情で、座り込んでいる。
さっきもこういう風に、鉄砲玉のような勢いで僕を殴ったんだろう。
「ここまでしなくても……いいじゃない……どっちも苦しむことなんてしなくても……いいじゃない……」
睦月の瞳には、僕が映っていた。
(酷い顔だな。明後日には、上野に行かなきゃならないのに、血と涙、汚いな……)
とまらなかった笑いも、ようやく終わりが見えてきた。目の前がぼやける辺り、涙は止まっていないけど。
「うちはただっ! 自由に生きたい……それだけなのに……」
睦月の目にも涙が浮かんでいるのが分かった。
「僕としては幸せになるのならそうなって欲しい。でも王としては、それを望めないんだよ。分かってくれよ、国が壊れてしまう。それを防がなければいけないんだよ……」
「分かってる、分かってるけど! もう、引き返せないの! もし、ここで戻ったとしても、うちは生きていける自信がない……」
壊れると分かっていた……その発言が、僕に怒りの感情を呼び戻す。
「壊れても良かったの? 皆が不幸になっても? 皆が苦しんでも? 自分さえ良ければ、それで手に入れたものって幸せなの? 駆け落ちして手に入れる幸せは正しいの? 変な話だよ」
(そんなの無責任だ。分かってて壊すなんて、この国の統治する一族でありながら、そんなの……許せる訳ない)
「もう限界なの! 国の為に生きるなんて、もう沢山なのっ! 我が儘だって贅沢だって、自分達の間違いだって分かってる! でも、色んな国の文化に触れれば触れるほど、この国が窮屈に感じた。うちは、うちや誰かの為に生きたい、生きたいのっ!」
僕の胸倉を掴んだまま、睦月は叫ぶ。
「僕だって自由に憧れるし、嫌になることばっかりだ。でも、もう僕は大人で、この国の代表だ。こんなことをするのは、僕としても王としても許せない……絶対に!」
僕は睦月を東の所まで蹴飛ばした。東は吹き飛んだ睦月を見事に抱え、驚いた顔でこちらを見つめる。
「僕は二人まとめて連れ帰る。何が何でも! これは王の我が儘だよ」
「そう、そっちがその気なら、うちも手段を選んでられない。東、下がってて、これは姉弟喧嘩だから」
「わ……分かった」
何が何やらという表情を浮かべながら、東は茂みへと向かい離れる。
「喧嘩か、今なら勝てるかな」
「勝てないわよ、私の方が年上なんだから」
「そんなの分からないよ、僕はずっと鍛えて来たんだから!」
僕らは、足を踏み出した。




