気が遠くなるほど
―ゴンザレス 中庭 昼―
俺の振り上げた拳は巽に当たる――ことはなく、ただ空を切った。俺が見誤った訳ではなく、単純にかわされたのだ。俺がよろけた瞬間、巽は足で俺を蹴り上げた。正面から向かっていた俺は、その攻撃をまともに受けた。靴のつま先部分が、顎に当たって超痛い。
「かぁぁぁぁっ!」
俺は、顎を抑えてその場に崩れ落ちた。
(足癖悪過ぎるだろ!)
巽は、足を組んで座ったままの体勢で俺を優雅に見下ろしている。俺を蹴った足は、何事もなかったかのように元の位置に収まっていた。
「駄目だよ……そんな浅はかな行動は。まるで成長してないじゃないか、この数カ月の訓練は何だったんだ? 感情的に行動するのはやめたほうがいいよ。僕が、そう言ってもあんまり説得力ないかな?」
巽はそう言うと、組んでいた足を元に戻した。そして、ちょうど跪いているような姿勢になっている俺の頭に片足を置いた。
「はぁ!?」
俺は顔を上げようとした。しかし、下にいる俺と上にいる巽とでは力の差は歴然としていた。
「いいねぇ、無様だね」
悦楽でも感じているような声がする。顔が上げられないので、巽がどんな表情を浮かべているのかは分からない。ただ、推測するに巽は絶対笑顔を浮かべている。後頭部が痛い。地面の気持ちがよく分かる。これからは、地面は優しく踏むようにしよう。
「俺を地面か何かと勘違いしてんのか? 人様の頭踏むとかマジありえねぇからな? 間違いは誰にでもある。今回は許そう。だから、さっさと足降ろせ」
明らかに確信犯だが、とりあえずこう言えば怒りが収まるような気がした。言い方を軽くすれば、気分も軽くなる。昔から俺はそうやって生きてきた。
それに、こんな風にしていたら何故か俺は人気者になれた。きっと、こんな人間が需要があるのだろう。
「踏み心地がいいから、しばらくこのままでいたいなぁ。ねぇ……凄いだろう? あんな丈夫そうな塔でも吹っ飛んでいくんだ」
後頭部に入った力が強くなっていくのが分かる。それに伴い、俺に与えられる痛みは増大する。
「おい! いい加減にしろ馬鹿。俺は全貌を見てねぇんだよ……吹き飛ばしたって正気か?」
(なんでこんな奴に……くっそ。てか、吹き飛ばすとか意味分かんねぇんだけど)
「本当は壊すつもりだったんだ。でも、何やっても壊れない。塔の煉瓦がたまに落ちてくる程度でさ。だったら、いっそ全て丸ごと吹き飛ばしてしまえばいい。結果これさ。衝撃で塔の上の方の煉瓦が落ちてきて、周囲に散らばったんだ」
武者達が残骸を拾っていたのは、その為だったようだ。
「吹き飛ばしただと? お前……あれが俺にとってどれだけ大切なもんか分かってんのか? 分かってるよなぁ!」
俺は、流石に我慢ならなくなった。
(マジでおこだわ。本気見せるわ)
俺はイメージした。巽の背後に立つ自分を。すると、どうだろう。俺の体はいとも簡単に、屈辱から抜け出せた。
(瞬間移動って便利だなぁ。俺にはな~んもデメリットないし)
背後に立った俺は、とりあえず巽の頭を踏みつけてやった。態勢が少しキツイが、仕返し出来るならなんてことない。
「俺、帰れなくなるよねぇ!? ぶっ殺すよ」
「……フフフ、ハッハハハハ!」
巽は狂ったように笑い始める。まるで、電池が切れかけた人形のような笑い方で、体の芯から冷えていく感じを覚えた。
「殺せるもんなら殺してみればいい。殺されるくらいが僕にはちょうどいい……フフフフフフ。でぇ? 帰れなくなる? 仕方ないよ、だってこれは摩訶不思議な事故だから。皆、そう思ってるよ。皆で協力してやったこの爆発も、摩訶不思議な事故になった。だからさ、もう諦めて?」
「ふざけんな!」
俺は足を降ろして、巽をその場に押し倒した。仰向けの状態で倒れた巽は、特に抵抗する素振りを見せない。
「ふざけてなんていないよ? どこまで吹き飛んだかは知らないけど……アハハ、どこかにはあるよ」
「ふざけんじゃねぇ……ふざけぇんじゃ……ねぇ」
もう二度と元の世界に帰れないかもしれない、そう考えただけで気が遠くなった。
もし、戻れなくなってしまったら、もう二度と俺は――。
「……国の為なんだよ」
最後に聞こえたのはそれだった。視界が霞んで、体が軽くなった。雲一つない青空が、一瞬だけ見えた。