番外編
―使用人 廊下 昼―
私は一介の使用人、この道二十年だ。専属使用人とかいう出世頭にも、役職にも就けず生きている。ただ、それで困ったことなど特になく、穏やかな日々を過ごしていた。
しかし、最近穏やかな日々が壊れつつあるように感じる。化け物騒動に戦争、貴族連続殺人事件……挙げればキリがないが多くの人が傷つき、不幸になり涙を流した。私の兄もまた、戦争によって命を落とした。遺体の有様は酷いもので、言葉を失った。
(どうして、こんなことになったんだ?)
憤りを、どこにぶつけるべきなのか分からなかった。平穏な日常を、いとも簡単に奪ったのは誰だと考え続けた。
そんな時に、巽様は外遊へと向かわれた。戦争の後処理を、全て大臣達に任せて。米国へ資金援助を求める為に向かったというのは知っていた。しかし、それを聞いて私は明確な怒りを覚えた。
(もっと先にするべきことがあるではないか、武者達に言葉をかけることもないのか)
巽様への怒りだった。彼に全てを押しつけたい訳ではない。だが、王として武者達に何か述べるべきだ。それが王としての務めであるはずなのに。
ところが、巽様は帰国して数日経ってもそれを行わなかった。モヤモヤした気持ちを抱えたまま、私は使用人としての仕事を行っていた。すると、廊下で偶然巽様と出会った。
(え……!?)
巽様の姿に私は目を疑った。なんと、瞳が黄色くなっているではないか。
(あの噂は……まことであったのか)
巽様が、戦争を始める前くらいに流れた噂だ。私は巽様を見かけなかったので、馬鹿馬鹿しい虚言だと思っていた。
少しすれば、その噂もピタリと収まってしまったし、根も葉もないものだと。しかし、目の前にいる巽様は噂通りだった。
「こんにちは、巽様」
王である巽様を無視してはいけない。私は頭を下げた。使用人見習いが最初に教わるのが礼儀。基本を怠る訳にはいかない。
少しして顔を上げると、巽様が微笑んでいた。
「やぁ、こんにちは。ねぇ、なんで僕を見て驚いていたの?」
露骨に反応してしまっていたらしい。寧ろ、驚かない方が変だと思うのだが。
「あ、いえ……その瞳の色に……」
私がそこまで言った時、巽様は私の目の前まで近付いていた。愛想笑いではない、幼い頃と同じように優しい笑顔を浮かべながら。
「そうだよね、これはとっても不思議なことだ。君みたいな生真面目な人間からすれば」
ただ、その優しい笑顔に温かみを感じることは出来なかった。人に化けた妖怪が、人を誘惑するために浮かべる笑顔のように見えた。それは、根拠もなく想像的に捉えたものだが。
「でも、その不思議は君の知らない間に当たり前なことになってるかもしれないよ……フフ、たまには君も砕けてみればいいのに。君だって男だろう? 例えば酒を飲んで、日々の鬱憤を晴らすとか」
そう言いながら、巽様は私の頬に触れた。その手はとても冷たく、私を骨の髄まで冷やした。
「いえ、結構です。私にはそんなことをしている余裕などありませんから」
兄が亡くなって間もなく、宵に狂えるものか。そもそも、昔からそんなことが苦手な私には無理だ。
「そうかい、残念だ……」
視線を下に向け、微笑を浮べながら巽様は私の頬から手を離した。彼の癖なのだろうか、男の私に対してもこのようにしてくるとは。
「頑張ってね、アハハ」
それだけ言うと、巽様は再び歩き出した。
(まるで別人だな……人はこんなにも変わるのか)
巽様の後ろ姿を見ながら、私はそう感じた。