過去と今
―ゴンザレス 宿屋 夜―
「誰か助けてぇぇぇぇ!」
俺が宿屋に帰るや否や、そんな嘆きが聞こえてきた。俺は子供の小鳥をあやした後で既にくたくただったが、困っている女は放っておけない。
(やれやれ、こっちの世界でも亜樹はうるせぇ)
玄関から入って、俺は声のする方へと向かった。そこは、亜樹の部屋的な場所だ。ここで彼女は生活している。
俺が部屋を覗くと、亜樹は座布団の上で正座をして裁縫をしていた。そして、すぐに俺に気付いて困憊し切った表情を浮かべた。
「お帰りなさぁ~い……ゴン~ふわぁぁ……」
女子とは程遠い。間抜けな顔で大欠伸。変に気取るよりは、親近感はある。でも、もう少し女子力って奴を身につけるべきだとも思う。
「お前に裁縫は無理だろ」
「うっさい! あんたのお仲間の服のボタンを直してるんだよ! でもさ、出来ないんだよ!」
相当フラストレーションが蓄積しているようだ。床に寝そべって、駄々をこねる子供の用に足をドタバダとさせ始めた。見えてはいけないものが、見えてしまうではないか。
「おーい、俺がやってやろうか?」
怪我した小鳥の世話をしてくれた恩がある。苦手なことを押しつけるつもりは毛頭ない。俺が優しい提案をすると、亜樹は幸福に包み込まれた表情を俺に向けた。分かりやすい奴め。
「ありがと~もう永遠に裁縫しないといけないかと思ったよぉ~」
亜樹は、俺に直しかけの服を寝転がったまま差し出した。俺はそれを受け取って、どんな様子になっているのかを確認する。
(これはひでぇ……)
ボタンの穴に適当に通された糸。グチャグチャになって、あらゆる所にコブが出来ている。
「直す気あった? これ」
「あったよ!」
亜樹は床を殴った。
(あったのか)
この程度なら幼稚園児でも出来そうだ。そして、全世界の不器用な人々を安心させてくれそうだ。こんな奴がいるのか、だったら俺はまだマシな方だな、的な。
「これくらい、ちょちょいのちょいよ。ちょっとハサミ」
俺は糸切りハサミを手渡すように、亜樹に促した。亜樹は少し不満げな表情で、俺にハサミをくれた。
(まずは糸全部取るか)
こんなにもコブになってしまったものを再度使うようにするには、かなり面倒だ。最初からやってしまった方がいい。
「はい、新しい糸くれ」
手術をやってる気分だ。今度は新しい糸を手渡すように促す。
「どうぞ」
怒り口調は変わらない。それでも新しい糸はくれた。どうやら、さっき俺が直す気あったの? と言ったことに対して怒ってるようだ。これでも一生懸命やったのに……的な感情を抱いているのかもしれない。
「うっし」
小学生の時、先生から言われたことを思い出しながらやった。全て二重丸を取るために、俺は実技を必死こいてやったもんだ。結果として、学年一の女子力を持つ男になってしまった。
「本当に出来るの?」
「料理も洗濯も裁縫も出来っから」
(でも、父さんはそれでも俺を認めてはくれなかった。文武両道してやったってのに……くっそ)
思い出してイライラしてきた。過去はいつだって重い。
「ほい、出来た」
イライラしながらも、俺は無事ボタンつけに成功した。呼吸するように出来る。玉止めをしてきつく引っ張った。これでもう大丈夫。
「なんか腹立つ!」
「玉止め玉結び、穴に針を通す順番はちゃんとしましょうね~」
俺は、満面の笑みを亜樹に向けてやった。
『いつか絶対あんた抜かしてやるから!』
『抜かしてみろよ、ま、お前に抜かされる俺じゃない』
『そうやってまた見下す! 仮にも彼女でしょうよ、亜樹は!』
『ごめんごめん』
懐かしい、煽り合いの日々。もう帰れないし戻れない。俺が突き放して捨てた存在。違う世界とは言え、会えるとは思わなかった。
「嫌味な奴! 顔がそっくりでも彼とは大違い」
「彼? あ~」
顔がそっくりな時点であいつしかいない。残念ながら、今なら俺の方が随分とマシだと思う。自分で言うのもあれだが。
「元気かなぁ」
(びっくりするくらい元気だ。病的にね)
俺は守りたい。俺が失った世界とよく似たこの世界を。小鳥が愛するこの世界を。あいつ為だけじゃない、俺の為にも。やっと見つけた俺の答え。誤魔化していた自己の思いを、純粋に自分の意思にする。やるべきことだけは、果たすつもりだ。
***
―自室 夜―
「おい、小僧。まったく状況について行けぬが、何故俺はあそこから出られた?」
僕のベットで眠る彼は言った。
「どうしてだと思いますか?」
「それが分からねぇから聞いてるんだよ。一体どれだけの時が経ったってんだ……全く状況が違ってやがる。これが城? 随分と様変わりしちまったもんだねぇ。お前は……権力者か」
「そんな所です」
(無駄に話すつもりなんて一つもない……さっさと終わらせよう)
「いまいち信用なんねぇな」
「大丈夫です、今に……信用も不安も僕が全て奪ってあげますからぁ!」
僕は、ベットで寝たままの彼に手を向けた。
「な!」
彼の体が薄緑色に発光し始める。
「アハッハハハハッハ!」
思うように出来るのが愉快だった。彼に体の自由はないし、咄嗟のことで魔法すら使うことも出来ないだろう。そして、彼は魔法の使い方など忘れてしまったのではないだろうか。二百年近く何もしていないのだから。
「きさ……ま……」
これだけの魔力、体が老いてもとんでもない年数生きていられる訳だ。残っている魔力だけで、後百年近く生きられそうだ。
「お前は役に立てる! 無駄な命を捧げることが出来るんだよ! アッハッハハッハッハハッハ!」
(熊鷹……だから、君は生きるんだ)
集めた魔力を球体にしていく。これなら熊鷹もまた天寿を全う出来る。命はいつだって犠牲の上に成り立つものだ。それを今、僕が証明していこう。