国を思う
―米国 昼―
ラヴィさんに支えられながら、情けなく僕は道を歩いていた。車の中で盛大に吐いてしまったのだが、まだ気持ち悪さは消えていない。
そんな僕の様子を見ながら、人々は何かを話している。ひそひそ声でも重なれば、僕の耳に入り込んでくる。どんな悪口を言われているのかどんな風に馬鹿にされているのか、言語が分からない分、色々自由に想像することが出来た。
(こんな醜態……情けないよ)
耳を塞いでしまいたい。目を覆い隠して、この現実から逃れたい。
「本当すみません」
ラヴィさんは僕の背中を摩る。
「……僕の方こそ車を汚してしまってごめんなさい。情けないです」
「いやいやいや巽様、謝るのは絶対にこちらの方ですから。本当に荒々しくて……」
「あの写真……とかに残ったりしてませんよね?」
僕が車外に出た時、日光の眩しさ以外に電子的な明るさを感じた。それは撮影機によるものだと分かった。それは、僕の知っている物よりも小さくて軽そうだった。絶対、僕の国にある物より性能はいいだろう。だとすれば、車内の様子もばっちり写っている可能性が高い。
「……残っていたとしても、大丈夫ですよ」
何を心配しているのかと、余裕そうな口調で彼は言った。
「永遠に晒し者じゃないですか! 嫌ですよ」
「放送局、新聞社各社に圧力をかければいいじゃないですか。それくらい」
「圧力?」
(圧力……)
「車内での様子を撮影した物を放映、掲載した場合は制裁を加える……とか。いくらでも理由付けは出来ますから。別に、誰もが知るべき真実でもないですからね」
「怒られたりしませんか?」
「……フフ!」
ラヴィさんは、手を口に添えて笑った。僕は何かおかしなことでも言ったのだろうか。
「個人的に面白かったので……巽様って王様って感じがしませんよね」
「え?」
(王として失格ってことか?)
「何と言いましょうか……近寄り難いって感じじゃないんですよね。親しみやすいから接しやすいと言いますか……上手く言えないんですけど。敬語を使うのを忘れてしまいそうです。と言っても、敬語は難しいので上手く使えないんですけど。まだ完全じゃないんですよね」
親しみやすくて接しやすい、それは王としていいことなのだろうか。僕には分からない。父上は多くの人々から尊敬されていた。一定の距離を保ちながら。
「僕の国では、全体的に敬語が使われるようになったのは最近のことですよ。僕がそうしたんです」
敬語自体は使っている人はちらほらいたが、それは絶対ではなかった。僕もそれが本来正しいと思い、目上の人やあまり親しくない人には使うよう心掛けていた。
「え!? そうなんですか!? 日本大陸では、目上の人や敬意を示すべき相手に使う為に使われる手段だと学習しましたが……」
ラヴィさんの歩む速度が少し遅くなり、僕を支える力が弱くなった。それで少しよろけてしまったが、すぐにまた支える力は強くなった。
「不思議ですけど、本当にそうなんです。でも、このままでは駄目だと思って僕が使うようにさせたんです。外国との交流には、敬語は必要不可欠だと思ったので」
「鎖国してたんですか?」
「いえ、そうではありません。それだけは絶対に違います」
鎖国、それは江戸時代に行われていたことだ。それは愚かだと僕は思う。結局の所、一部の海外の国々とは交流していた。それによって、日本では海外よりも発展が遅れてしまった。
長い時をかけ古き物を捨てたり、新しき物を得たり、それらを融合させたりすることによってここまで来たのだ。しかし、ここに来て思う。海外との距離は、まだ埋まっているとは言い難いと。
「交流はしていました。外国とも海外の国々とも。ですが、外国であることが話題になったんです。武蔵国の者は無礼だと。それを聞いた時、僕は衝撃を受けました。そんなつもりはなくとも、そのような誤解を与えてしまうのだと。ですから、数年ほど前に敬語を絶対にしたんです」
当初は批判が多くあった。差別だとか、偉そうだとか。しかし、最近ようやく敬語の重要性を理解して貰えるようになった。使い方は残念ながら、僕も間違っているだろうが。
「なるほど……また一つ勉強になりました。そういえば巽様、体調が少し良くなられましたか?」
ラヴィさんは緊張の糸が解けたかのように、穏やかな表情で僕を見つめた。確かに言われてみれば、気持ち悪さは引いてきたように思う。多分、色々考えて気持ち悪さのことから離れたからかもしれない。
「かもしれません。心配をかけてしまってごめんなさい」
僕達は、多くの人々に見送られながら整備された道から芝生へと足を踏み入れる。
「いえいえ良かったです。これからが大変だと思うので……あれがホワイトハウスですよ。あそこで大統領がお待ちです。長旅の疲れを癒して下さい」
顔を上げると、目の前には真っ白な建物が構えていた。忙しなく感じられた今までの景色とは違い、ゆっくりとした時が流れているような場所だ。中央にある噴水や花々が、それを感じさせてくれているのかもしれない。
(ちょっと僕の所の庭に似てる。こっちよりは、もう少し色々あるけど……)
久々に感じた緑だ。国を思い出さずにはいられない。懐かしさと恋しさ、それらが僕の心を埋め尽くす。
(嗚呼……でもこれからが本番なんだよね。どんな人かもまだはっきりとは分からないし。素直に、本当の僕を……国の為)
母上の言ったことを思い出す。目的は分からない。だが、それが国の為になると言うのなら。僕はそれに従う。使命を全うするのみだ。