一つの命
―船内 夜―
扉を開けるとすぐ、その少女は逃げるように部屋へと飛び込んだ。この少女は一体何歳なのだろうか。身長だけで見ると、閏と同い年かそれより上かくらいだ。
「……怪我とかない?」
少女の目線に合うように、僕はその場にしゃがみ込む。赤髪を二つに結んだ少女は、目に涙を浮かばせた。それが安心によるものか、残った恐怖によるものかは分からない。だが、彼女が恐ろしい思いをしたことには変わりはないだろう。
「ダイジョウブ、コワカッタ……」
ついに、涙を流し始めてしまった。死ぬと思うほどの騒動、彼女の感じたことを思えば涙が流れてしまうのは当然だろう。
しかし、それなのにこの部屋にいる僕には物音一つ聞こえなかった。
「何が……あったの?」
「ウ……」
「え?」
「ウアァァアアン!」
僕が聞いてしまったのがまずかったのか、少女は泣き始めてしまった。よく考えれば当然だ。恐怖と不安を思い出させるような行為なのだから。
「ごめんね、そんなつもりはなかったんだ。話さなくて大丈夫だよ、もう怖くないから」
僕は、少女の手を包み込んだ。すると、少女は少し安心したようで大声で泣くのをやめた。
「ウゥ……」
(困ったな……外で何が起こってるのか聞けないとなると……自分で様子を見に行くしかないかな)
僕は扉の方へ行こうとしたのだが、少女はそれを良しとはしなかった。
「イヤ、ノー、イッショ、コワイ」
強く僕の手を握って離してくれない。
「でも……」
「コワイ、ヒトリ、ヤダ」
涙でいっぱいになった目で僕を見つめる。僕の苦手な宝石のような目、輝くその目で見つめられてしまったら、もう僕は何もすることが出来ない。そして――。
「カチ!」
少し前まで泣いていたのが嘘のように、少女は悪戯っぽく笑って僕を見る。
「また負けか……」
僕と少女は今、トランプと呼ばれる札を使って遊んでいた。僕にとっては遊んでいる暇ないのだが、少女の目力に力なく敗北してしまい、この様だ。
と言うか、少女もこんな呑気に遊んでいていいのだろうか。少し引っかかる。
「ヨワイ!」
この少女は片言だが、日本語はしっかりと理解出来るらしい。僕が負ける度に煽ってくる。しかし、その煽りは間違いではない。五十回近く遊んでいるのだが、連戦全敗だ。
「モウイッカイ! ダウト!」
ダウト、と呼ばれる札遊び。少女は遊び方を丁寧に教えてくれた。僕にもしっかり理解出来るくらい。遊び方を理解すると、意外と簡単で面白い。頭脳や心理を使い、自分の思うように事を進めていく。そんな遊びなら、大人の僕の方が有利だと思った。しかし、現実はそうではなかった。
「嗚呼……いいよ」
(ラヴィさん……呼んだ方がいいのか? でもそうしたら、人を入れてしまったことがバレてしまうよね。僕は約束なんてしていないけど、向こうにとってはしてるんだもんなぁ)
怒られてしまうかもしれない。というか、この行動色々影響があるような気がしてきた。
(どうしようどうしようどうしよう)
「ツギハ、イノチ、カケル」
「命? 命って言った?」
命を賭ける、そう聞こえた気がした。
(いや、まさか……相手は閏くらいの子供だよ? 賭けなんて……しかも命? 冗談か聞き間違いだよね?)
「ハイ! アナタ、ヨワイ! コロス!」
無邪気な笑み、それは僕に恐怖を与えた。ラヴィさんの言っていたことは真実だった。ちゃんと、素直に聞いていればこんなことには――。
「僕を馬鹿にしてるんだよね? だって君は……」
「ワナハマル、オロカ。ゼンブ、ウソ。オウ、コロス。デモ、コノカード、ショウリ、コロサナイ」
笑顔を浮かべたまま、少女は札を全て集めて綺麗に切り始めた。こんなに綺麗に切っている姿を見たのは、今が初めてだ。
(信じていれば……騙されなければ……)
「ハジメマショ」
豹変した訳ではない、ただ純粋な笑みを僕にぶつけ、命を賭けるこの勝負を始めようと言ってくる。
「嫌だ」
「アナタ、ヒミツ、バラス、ケモノ、アナタノスガタ」
「なんで……」
「ドウシ、イザヨイ」
その名前を聞いた瞬間、体に電気が走るような感覚を覚えた。また、あいつにはめられた。一体、どこまで見通しているというのだろうか。
「あいつ……!」
「ドウスル? キャハハハハハハハハ!」
こうなってしまった以上、選ぶものは一つだけ。守るべきものを守る為に――。
(ごめん、母上)
「勝つよ、僕が」
この少女が何者であるのか、思惑全てを知ることは出来ない。だが、そんなことはどうでもいい。国と未来さえ守られるのなら。この一つの命、賭けてやる。