自分の心のまま素直に
–自室 昼―
しばらく泣き続けて、睦月はようやく落ち着いてきたように見えた。僕は、睦月にいつも持っている手拭いを差し出す。
「手で涙を拭ったら、黴菌が目に入っちゃうよ。だから、はい」
「ひくっ……ううううううう~~!」
一旦、落ち着いていたのに僕の一言によって、再び号泣し始めてしまった。
「ぼ、僕なんか悪いこと言ったかな? ごめん……」
「違う、違うの! ごめんね……うう、なんか勝手に涙出ちゃって、ありがとう巽」
ようやく、睦月は手拭いを受け取ってくれた。
(睦月が泣くの……珍しい所じゃない、初めて見た。怒ったり笑ったりとか怖がったりとか、そういう表情なら何度も見たことはあるけど)
睦月は基本的に明るく元気で、例えるなら家族を照らす太陽みたいな感じだ。
昔、僕が美月に濡れ衣を着せられた時、最後まで「うちはずっと巽の味方だから、元気を出して! 泣かないで! うちに任せなさい! 巽の無実は証明してあげるから!」と優しい笑顔で言い続けてくれた。今でも鮮明に覚えている。お陰で冤罪から救われた訳だ。
でも、悪いことをしたら、父上の次くらいに怖かった記憶がある。気付かぬ内に美月の影響を受け過ぎていた僕は悍ましい。今思えば本当に申し訳ないことをしたと思う。恩を仇で返す典型的な例だった。
食事の時、嬉しさのあまり口調がやや上品になったり、ゴンザレスと会った時、恐怖と驚きの余り気絶してしまったり、かなり忙しい人だと僕は思っている。
そんな睦月が唯一見せなかった悲しみの感情。それを僕の前で見せてしまったということは、相当な何かがあったのだろう。
僕がそんなことを考えていると、睦月が手拭いで目を抑えながら口を開いた。
「……自由って何だと思う?」
「え? じ、自由?」
思いもよらぬことを聞かれて戸惑った。
(自由って……なんで急にそんなこと……)
「うん、自由」
「ん~、やりたいように生きたいように自分の思うままに、みたいな感じかな? どうだろう?」
「そっか、そうだよね。何からも拘束されず、自分の心に従う……うちもそんな感じ」
「どうして、自由の意味を?」
「ほら、人間って急に気付いたら考えちゃってることってあるでしょ」
「うん」
僕は頷いた。急に気付いたら、僕はもう今日だけで何度もそれをした。
でも、それには理由があった。見たり、思い出したりして、考えにふけってしまうのだ。だから、唐突に理由もなく考えることはない。
(何かあったんだ。自由に関すること……そんなの僕らには腐るほどあるけど)
「うちは自由だと思ってた。そりゃ、十五になるまで外出出来なかったりとかはあったけど、それがうちの小さい頃には当たり前っていうか、常識だった。それでも楽しかったしね、城内って結構広いでしょ? 退屈しなかった。それに可愛い妹や弟達、カッコいい父に、理想的な母、幸せじゃないはずがなかったわ。そして、両親達との間で決まった婚約者。うちは嫁いで家庭を持つ。将来も未来も何もかも見通せて、理想の母のようになれる。うちの夢が叶う、幸せだと思ったわ」
「そうだね。昔からよく言っていたよね……今の母上のようになりたいと」
「それにね、未来が決まっているのは当然で当たり前だと思ってた。それに逆らうことなんてどんな思いがあっても駄目だし、贅沢だとも思ってたわ。だけど……それは揺らいだ。違うの」
(揺らいだ……?)
「知ってる? 外国や海外の国にはね、自分の思った職業に就けたり、自分の好きな人と結婚出来たり、小さい頃から自由に外出出来る国が沢山あるんだよ。ゴンザレスから聞いたんだけど、ゴンザレスの世界では、それが基本的には当たり前なんだって」
「そうなんだ、ふふ羨ましいね、当たり前か……」
これは僕の本心だ。誰だって一度は自由に憧れる。ないものねだりだ。
「うちはずっと決められた世界の決められたことに従って生きてきた。その上に夢と幸せを抱いて……でも違う。ゴンザレスと話して、これは間違ってるって気付いたの。自分を騙して、相手を騙して手に入れた幸せは不幸な幻想だって。だからね、巽!」
睦月は、突然大きな声を出した。
「な、何……? どうしたの?」
(突然本調子に戻った……凄い)
「うち、自分に素直に生きてみる!! はースッキリした!」
さっきまで泣いていたのが、嘘のように輝いた笑顔だ。
(本当にさっきまで泣いてたよね? さっきまで凄い沈んで話してたよね?)
「泣くだけ泣いて、言うだけ言えたから、心が軽くなったわ! ありがとう、巽!」
睦月は、僕の両手を手に取って上下に激しく揺らした。
「うわぁっ! ど、どういたしまして」
「駄目だね~最後にちゃんとお姉ちゃんらしくしようと思ってたのに~、今までの鬱憤が爆発しちゃったせいかな! でも、巽のお陰! 自分の中で整理出来たし、覚悟も出来た!」
睦月は、クルッと窓の方を向いた。
なびく長い漆黒の髪が、いつもより艶やかさを失っているのに気付いた。身だしなみには、かなり気を遣う睦月が珍しい。
そういうことには、鈍いと言われる僕ですら気付いてしまうほど。それだけ悩んでいたのだろう。
「あっ! 東~!」
睦月は、窓から見える専属の使用人の東に手を振った。僕も、ちらっと覗き込んだ。東は大量の風呂敷包みを持って、重そうだった。
(あれだけの風呂敷何に使うんだ? まるで引っ越しみたいじゃないか)
「さっき、厨房でタイを捌いてもらったんだ! 一緒に、食べよー!」
「はーーい!」
呑気な返事が聞こえた。二人の性格はぴったりだと思う。それは、前々から思っていた。
「じゃあ、巽! うち行くね! 早く風邪治しなさいよっと!」
睦月は元気よく飛び降りると、物凄い勢いで東の下へと向かった。
(さっきより速い。分かりやすいにもほどがある。まぁ、元気になったならいいけどさ……)
僕は見るのを止めて、ベットに寝転がろうと後ろに倒れた。その一瞬、睦月が発した言葉や行動が頭の中で何度も繰り返した。
「最後に」「素直に」「自由に」
僕は、慌てて起き上がる。分かりやすい二人は、鈍い僕に分からせてしまったのだ。




