可愛い子には旅をさせよ
―寧々 颯の部屋 昼―
巽が重い石でも背負っているかのような表情を浮かべたまま、部屋を出るのを見送った後、相変わらずの夫に注意した。
「貴方、もう少し優しく言ってあげることは出来ないの?」
足を組んだまま、巽のいた場所を睨み続けていた夫はようやく頬を綻ばせた。
「そんなに厳しく言ったつもりなどないのだが……」
「今までに比べたらそうかもしれないけれど、もう少し丸い言葉で言ってあげて欲しいのよ。巽だって色々悩みながらやってるんだもの。優しい言葉で温かく……ね? この部屋に入って来た時の巽の表情見た? 首を絞められてるみたいだったわ」
「体調が悪いだけではないのか?」
彼は、目を丸くした。
「本気で言ってるの?」
彼は少々と言うより、かなり鈍い所がある。私も昔、それで相当苦労させられたものだ。私の方から「好きだ」と言って、ようやく想いに気付いて貰えた。それまで、私がそんな風に思っていたことには気付かなかったらしい。
「いつもかなり顔色が悪いからな。しかし、前回は至って健康そうであったぞ。らしくないことを言われたが」
「色々考えてるからそうなってるのよ……巽も思い詰めていたのよ。あぁ、私が話を聞いてあげることが出来ていたら……」
そうは思っても中々難しい。何故なら、なんとなく感じていたからだ。本当の親子ではないことによる溝を。巽は私のことを姉弟達の中で一番最初に受け入れてくれた。
しかし、年月が経った今最も距離があるのは巽だ。遠慮や気兼ねが、そこにはある。私は一度も巽から相談を受けたこともない。それに、自分から日常会話を振って来たことがないのだ。
ただ、それでも最近は少しは埋まってきたのかなと思うことはある。例えば、あの母の日だ。まさか、巽がくれるなんて思ってもみなかった。それを知ってか、皐月と閏もプレゼントをくれた。あの時は、天にも昇る気持ちだった。
「そういえば……何か変ではなかったか?」
「もう、またそうやって話を逸らそうとする」
「違う。そういう訳でもないし、これは巽の話だ」
そう言うと、彼は腕を組んで立ち上がった。どこか納得のいかない表情を浮かべている。
「変? どちらかと言えば、これ以前の方が変だったように思うけれど」
私には、かつて存在した王国の傲慢で横暴だった王のように見えていた。戦いに明け暮れ、周囲のことなど考えず、自分の為にお金を使う。失ったお金は、民に重税をかけることで取り戻す。そんな国が亡びるのは当たり前であった。
もしかしたら、武蔵国も同じ道を辿ってしまうのではないか。そう不安に思っていた矢先のあの戦争。嵐が起こってくれなかったら、長引いていたし、間違いなく敗北していただろう。私達は天に助けられたようなものだった。
「そうかもしれぬが……巽の目のことだ」
「目?」
「嗚呼、巽の目は黒だったか?」
「え?」
一瞬、冗談を言っているのかと思った。だが、彼は冗談を言うような面白い人間ではない。表情も真顔だし、至って真剣な質問なのだ。
(何を言っているのこの人は)
「この国で、黒じゃない人なんてほとんどいないじゃない。彼はずっと綺麗な黒い瞳だったし……変なのは貴方なんじゃ……」
「いや……まぁ、そうだな。どうしても気になったものでな。さっき顔を見た時、違和感を感じたのだ。しかし、気のせいであったようだ」
苦笑を浮かべ、彼は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「変なことを言うのはやめて頂戴。それで、巽が来るまで話してたことだけど」
「大丈夫だろうか……」
彼は心配性だ。先ほどは強気に突き放すような発言をしていたが、未だに子離れ出来ていない親馬鹿だ。それを悟られないように、巽には何故か冷たく接しているようだが、それは絶対に悪影響だ。
巽の性格的にも。改善するように言っているのだが、突き放すのが正しいと思っているようで中々聞いてはくれない。
「心配ならついて行ってあげてもいいのよ。可愛い子には旅をさせよって言うでしょ」
「……その可愛い子は誰を言っている?」
その不器用な所が、母性本能を擽るのだ。他にも勿論数えきれないほど好きな所はあるけれど、そこが一番かもしれない。
「誰だと思う? うふふ」
シワが深く刻まれた顔が、険しくなっていくのが分かる。あまり言われたくないらしい、可愛いとは。そんな所が親子揃ってよく似ている。どちらも私には旅をさせたい、可愛い子だ。