思い出す
―自室 昼―
柔らかなご飯粒が口の中でゆっくりと溶けて、ちょうどいい塩辛さが口一杯に広がった。
「……美味しい!?」
久々だった。人の本来食べるべき物を食べて、美味しいと感じることが出来たのは。
「当たり前だよ! 皐月が作ったんだから~」
皐月は両手を腰に当てて、満面の笑みを浮かべた。
「普通のおにぎりだよね?」
声が震えていた。嬉しい現実に影があるんじゃないかと、疑ってしまう。
「普通のおにぎりじゃないよ! 皐月が愛情をい~っぱい込めて作ったんだから!」
「そうか……そうだよね。そうなんだ……」
(食べられるんだ……皆と同じ物が!)
ある日、突然体が料理を拒絶するようになった。食べても感じるのは、不味さだけ。舌に与えられる、あらゆる感覚が最悪だった。それは、僕に化け物であることを実感させた。受けとめざるを得なかった。
しかし、また突然料理を食べることが出来るようになった。嘘みたいな夢のような、人間であることを思い出させてくれるような。
「もっとあるよ! 食べて食べて!」
皐月は両手一杯に、おにぎりを出した。僕は、それを一つ手に取って頬張る。
「皐月……とっても美味しいよ。ありがとう」
おにぎりは真っ白だ。塩以外に何かされている訳でもない。だが、それはとても美味しかった。素材そのものの味も、調味料の味もお互いがお互いを尊重し合って生まれてくるこの味が、とても好きだったことを思い出した。
「お腹空いてたの?」
「うん。とっても」
自然と笑みが零れてくる。心から嬉しくて、楽しくて、幸せで。本来、笑顔は作るものではない。今みたいに、あらゆる事柄に反応して溢れ出てくるものなのだ。
(じゃあ……もう僕は化け物にはならないのか? あ!)
「どうしたの? 兄様」
突然、全身鏡のある方向へ走り出した僕を見て、皐月は不思議そうに言った。
「ちょっと……ね」
鏡で自分の目を確認した。昨日、僕の目は黄色く変色していた。それが、化け物に近づいている副作用であることも分かっていた。周囲の人間にも異常だとはっきりと分かるくらいだったそれは、今何事もなかったかのように黒に戻っていた。
「あぁ!」
(夢じゃない……夢じゃないんだ! 解放されたのか?)
でも、あの声は言っていた。完全に眠る、と。それを冬眠状態であると例えるのなら、解放されたとは言い難い。
(眠る……いつまで?)
どちらにしても、とても嬉しかった。皆と同じ物が同じように食べられる。人目を避けて、独り食事をする必要がなくなる。それが僅かであっても、僕の未来が確実に延長された。用意する期間も伸びた。それだけでどれだけ幸福か。
「皐月……僕の目を見て」
「へ? どうしたの?」
皐月は不思議そうに首を傾げた。
(あ、そうか。皐月には昨日会ってないから……)
ならば、この状況を知っていた人についた嘘を終わらせる必要がある。
(陸奥大臣……父上……くらいだったかな)
はっきりとは思い出せないが、とりあえず急いで二人の所へ行こう。
「兄様!? ちょっと! まだ全部食べてないよ!」
「ごめん、後で全部……って全部!? まぁいいや。待ってて!」
不貞腐れる皐月を後目に、僕は部屋を飛び出した。