手のかかる兄
―琉歌 廊下 朝―
偵察要員として送り込んだ皐月ちゃんが戻ってくるのを待っていた。昨日の夕刻から始まり、今日の朝に完全に終わった戦。戦というのは、もっと長く続くものかと思っていたのだがそうではなかった。
(お陰で、巽さんの誕生日のお祝いが出来なくなる所だった!)
地下の大きな個室に私一人。窓もなく、ゴツゴツとした岩の壁に囲まれていた。この国で言う王族と呼ばれる人達には、個室が用意されていたみたいだった。
でも、一人で取り残されてしまったみたいでとても怖かった。上で一体何が起こっているのか、巽さんは無事なのか、明日は来るのか、皆生きているのか。見えない恐怖で眠れなかった。
「琉歌さ~ん!」
向こうから、皐月ちゃんが手を振りながら笑顔で走って戻って来た。
「あ、どうだった? 巽さん大丈夫そうだった?」
皐月ちゃんは立ち止まり、一度息を吐き出して呼吸を整えた。そして、笑顔から一変して悲しそうな表情を浮かべて言った。
「やっぱりお祝いして欲しくないみたい……おめでとうって言ったら、兄様泣き始めちゃったの」
「どうしてそんなに嫌なのかな? 昔、お手紙で巽さんに『お誕生日おめでとう』って書いたら、返事が来るのに四カ月も待ったんだよ! 『ありがとう』しか書いてなかったし……それからも何度か送ったことあるけど、そんな感じの繰り返しで……やっぱり駄目なのかな? 皐月ちゃんと閏君の案、素敵だと思うけどなぁ」
先日、地下で皐月ちゃんが遊びにやって来た時教えて貰った案。それは一人でやるのは難しいから、助けて欲しいというお願い。話を聞けば聞くほど、それを断る理由なんてなくなった。
だが、当の本人がこれでは……。
「あのね、琉歌さんは知ってる? 皐月達家族の関係とかって……」
皐月ちゃんは壁に寄りかかり、上目遣いでこちらを見つめた。
「知ってるよ。巽さんとの手紙のやり取りで……書いてあったの。その……皐月ちゃんと巽さんは……」
言葉の選び方が分からない。言葉の選択を誤り、伝え方を間違えてしまったら皐月ちゃんを傷付けてしまう。しかし、上手い言葉が見当たらない。素直な言葉で言ってしまうべきなのか、少し隠して言うべきなのか。
私が言葉に詰まっていると、気を遣ってくれたのか皐月ちゃんが笑顔で言った。
「うん。兄様達と皐月は全然血は繋がってないの、母様も父様も違うから。でも、凄く幸せなの。たまに貴族の人達から馬鹿にされたりするけど……でも、それでも家族で良かったって思うの。兄様はずーっと元気なくて怖い顔してることが多いし、最近は家族皆でご飯食べれないし、姉様達も閏も今は話せないけど……きっと前みたいに戻れるって思ってるんだ! 皐月が皆を元気にしてあげるの! だから、その為にはまずはこの国の王様から元気にしてあげないと駄目でしょ? 兄様が良かったって思えるくらい、どうして今までお誕生日会をしなかったのかって思うくらい素敵な日にしてあげるの!」
その笑顔に曇りも計算は微塵も感じない。純粋に、兄を想うからこその笑顔。この世界に、奪われたものを取り戻したいという願い。
(本当に私より年下で子供なの? しっかりとした子だなぁ……まったく、巽さんったら)
巽さんの不器用さも歪みも、秘密も、嘘もこの子なら全て真っ直ぐに受け入れてくれそうだ。それにしても、皐月ちゃんも大変だ。あんなに、手のかかるお兄ちゃんを持って。
「うん! してあげよう! 絶対に素敵な日にしてあげよう!」
私も皐月ちゃんに笑顔を向けた。
「キャーッ!」
背後から瓶と瓶がぶつかり合うような甲高い音と女性の声がしたかと思えば、振り返る暇もなく上から冷たい液体が私に降り注いだ。