悪夢の始まり
―夕景の間 夕刻―
結局、目は治らなかった。もう永遠にこのままなのかも。仕方なく、僕は慊人の下へと戻った。色々確認する為に。
「多分そろそろ来るで~。余は戦艦に戻るでのぉ」
恐らく数時間近く柔らかい椅子を満喫したであろう慊人は、首を鳴らしながら立ち上がった。
「信じていいの?」
「何を今更……死ぬ気で信じろ。結果がどうなったとしても、それが運命じゃったってことじゃ。巽の運が勝つか、奴らの運が勝つか……見物じゃの」
「後から、色々要求してきたりしない?」
「せんわ、そんなクソ面倒臭いことなんか。余はただ余の信念の下に生きたい、それだけじゃ。それを邪魔するのが奴らでもあるしの。ま、楽しもうで」
慊人は、ニヤリと口角を上げて扉の前まで歩いて行った。そして、取っ手を引っ張ろうとしてやめた。
(ん?)
「そうじゃそうじゃ……一つ言っとかんといけんことがあったわ」
「何? 変なことじゃないよね?」
前例がいくつもある。こんな時でも変なことを言ったり、要求してくるのが慊人という男だ。
「違うわ、馬鹿たれ」
慊人は顔を少しこちらに振り向かせる。僕の背後から差し込む夕陽が、僅かに慊人の頬を照らした。
「余はの……冗談を見抜けるけぇの。あの時のお前の目は……余好みのええ目をしとったわ。何もかも落ち着いたら、本気で一緒に殺り合おうで」
「え……」
僕の返答を待つことなく、慊人は扉を開いて出て行ってしまった。
「勝手だなぁ……慊人は」
あの時、拳銃を手に取った瞬間に今まで慊人からされた散々なことが蘇ったのは事実。死に抵抗もなく、本気で殺されるなら本望である慊人はいいだろう。
(慊人は良くても、慊人以外が良しとはしてくれないでしょ……そうなったら面倒臭い。踏みとどまれて良かったなぁ)
でも、心残りでもある。もし、あそこで引き金を引いていたらどうなっていたんだろうと。綺麗な丸の慊人の頭を貫いたら、どんな風に壊れていったのだろうか。
綺麗な物が壊れていくその瞬間を見てみたかった。思い返されるのは、城下町での出来事。綺麗なガラス細工が崩壊していく様子、美しい壊れ方だった。
(もう一度あんなのを見てみたいな……あ、いいのがある)
ふと、目に入ったのは部屋の隅に置かれていた壺。著名な職人が作り上げた、世界に一つしかない作品だそうだ。壺の繊細な美しさと一つしかないその価値に、自分の中で沸々と湧き上がってくる破壊衝動。気付けば、僕はその壺を手に持っていた。
「フフフフ……」
「何をしている?」
僕の腕は――父上に掴まれていた。父上は壺を奪うと、それを床に置いた。
「父上……どうして」
「聞いた。お前がしようとしていること全て。今すぐやめろ、どんな理由であれ愚かである。皆を巻き込み、人が死ぬ。そんな時代は終わった。今は武力ではなく、対話で解決する――」
「父上はもう王じゃない。僕が決めたことには従って貰います。対話? ハハッ、無駄、無駄ですよ! 対話でどうこうなる相手じゃないんですよ……それにもう始まってますから」
「何?」
父上の表情が険しくなり、刻み込まれたしわの上にしわが重ねられていく。腕を掴む力が強くなって、骨の軋む音がし始める。
「平和ボケですか? 僕はもう行きますね」
腕を掴む父上の手を振り払った。しかし、すぐに僕の目の前へと移動し行く手を阻む。
「っ!? その目はどうした!?」
目と目が合った時、父上は初めてこの目を認識したらしい。父上にしては、珍しく動揺しているように思えた。
「うるさいなぁ……こっちは急いでるんだよ」
しかし、相手にしている暇はない。こうしている時にも相手は迫ってきているだろうから。
そして、僕は目の前に立ちはだかっていた父上を突き飛ばし、扉を開いて武者達の所へと急いだ。