思い出の中の人
―光儀楼 夜中―
「へ……?」
「王様。巽、ひさしぶり。一応、彼がいたから知らないフリしてたんでしょ?」
目の前で平然と僕が王であり、巽であると言い張った薫太夫。彼女がその事実に驚いている様子は見られない。むしろ、嬉しそうだ。
しかも知らないフリとは一体どういうことだろうか。
「あ、あの……知らないフリって?」
「あたしと巽が昔からの知り合いってことだよ。小さい頃、何度か遊んであげたじゃない。最後に遊んだのは海だった……はず」
彼女は思い出を辿るように言う。
(どういうことだ? 何が何やら……どうしたらいいんだ? どう対応すればいい? どう答えれば?)
予想の斜め上の回答に頭が真っ白になった。僕は知らない、いや覚えていないのだ。綺麗さっぱり、記憶から抜け落ちた彼女の存在。しかし彼女は知っている、思い出として。
今まで僕は人のことを忘れたことはないと思っていた。しかし、その考えは誤っていたようだ。
「いつから……」
「町で見た時、前みたいに巽が女装してたから。すぐに分かったよ、勿論美月もね」
「あの……さっきから思ってたんですけど男としての僕をとか、女装とか……どういうあれなんですか」
本心で言えば、知りたくない答えだ。知りたくないが、知ることを恐れてはいけない。
「ん? 昔から貴方は、皆の前に来る時は女装だったでしょ。でも、あたし達も最初は気付かなかったんだ、巽が男だって。気付いたのは最後に遊んだ海の時だったの。美月に騙されてたって聞いて、もう笑っちゃった。だけど、その後笑えないことが起きてしまったし……ねぇ、それが原因で外に出るのが怖くなったの?」
(美月に騙されてずっと女装!? なんてことを……そんな屈辱的なことすら覚えていないなんて……はっきり言ってこれは異常だ。僕は思い出を奪われたのか? でも、そんなことをする人なんて……)
心当たりがあった。そんな行為をする人間なんて限られてくるし、それを平気で実行しそうな人。それは十六夜だ。なんの根拠もないが、疑うには今までのことから十分過ぎるくらいだ。
「ね、無視しないで」
薫太夫が睨んでいた。背筋を氷でなぞられた気分になる。
「ご、ごめんなさい! なんでしたっけ?」
こう対応していることが正しいのか、間違っているのか。もうよく分からなくなってきてしまった。
「海で溺れてから、外に出るのが怖くなったの?」
(彼女は昔の僕を知る手がかりになる……)
「多分……そうだと思います」
「多分? どうして自分ことなのに他人事みたいに言うの?」
「その……信じて貰えるかどうか分からないんですけど……」
今まで誰にも言わず、必死に隠し通したこと。忘れているという現実から目を逸らし続けてきたこと。それを今日、この時を持って卒業する。折角のまたとない機会。
(僕が人間である時を少しでも延ばせるなら!)
心の中で大きな覚悟を決めた。
「覚えていないんです。六歳以前の出来事を、思い出を。貴方のことを何も覚えていない。だから、その思い出を僕に教えて下さい。お願いします……」
僕は頭を下げた。
「別にいいけど……そのことをあたし以外にも、ちゃんと言ってるよね? 普通そんなの大問題になるんじゃ……」
頭を上げる。すると、何故か薫太夫が目を潤ませていた。
「言ってません。誰にもそのことを悟られないように、気付かれないようにしてきたので」
「駄目。そんなの。それに……昔から思ってたけど、巽って隠すの下手でしょ。美月ならすぐに見抜いてそうだけど……ねぇ、美月は今どうしてるの? 前は隣にいたよね? 外に行く時は、いつも一緒でしょ。吉原じゃ、あまり外の世界のことが入ってこないの。ねぇ、教えて」
「美月は……」
心が痛くなる。それと同時に、まだ僕にそんな感情が残っていたのだと安心出来た。それが例え束の間でも。
「ずっとずっと、眠らされています」




