笑顔は何を照らす
―自室 朝―
最後の肉の塊を嚙みちぎろうとした時だった。
「ホヨー! 忘れてたホヨー!」
ホヨの声が突然背後から聞こえた。その声に驚いて、僕は思わず肉の塊を一気に飲み込んでしまった。
「うぐん!?」
「手紙を盗んできたのに、それを出し忘れるなんてホヨとしたことが……ホヨ?」
ホヨは、僕の様子がおかしいことに気づいてしまったようだ。この状況を、ホヨに見られてしまうのは少し不味いかもしれない。
僕の目の前の床は少し血で汚れているし、僕の手も口も汚れている。が、それ以上に大変なのは、息が今現在出来ないことだ。
(どうしようどうしよう息が出来ない。喉に詰まった!)
喉を必死に動かして、肉の塊を上へ上へと押し上げようとしてみるものの、上がる気配はないし、寧ろもっと下に落ちている気がする。
「うあっ……げほっげほっ!」
とりあえず咳も無理矢理出してみたものの、あまり効果は感じられない。
「ホヨ~?」
ホヨがこちらに向かってきているのを感じた。僕のことを普通の人間だと思っているホヨに対して、あの猪をそのまま食べたとか知れたら、きっと恐れられる。溝が生まれてしまう。
(嫌だ……種族が違うとは言え、折角の友達とそんな関係……!)
混乱し、様々なことが入り乱れる頭ではここから逃げ出すということが最善に思えた。
僕は、部屋の扉に向かって一目散に向かう。
「どうしたホヨ!?」
(来ないでくれ……ほっといてくれ……)
僕は扉を開けようと、手を伸ばした時だった。
「うわぁぅっ!?」
僕は突然開かれた扉に弾き飛ばされた。その衝撃で喉の詰まっていた肉がストンと取れた。
「巽様!?」
扉を開けたのは、どうやら小鳥だったようだ。
(あ、ホヨは?)
恐らく先ほどまで僕のすぐ後ろにいたであろうホヨが、ちゃんと姿を消したのかどうか確認するため振り返る。
いなかった。いるんだろうけど、姿を消して完全に気配すら感じない。大したものだ。
「部屋からお返事がなかったので、今日もまたいらっしゃらないのかと思って……言い訳ですよね。私がゆっくり開けていれば! ああっ……口から血が! あ、床にまで! 私のせいで……」
小鳥が、涙目で顔を真っ青にして口を押える。小鳥のお陰で喉に詰まっていた肉は取れたことで一つの問題は解決したが、もう一つの汚れの方の問題は解決することは出来なかった。
「ち、違う! 小鳥のせいではなくて……これは……その……そう! トマトだよ!」
我ながら最悪の誤魔化し方だと思った。しかし、赤で血ではないとなるとこれしか咄嗟には思いつかなかった。
「トマト……?」
小鳥は怪訝そうに首を傾げる。
「そ、そう! 正確にはトマトの飲み物だったんだけど……いや~参ったね。むせちゃった! ハハハハハハ……ハハ……」
「一体どれだけ飲んだんですか?」
小鳥は床を見ている。僕も恐る恐る見てみたが、この汚れ方はそれが入った樽をこぼしたみたいだった。
「いや~ハマったんだよね~。なんか急に飲んでみたくなっちゃって! 飲んでみたら美味しくて! 野菜だし体に良さそうだから、飲むなら大量に朝がいいかなって思ったんだ!」
「飲めばいいってものではないんですよ? 適度な量を飲むのが一番です。だからむせちゃうんです」
小鳥はクスリと笑った。
「嗚呼……今回のことで嫌ってくらい分かったよ」
小鳥に、この嘘はバレなかったみたいだ。
「それにしてもこの汚れは酷いですね……」
小鳥は、ジッと床を見て考える。
「ごめん……」
トマトの飲み物ではないが、血で床を汚してしまったのは事実。絨毯を剥がして洗濯というのは難しいし、大変だ。魔法を使えば剥がさずに出来るが、工程がそれなりにあって時間がかかる。つまり、僕のやったことは迷惑極まりない行為だ。
「いえ! 使用人としての血が騒ぎます!」
小鳥の目は輝いていた。
「これだけの汚れは中々落とせないんじゃないのかい?」
「いえ、大丈夫です! 私には秘策があります!」
そう言うと、小鳥は大きく息を吐いて目を閉じた。
(ん? 何をするんだ?)
刹那、透き通るような青い光が僕の部屋を包み込む。
「これは一体……」
それと同時に部屋の空気が冷たくなった。それと同時に爽やかな、心地良い風が吹いた。小鳥は僕の呼びかけにも応じないし、状況があまり理解出来ず困惑していた。
しばらくして、小鳥が目を開けると部屋の光も空気も風もなくなって、いつも通りになった。
「お掃除完了です!」
小鳥はピシッと敬礼をした。
「え?」
僕は下を見る。そして驚愕した。
「消えてる!?」
信じられない、あれだけ染みつくような汚れが一瞬で。
「私が考えた魔法なんです! 作業効率は上がれば上がるほどいいのです!」
(これだけの魔法を小鳥が一人で? 組み合わせたってことかな? 風と水と……染みを消すのは確か結晶化がいいとかなんとか……小鳥ってまだ子供なのに……いや子供だが、王専属の使用人に大人を差し置いて選ばれるくらいだ。それくらい出来るものなのかな)
「凄いな……魔法の組み合わせなんて、そう簡単に出来るものじゃないよ。どうやってるんだい?」
「私も実はよく分からなくて……出来ないのかな~って思ってやったら出来たんです」
小鳥は申し訳なさそうに笑う。
「それってかなり凄いよ。小鳥は天才なんじゃないかな」
「そんなそんな……説明が出来なければ意味がないのと一緒です。だから頑張ります!」
小鳥は、先の未来さえも照らしそうな笑顔を浮かべた。
幼いながらも小鳥は向上心の塊。元々あるもの影響しているのかもしれないが、それを伸ばす力があるのだろう。それだけの人間が努力をすれば、どこまでも伸びていく。僕みたいな最初から何もなかった人間とは違う。小鳥と僕とでは始まった位置が違う。
小鳥の笑顔は眩しい。どこか遠くて、永遠に届かない、触れることの出来ない、許されないものだと感じたから。




