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僕は僕の影武者  作者: みなみ 陽
十一章 もう戻れない
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世界一醜い涙

―廊下 夜―

「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」


 廊下で泣きじゃくりながら興津大臣は歩む。右手と左手が交互に涙を拭くのに忙しそうだ。


(まるで、僕が泣かしたみたいじゃないか……)


 こんな時に限って廊下に人が多い。皆、ジロジロと僕達を見る。


「大丈夫だよ、別になんともないから……だから泣かないでくれ……」


 本が落下してきた時の衝撃は半端じゃなかった。


(もし、まだあの傷が癒えてなかったら今頃大事だ。死んでてもおかしくないような怪我が、肉を食べてから一週間程度で完治するのは異常だ。つまり、あの言い伝えは真実……)


 しかも、床に倒れてしまった時にかなり厚い本が嫌がらせのように腹部にいくつも衝突した。ゴンザレスは、あんなに分厚い本を大量に読むつもりなのか。

 比較的、新しい本のように見えたから図書館の物ではないとすぐに分かった。興津大臣に頼むくらいだから、それなりの申請が必要になるような本なのかもしれない。


「うぅ……巽様を殺してしまったのではないかと思いました……」

「勝手に殺さないでくれ」


(まぁ確かにあれだけの分厚い本が、もし頭に直撃していたらと思うとちょっと怖いな)


「私がしっかりしていないから……私がちゃんと本を分けて持って行けば良かったんです。私が悪いんです……こんなんだから私……わあぁぁぁあああぁぁぁん!」


 興津大臣は座り込んで顔を手で覆い隠し、周囲はざわめく。そして、彼女の泣き声が廊下で響き渡る。


(めんどくさ……)


 ため息が出そうになるのをなんとか堪えて、僕も彼女の横にしゃがみ込む。


「大丈夫?」

「ううううう……ああぁぁぁ……ごめんなさい。ごめんなさい……」

「落ち着いて?」


 僕は彼女の背中を優しく撫でた。僕が昔泣いた時、睦月がいつも優しく背中を撫でてくれたからそれ真似てみたのだ。当時の僕には凄く安心を与えてくれるものだった。


「思い出してしまって……うぅぅぅ……」


(全然関係ないことでこんなに泣いてるのか? 勘弁してよ……あぁでも聞かなかったら、ずっとこのままなんだろうなぁ。聞けばいいんでしょ聞けば)


「何があったの?」


 僕がそう尋ねると、彼女の肩がピクッと震えた。


「うぅぅ……聞いてくれますか?」


 彼女は、手から顔を離すと僕の方を見た。涙で顔がぐちゃぐちゃで酷いありさまだった。


(聞いて欲しいんでしょ……)


「嗚呼」


 僕は笑顔を作って笑いかける。引きつらないように、あの時の彼女の笑顔の作り方を思い出すように。


「私……好きな人がいるんです」

「好きな人?」

「はい……でも、その人は私のことなんて見てもくれないんです」


 興津大臣が語り始めたのは恋の話。それも、僕の一番返答に困る失恋に近い話だ。


「でも、見てくれなくてもいいんです。私にとってその人は憧れで理想で手の届かない遥か遠い人ですから。だけど――」


 そこから、突然彼女の口調が変わった。


「その私にとって手の届かない人に汚らわしく触れていた女がいたんです! それを今日知って……ずっと許せないんです! もうその女はいなくなってしまいましたけど……でも許せない。あんな汚い手で彼に触れた!」


 目を見開いて、大きく口を開いて僕にぶつけるかの如く言い続ける。


「体だけじゃなくて心にまで入り込んで……彼を穢した! もういない癖に! 存在しない癖に! どうして、私じゃなくてあいつなんですかねぇ? 私が……私では力不足だからでしょうか? ずっと彼の為にやってきたのはこの私なのに!!」


 さっきまで、大声で泣いていた女性だとは思えないほど凶変している。怒気を含んだ大声が廊下で反響する。周囲の人も静まり返るほどだ。


「何もかも上手くいってしまったら面白くない……でも全て上手くいかないのはもっと面白くない……どうしたら、彼から穢れと汚れを奪うことが出来るんでしょう? 永遠に取れないのに!」


 すると、当然興津大臣は僕の胸倉を掴んで押し倒した。


「は!?」


 力強く高圧的。普段、自信もなく震えている姿が信じられない。


「……彼がいなくなっても文句言わないで下さいね。力不足で役立たずの私には、それしか出来そうもないんです」


 それでも彼女は涙を流していた。静かに、ゆっくりと、怒りと悲しみと憎しみを含んだ、恐らく世界で一番醜い涙を。

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