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僕は僕の影武者  作者: みなみ 陽
九章 母
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紫の着物

―自室 夜―

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「いやいや……閏の方こそ大丈夫かい? 怪我してないかい?」


 それなりの高さがある所から落下したにも関わらず、閏は泣くこともなく、普通にまた窓の所まで浮き上がった。


「僕、怪我してないよ」


 閏は、クルッと一回転して見せた。確かに怪我一つない。ちょうど下にあった植え込み植物が衝撃を吸収したのだろう。


「良かった……それにしても閏は凄いね。あんな高い所から落ちて、泣かないなんてさ」

「泣いたらお兄ちゃん心配する。それに強い男は泣かないんだよ」

「強い男か。それを言ったのって父上かい?」

「うん!」


 閏は元気良く頷いた。僕も何度も言われ続けて来た言葉だ。その言葉を実行しようとしても、残念ながら僕には出来なかった。でも、閏はそれが出来ているのだから大したものだと思う。あれだけの高さから落ちたら、普通閏くらいの年齢だったら泣くと思う。だが、閏は涙を堪えている訳でもなく、ただ平然と僕を見ている。


「負けちゃうな。閏は僕よりもずっと強い子なんだね」

「そんなことないよ。僕、まだまだだから。お兄ちゃんみたいにならなきゃって思うの」


 閏は、にこりと笑った。


(駄目だ……駄目だよ。僕みたいになっちゃ駄目だ)


「僕みたいになる必要なんてないよ。閏は今のままで十分だから」


 どうか僕みたいにならないで欲しい。僕みたいなってしまえば、あらゆる所で無駄に苦しむだけだ。元々大した器じゃないのに、周囲からの過大評価でここまで来てしまった。

 どんなに努力した所で元々の才能のなさのせいで苦労ばかり。言わなければいけないことも言えず、嘘ばかり重ねて最低の屑になる。閏には、絶対にそうなって欲しくない。


「……ねぇねぇ、お兄ちゃん。凄く顔色悪いよ」

「え?」


 閏は、じっと僕を見る。


「さっき最初にお兄ちゃん見た時から思ってたんだけど、言いそびれちゃって。それに……信じて貰えるかどうか分からないけど……怖い女の人が後ろにずっといるの。さっき、その人に突き落とされたの」


 そう言うと、閏は僕の横を指差した。勿論そこには誰もいない。でも、閏は真剣な表情で、嘘をついているとは思えなかった。閏の言葉で再び恐怖を思い出したと同時に、今日の不可解な現象に理由がついたと思うと少し気が楽になった。


「どんな……女の人なんだい?」


 閏にその恐怖が悟られないように、僕は笑顔を作りしっかりと言葉を話す。


「髪が長くてね、お顔を隠してるの。それでね、紫の着物を着てる」

「紫の着物……!?」


 紫の着物、それは本当の母上が生前着ていた物だ。僕自身は直接見たことはない。でも、写真や絵などで着ているのを見たことはある。それに、睦月が母上がどんな人だったかを教えてくれたことがある。少し遠い記憶であるのであやふやだが、確か何かの目立つ模様が入った紫の着物がお気に入りでよく着ていたらしい。そして、綺麗で長い黒髪の女性だったと。そして、その着物を着て母上はあの世へと旅立ったらしい。


「ねぇ閏。その着物には目立つ模様がある?」

「うん、凄く大きな花が沢山ある」

「そうか……」


(嗚呼……母上、やはり貴方は僕を恨んでいたんだ。恨んでいたから、あの時花を落として、僕の背後に置いたんだね。そうだよね、僕みたいな奴に貰ったって嬉しくもなんともないよね。そのことに気付いて欲しくて、不思議なことを……分かったよ)


 僕は、閏がいる窓の外に身を乗り出す。


「どうしたの? お兄ちゃん?」

「今すぐにやらないといけないことがあるんだ」


 もし、このまま不可解な出来事を無視し続けていたら閏みたいに、いやそれ以上の危害が他の人に与えられる可能性がある。


(手段を選んでない……相当怒っているんだろうな、だから閏にまで)


 閏の表情から、心配しているというのがよく伝わってくる。


「大丈夫。自分で彼女のことを解決するだけだから。閏は一応怪我していたらいけないから、ちゃんと医務室に行くんだよ」

「う……うん」


 僕は飛び降りて、走って墓場へと向かった。


(僕の勝手な都合だけで、理想だけで……母上が怒るのも無理ないな。自分を殺したも同然の奴に、そんな花を貰ってもちっとも嬉しくなんかない……)

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