無駄で邪魔な時間
―第四会合室 夕刻―
最低且つ最悪の時間だ。その時間を作り出すきっかけになったのは、笑顔でステーキを食べ続ける男性に食事を無理矢理申し込まれたからだ。
机を挟んで向かい合う形で僕達は座っている。そして、互いの机の上には白い皿に香ばしいステーキがあり、その皿の右上に酒が置かれていた。
正直、肉がなかったら拒否していたかもしれない。あの後、急いで部屋に戻り、隠していた肉を頬張った。だが、やはり半分だけでは足りず、公務中も気が散ってしょうがなかった。
いつものように、夕食までの時間を耐え忍ぶ方法を考えていた、そんな時にこの丸々と肥えた男に話しかけられたのだ。
「素晴らしい肉でしょう。流石の巽様でも食べたことのない肉かと思いますよ」
口を動かしながら、男はそう言った。それは、何となく匂いで分かった。上質で上品な匂い。きっと、口に入れれば溶けるように消えるだろう。
「何となく分かるよ。でも肉はおまけだろう? ただ貴方が食べたかっただけ。早く用事を教えろ。僕は暇じゃない」
僕は両脇に置かれた器具を使い、まずは肉を一口大に切り分けた。
「ガハハハ、機嫌良く互いに話したいですからなぁ。分かりました。ではお伺い致します。洋子はどこに?」
「洋子?」
僕は、その人物が何者であるか分からなかった。僕と関わったことのある人だろうか。
「ガハハハ……冗談でしょう。貴方は洋子を忍者達に命令し、どこかに連れ去った。その洋子のことを知らずに、それが出来る筈がない!」
にこやかに肉を頬張り続けていた男性の手が止まり、怒りを滲ませていた。
「あぁ、彼女か」
(やることはやったからすっかり忘れてた。あの迷惑で邪魔で厄介だったあれのことか。彼は彼女の父親だろうか)
「我輩は、娘がどこに行ったのか知りたいんですよ。公衆の面前で大恥をかかされた洋子が気の毒で気の毒でならない。劣悪な環境で労働させられているのは本当でありましょうか!? あの子は気が弱くて、心優しい子だ。嗚呼、心配だ!」
そう言うと、男性は頭を抱えた。
(本気で言ってるのか? 気が弱い? 心優しい? この父親は子供の何を見ているんだ? 全てにおいて正反対だとしか感じないんだけど。典型的な過保護親馬鹿か)
僕は、一口大にした肉をゆっくりと口の中へと入れる。肉が予想通り、まろやかに味を感じさせながら溶けていく。
「劣悪な環境で労働などしていない。彼女は、特に浪費や無礼が過ぎる傾向にあった。お灸を据える為に少しの間ここから離れて貰うだけのことだ」
今彼女は、山奥の寺で修行をしているらしい。忍者から聞いたことしか分からないが、聞いた様子だと、もうしばらく彼女は修行することになると思う。
「洋子はそんな子ではありませんぞ! ただ普通に生活し、ただ普通に人と接しているだけのことでしょう!」
「普通かい。貴方にはそう見えてしまうとは、恐ろしい」
思わず笑ってしまった。彼の彼女に対する愛情が、彼女本来の姿を隠してしまっている。そして、勘違いをし続けたまま、彼女は大人になったのだ。
『王様、王様、見つけたよ。少し時間がかかったけど、見つけたよ。見つけたよ。探し人は人里離れた農村にいたよ。山口村で男と二人でいたよ。見つけたよ。見つけたよ。僕に命をありがとう王様、ばいばい』
外から脳に向かって話しかけるような声が聞こえた。それは、時折聞こえるあの僕に似た声ではなく、あの人形を空から放つ前に聞こえた声だ。
『見つけてくれたんだ、有難う』
僕が頭の中でそう答えたものの、もうその声は聞こえる様子もなかった。もう人形の仕事は終わってしまったからだ。
「――巽様! 巽様!」
男性の声が僕を呼び戻す。そういえばそうだった。まだ話している途中だった。
「我輩の話聞いておられますか!?」
「聞いてる聞いてるよ」
(どうでもいいから、早くこの話を終わらせてくれ、面倒臭い)
やっと睦月の居場所を突き止めたのだ。今この時間が無駄そのものであることに変わりはないが、無駄を通り越して邪魔になってしまった。
「嗚呼、どうして我輩の娘だけこんなことに……! やはりあんな父親を持つだけありますな! ろくな者ではっ!?」
男は目を見開いたまま固まっている。そんな男の後ろの壁には、小刀が突き刺さっていた。僕は自分の手を確認すると、手に持っていた筈のそれがなくなっていた。
「あれ? 申し訳ない。手が少し滑ってしまったみたいだ。死ななくて良かった。それと、この肉美味しかったよ。それじゃあ、失礼」
僕は椅子を後ろに引いて立ち上がる。男は生きたまま調理される豚のように震えていた。




