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1.流離う者たち

 無数の光の欠片が散らばった闇の世界。

 

 分厚いガラス越しに手をかざすと、闇はひんやりと冷たく、徐々に体温を奪い取っていく。

 

 いつ眺めても変化がない。

 

 だが、ベルティスは知っている。

 

 光のような速度で移動している自分たちを囲む景色は、刻々と移ろいで行っているのだと。

 

 

 景色。

 果たして、景色と呼べるほどのものだろうか。

 

 窓の外に広がる景色は常に星空だ。

 頭上はもちろん足下も。

 

 透明ガラスに囲まれたこの場所に立つと、宇宙空間に放り出されたような錯覚に陥る。

 

 

(だけど、好き。この場所が)

 

 

 

 

 


 

 

 かつてはこの場所で星を読み、地球と自分たちの距離に涙していたらしいが、もはやそれは遠い昔の話。

 

 

 多くの友人たちは、この場所を怖いと言い、近付かない。

 

 また、他のクラスメイトたちも、教師たちも、これと言ってこの場所に用がないので、めったに立ち寄らない。

 

 だから、一人で考え事をするには打って付けの場所なのだ。 

 

 

 

 

 胸が苦しい。

 

 近頃、大きく膨らんできている気がして、憂鬱だった。

 

 身長はとうに止まってしまっている。

 

 声は一向に低くならないし、細い手足や腰も視野に入る度に気が滅入った。

 

 

(別に今更、男になりたいなんて言わないけどさ)

 

 

 お前は女になるしかないと言われているようで癪だった。

 

 

 

 


 

 

 

 実際、周りは皆、ベルティスが女になると思っている。

 

 疑いやしない。

 

 ドアを開けてくれたり、荷物を持ってくれたり、人が聞いたら羨むような待遇を受けているけれど、そんな風に女扱いをされることが堪らなく悔しかった。

 

 

(まだ女になったわけじゃないのに)

 

 

 18歳になり、高等学校を卒業すると、性別が決められる。

 

 それまでは男でもなく、女でもない。

 また、男でもあり、女でもある。

 

『未分化』と呼ばれる子どもたちは、多少の個人差はあるが、男女どちらの特徴も見られる体を持っているのだ。

 

 

 


 

 

  個人差。

 

 

 ベルティスも未分化であるが、その華奢な体はどう見ても女性的である。

 

 

 

 陶器のような白い肌。

 腰まで届く黄金色の髪は、大きく波打っている。

 

 丸みのある顔に、キラキラと輝く碧い瞳。

 

 唇は赤く熟れたようで、誰もが思わず、触れたい、と願うほど愛らしい。

 

 

 

 ベルティスはガラスの壁に寄りかかり、足を前に放り出すようにして腰を下ろした。

 

 通常は、その下にタイツを穿くものだが、ベルティスは膝上丈のスカートしか穿いていない。

 

 そのため、肌が直にガラスに触れる。

 

 たちまち熱を奪われたベルティスの脚は、ガラスと同じように冷たくなっていった。

 

 体が徐々に凍っていくような気さえする。

 


 

 

(エルド…)

 

 

 呟くように、今一番会いたい相手の名前を呼んでみる。

 

 迎えに来てくれたら、それで良し。

 来なかったら一生ここに居たっていい。

 

 そんな気分だった。

 

 

 

 ベルティスたちの祖先が地球を脱出してから三世紀ほどが経っている。

 

 しかし、未だ自分たちは目的地に到着できていない。

 

 おそらくベルティスが生きている間に到着することはないだろう。

 

 目的地の土を踏むのはベルティスの数代先の子孫たちだ。

 

 

 そのことは、地球を出る際に計算済みのことで、祖先たちはもちろんベルティスたちも心得ている。

 

 


 

 

 よって、自分たちの使命はより多くの命を生み出し、繋ぐこと。

 

 

『船』という世界で、けして絶えぬことである。

 

 

 ――そう。

 

『絶えぬ』ために祖先たちは地球を脱出したのだ。

 

 

 

 もはや遠く、心に思い描くことさえ難しい地球。

 

 その星の荒廃は、どうすることもできない状態にまで陥った。

 

 

 地球に見切りを付け、宇宙へと飛び出した祖先たち。

 

 彼らが自ら課した課題は、目的の地に着くまでに巨大な船に多くの命を溢れさせること。

 

 

 ところが、未だもって船の七割方が無人エリアだ。

 

 当分、達成されそうにない課題は、ベルティスたちへと受け継がれてきた。

 

 


 

 

  船で生まれた子どもは、必ず未分化として誕生する。

 

 

 そして、成人後、ホルモン剤を飲むことで男女の性別を持つ。

 

 そうやって船内の男女比は、地球を去ってからずっと三対七に保たれてきた。

 

 

 男よりも女の数が多いので、必然的に、一夫多妻制の社会が敷かれている。

 

 

 

(男になって何人もの女を侍らせてやる)

 

 

 ベルティスも幼い頃は当然のことのようにそう考えていた。

 

 

 

(いつの間にか、男にならなくてもいいや、と思うようになっていたのだけど)

 

 

 女になりたいわけではない。

 

 ただ、エルドが男になると言っているから、ずっとエルドと一緒にいるために、自分は女になった方がいいのだろうと思っているだけ。

 

 


 

 

 エルドもベルティスは女になるものだと信じて疑わない一人だ。

 

 エルドは、自身は男となり、ベルティスを女にし、そして2人で夫婦となるつもりでいる。

 

 それは構わない。

 エルドが好きだから。

 

 だが、なぜか気に食わない。

 

 

 

 女に与えられた権利はただ一つ。

 自分で夫を選べることだ。

 

 男に求婚されても女はそれを断ることができるが、女から求婚されたら男は断ることを許されない。

 

 一夫多妻制の社会で、ベルティスはエルドだけのものになれるが、エルドはベルティスだけのものにはならないだろう。

 

 


 

 

 エルドがベルティス以外の妻はいらないと言っても、エルドの妻になることを望む女が現れたら、エルド自身にもベルティスにもどうしようもないからだ。

 

 

 そして、何よりもベルティスの頭を悩ませることは、エルドが気の多い性格であるということだ。

 

 最終的にはいつもベルティスの元に戻ってくるのだが、ふと気付くと、他の誰かと姿を消していることがある。

 

 エルドがベルティス以外の妻はいらないなどと言う可能性は零に等しいように思う。

 

 

 

 

 堅い靴底がアルミ製の簡易階段を上がってくる音が響いて、ベルティスは気のない視線を数メートル先へと送った。

 

 


 

 

  ガラスの床に半畳ほどの入り口があり、階段が取り付けられている。

 

 階段を下りると、高等学校の廊下の端に繋がっており、廊下を少し歩くと教室に着く。

 

 今は授業中だが、教室はガランと静まりかえっているはず。

 格闘技の時間だからだ。

 

 

 

 ミトラと呼ばれるそのレースで、性別が決まる。

 

 ミトラは剣を使った戦いである。

 死者が出た例はないが、真剣勝負が繰り広げられる。

 

 そのミトラのための授業が、格闘技の時間として設けられていた。

 

 

 だが、男になる予定のないベルティスにとっては、関係のない授業だ。

 

 いつもなら武道場の上に設けられた観覧席で見学しているのだが、今はそんな気分ではない。

 

 ミトラが行われる日が近付いているせいだ。

 


 

 きっとエルドはミトラで勝ち進んで男になるのだろう。

 

 そしたら、自分はどうなってしまうのだろうか?

 

 

(気が滅入る)

 

 

 

 カン、カン、カン、と、甲高い音を響かせながら階段を上がってきた人物は、床に座り込んでいるベルティスの姿を見つけて、一瞬頬を緩め、すぐに眉を顰めた。

 

 

「珍しいな、お前が授業をサボるなんて」

 

「出ても仕方がない授業だったから。どうせ見学だよ? ――エルドこそ格闘技の授業なのにサボるなんて珍しいね」

 

「だって、お前いないし」

 

 

 エルドはやや乱暴な口調で言うと、ベルティスと並ぶように腰を下ろした。

 

 

「ケツ、つめてぇ」

 

 

 ガラスの冷たさに、エルドは顔を顰めた。

 

 


 

  「お前、よくこんなところで……」

 

 

 言葉を切って、エルドは顔を険しくする。

 ベルティスの太股に手をやり、その体がすっかり冷えていることを知ると、舌打ちした。

 

 

「何やってんだよ!」

 

 

 腕を引かれ、エルドの膝の上に座らされて初めて足の感覚が鈍っていることにベルティスは気が付いた。

 

 エルドの大きな手で幾度もさすられ、次第に脚は温度を取り戻していく。

 

 

(気持ちがいい)

 

 

 ベルティスはうっとりと瞼を閉ざした。

 

 背中を撫でられ、髪を梳かれる。

 包み込まれるように抱きしめられて、ベルティスは、ハッとする。

 

 切なげに眉を寄せる。

 

 こんな風に抱き締められると、同い年なのに同い年とは思えない体格差を思い知り、居たたまれなくなる。

 

 


 

 エルドがベルティスを女のように扱えば扱うほど、ベルティスは女になっているのだから、なおさら。

 

 

(エストロゲンなんて貰わなくても女になれてしまうかもしれない)

 

 

 エストロゲンとは女性ホルモンのことだ。

 

 

 これを体内に入れることで月経が始まり、子を生むことのできる女となる。

 

 しかし、このエストロゲンは本来、自然に体内で分泌されているものであり、完全ではないが、エストロゲンの分泌の多い子どもは18歳を待たずに女性化していく。

 

 ベルティスがこの典型である。

 

 

 ベルティスの外見が女性的なのは、エルドに女として扱われているからに他ならない。

 

 そして、エルドもまた、ベルティスのおかげで男性的な体付きをしている。

 

 すらりと高い背。

 広い肩幅。

 大きな手は骨張っていて、体温がいくらか高い。

 


 

(自分ばっかり…)

 

 

 ベルティスは顔を伏して、エルドの胸に耳を押し付けた。

 

 

 

(エルドが嫉ましい)

 

 

 

 ベルティスがエルドに初めて抱かれたのは13歳の時。

 

 それ以来、身長がまったく伸びなくなってしまった。

 

 14歳になった時、鏡に映った自分の体を眺め、ベルティスは愕然とした。

 

 同級生たちと比べて、自分の体はなんて頼り無いのだろう。

 

 筋肉なんてない。

 今にも折れそうな手足。

 丸みを帯びた腰。

 

 自分を見る周りの目が明らかに幼い頃とは異なっており、ベルティスは自身の体を両腕で抱き締めてうずくまった。

 

 


 

 

(気持ち悪い)

 

 

 女になろうとしている体を持て余して、泣きたくなった。

 

 

 別に、男になりたかったわけじゃない。

 そして、女になりたくないわけでもない。

 

 だけど、こうして自分の意思とは関係ないところで女にされるのは嫌だ。

 ちゃんと納得して、性別を決めたいのだ。

 

 それなのに、エルドが幾度も自分の体を抱くから、体はどんどん女になっていってしまう。

 

 

 

 対照的に、エルドの体は男になっていく。

 それも憎い。

 

 


 

 声が低くならないのも、手足や腰が細くなってしまったのも、すべてエルドのせい。

 

 男になることを諦めた友人たちだって、ベルティスよりはずっと背が高く、声が低い。

 

 少年っぽさが依然として残っているのに、ベルティスだけはどう見ても少女にしか見えない。

 

 

 大抵の者が男になることを目指して成長していく中で、ベルティスの女性らしさは、とても珍しいことなのだ。

 

 

 それさえもベルティスの癇に障った。

 

 ベルティスはどこで何をしていても、その少女らしい容姿によって目立ってしまう。

 

 その場にいれば、いるだけで目立つし、いなければいないで話題になる。

 

 今もこうしてここにいる間、クラスメイトたちはベルティスのサボりを話題にしていることだろう。

 

 


 

 ベルティスは憤慨して、エルドの端正な顔を、きっ、と睨み付けた。

 

 

(何もかもエルドのせいだ)

 

 

 だが、エルドは笑った。

 

 ベルティスの髪を何度も梳き、時々指に巻き付け、唇に当てながら言うのだ。

 

 

「切るなよ」

 

 

 横たわった時に髪が体の下敷きになってしまうのが嫌だった。

 

 だから一度、ばっさり切ってしまったことがある。

 

 その時のことを思い出して度々エルドは言う。

 髪を切るな、と。

 

 

 ベルティスは女になるのだから髪は長い方がいい、というのがエルドの主張だ。

 

 勝手な言い分だが、エルドの好みがそれなら仕方がないと思って従っている。

 

 長い髪は邪魔で邪魔で仕方がないけれど。

 

 


 

 

  エルドの吐息が髪に触れる。

 

 

「早く女になったお前が見たい。――綺麗なんだろうな」

 

「……」

 

「なあ。ミトラで優勝したら、その場でホルモン剤を貰えるって知ってたか? テストステロンとエストロゲンの両方を貰えるんだってさ」

 

 

 エストロゲンが女性ホルモンであることに対して、テストステロンは男性ホルモンだ。

 

 テストステロンを体内に入れることで、筋肉が発達し、より男性的な体になる。

 

 このテストステロンもエストロゲン同様、本来、自然に体内から分泌されるものである。

 

 なので、エルドのようにテストステロンの分泌の多い未分化は、完全ではないにしても、18歳を待たずに男性化している。

 

 


 

 

「テストステロンは、当然自分で飲むわけだけど、エストロゲンは求婚したい相手に手渡すんだ」

 

 

 ミトラ終了後、即、求婚できるのだと、エルドは楽しそうに言う。

 

 

 通常ならば、まずは自分が男になって、相手も女になってから、求婚するしないの段階になる。

 

 エストロゲンの配給は、ミトラが終わり、テストステロンの配給がすべて完了した後、女になる決意ができた者から順に受け取りに行くので、それなりに日数がかかるのだ。

 

 

 エルドがベルティスの髪を軽く引っ張って弄んでいる。

 

 

「俺、ぜってぇ優勝するし」

 

 

 


 

 

 

 やはりエルドは疑わないのだ。

 ベルティスが女になる、と。

 

 女になってエルドの妻になることを信じて疑わない。

 

 

 ベルティスは小さく息を吐き出した。

 

 

「ねえ、エルド。もしも、もしもさ、俺がそれ、受け取らないって言ったら?」

 

「は?」

 

「だから、エストロゲン。エルドからは受け取らないって言ったら、お前、どうする?」

 

「どうするって……」

 

 

 呆気に取られている。そんな表情だ。

 

 

(ほら、やっぱり。エルドは考えもしなかったんだ)

 

 

 

 


 

 

  ベルティスはお返しとばかりに、エルドの青みかかった黒髪を引っ張った。

 

 エルドはベルティスには切るなと喧しく言うくせに、自分はいつも短く切っている。

 

 引っ張り甲斐がない。

 

 

 面白くないので、どんっ、と、エルドの胸板を叩いてやった。

 

 

「今更、男になりたいなんて言わない。女になるしかないと思う。けど、エルドの女になるとは限らないからな」

 

「おいっ。それ、どういう意味だよ!」

 

 

 吊り上がったエルドの眉を見て、ベルティスは罵声を浴びる前にエルドの口を両手で塞いだ。

 

 ベルティスには優しいエルドだが、基本的に短気なのだ。

 

 そして、怒ると非常に怖い。

 

 正面から彼の怒りと向き合って竦まない者はないだろう。

 

 


 

 ベルティスだって怒っているエルドは怖い。

 怒らせたくない。

 

 第一、今、怒っているのはベルティスの方なのだ。

 

 

「ねえ、エルド、知ってる? お前さ、今まで一度も俺のこと好きだって言ったことないんだよ? お前、本当に俺のこと好きなわけ? ――言わなくても分かるだろうっていう態度、腹が立つんだよ。お前の女になるのが当然っていう周囲の目、苛々する。お前だって当然って顔しているだろう? 嫌なんだ、そういうの」

 

 

 ベルティスは俯いた。

 

 

 

 けして多いわけではないが、育児を己の手でしない母親の数は少なくない。

 

 それは、より早く次の子どもを身籠もるためであり、社会的に非難されるようなことではないからだ。

 

 


 

 

 母親が手放した赤ん坊は、二畳ほどの育児室に育児ロボットと共に入れられる。

 

 7歳まで育児室でロボットに育てられるのだ。

 

 7歳になると初等学校に入学するため育児室から出され、実母の手によって育てられた子どもたちと共に学生寮で暮らすようになる。

 

 

 ちなみに、父親が育児に関わることは稀である。

 

 いっさい関知しない男がほとんどだ。

 

 

 だから、母親から手放された子どもであるベルティスにとって、両親とは、いないに等しい存在だった。

 

 そして、エルドもベルティス同様育児室で、育児ロボットによって育てられた子どもだ。

 

 

 

 


 

 育児室の壁はガラス張りであり、隣室であったエルドとベルティスはその部屋を出るその時までお互いにお互いを見つめて育ってきた。

 

 触れ合えない。

 

 だけど、お互いのすべてを知っている。

 

 ガラス越しに言葉を交わすこともあった。

 

 

 エルドのベルティスへの想いは、刷り込みなのかもしれない。

 

 雛鳥は孵化して初めて見たものを親だと思うものらしい。

 

 エルドが見た初めての人間がベルティスだった。

 

 ただそれだけの理由で、エルドはベルティスに執着しているのではないだろうか。

 

 

 

(執着。そうだ、執着だ)

 

 

 


 

 

 

 そして、親のいない自分たちは人肌が恋しいのだ。

 

 育児ロボットはぬくもりを与えてはくれない。

 

 いつだって、エルドの言葉に笑みを返してきたのは、ガラス越しのベルティスだった。

 

 

(寂しかったのだ。自分たちは)

 

 

 だから、お互いを求め合った。

 

 そして、今もエルドはベルティスに執着している。

 

 思い返せば、愛とか恋とか、そんな甘いものがこれまでに自分たちにはなかったように思う。

 

 好きだって囁く前にエルドはベルティスを抱き寄せていたし、好きだって聞く前にベルティスはエルドに身を委ねていた。

 

 


 

 

 

(好きだって言われたことがない)

 

 

 当然のことのように自分の傍らにいるエルドが憎たらしくて堪らない。

 

 胸が痛い。

 

 なぜ、エルドはこんなにも自分を苦しめるのだろうか。

 たった一言。

 

 好きって言ってくれたら、それだけでいいのに。

 

 

 エルドが他の女をどれだけ抱こうと、その度に好きって言ってくれたら、どんな辛くても堪えられる。

 

 

 刷り込みでもいい。

 幼い執着心でも、何でもいい。

 

 少しでもエルドが自分を想ってくれていると分かれば、このままずっとエルドの傍にいたいと思えるのに…。

 


 

 ちゅう、とベルティスの手のひらが鳴る。

 

 エルドの口を塞いでいた手のひらにキスを受けたのだと気付いて、ベルティスは慌てて両手を引っ込めた。

 

 エルドが笑う。

 やはり、どこか楽しげだ。

 

 

「教室に戻ろう。そろそろ授業が終わるころだ」

 

「……」

 

「それとも、次の授業もサボるか?」

 

 

 無言で首を横に振った。

 

 すると、エルドは軽々とベルティスを両腕に抱き上げ、立ち上がった。

 

 階段の方へと歩き始めてしまったエルドに、ベルティスの瞳は陰った。

 

 結局、エルドは言ってくれなかった。

 

 絶望に似た感情をどこに向けて良いか分からず、ベルティスはガラスの外側の冷たい世界を見やった。

 

 

 暗闇に散った光の欠片。

 虚ろに瞬く星々は次第に滲んで見えなくなってしまった。

 

 


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