2.「お前を説得しようだなんて考えた俺が馬鹿だったよ……」
「茅野くーん!」
翌日の放課後。この声は樋田だ。
「一緒に帰ろう!」
俺はそれを無視しながら、昨日のことを思い出していた。
――また明日も一緒に帰ろうね!
あの台詞は、どうやら本気のものだったらしい。まあ、俺がしつこく無視を続ければ、樋田もいつか諦めてくれるだろう。あの時頑張って樋田を説得していれば、そんな無駄な努力をしなくても済んだのかもしれないが、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。樋田のことをひたすら無視すればいいのだ。
「……」
俺がひたすら黙り込んでいると、樋田はしびれを切らしたらしく
「勝手にしろってことだったので、付いてっちゃうからね」
……そうなるのか。
どうやらこの樋田光紀、相当神経が図太いらしい。そしてよくわからんが俺に対する執着心がすごい。俺に興味があるとか言っていたか。俺の何に興味を見出しているのやら。……どうせ、昔の俺が起こした問題が関わっているんだろう。そう思うとうんざりしてくる。
今日も樋田は本当に俺に付いてくるだけだ。何も喋らない。俺的にはかなり気まずいのだが、樋田はこういう空気が気にならない奴なのだろうか。全く、こいつの目的は何なんだ?
ともかく、気まずいのにとことん弱い俺であった。
「なあ、お前ってどこに住んでんの?」
結局口火を切る羽目になった。適当に振った話題だったが、よくよく考えてみれば割と重要な問題である。昨日今日と俺に付いてきているが、近くに住んでいるというわけではないだろう。
「学校のすぐ近くだよ。徒歩五分以内のところ」
……というと、こっち方面にあるとしても既に通り過ぎているということか。
「たまにはこうして歩かないとね!」
「それなら家にいったん帰ってからジョギングでもしてろよ!」
「だって歩くのは本来の目的じゃないし~」
にやり、と笑う樋田。
「私はこうして一緒に帰ることで、茅野君とコミュニケーションをとることを目的としているんだから。そこんとこ、忘れないでよ?」
しまった。
うっかり樋田の言うことに突っ込みを入れていたが、これでは樋田の思うつぼだ。
「茅野君って案外おしゃべりさん?」
うっせえ。
思わず喉まで出かけた台詞を飲み込む。その日はそれ以上樋田と言葉を交わさなかった。
☆
「おい、茅野」
翌週の月曜日、俺に声をかけて来たのは明らかに樋田ではなかった。こいつは隣のクラスの――
「ごめん、誰だっけ?」
「おいぃ!!」
頑張って思い出そうとしたが、駄目だった。確か陸上部だったとは思うのだが。顔は知っていたが、流石にクラスの違う奴の名前までは覚えられない。
「っていうか、なんか用?」
俺の名前を知っているのは不思議ではないとしても(悪い意味での知名度は高いからな)、話しかけて来るとはよっぽどのことだ。それとも、俺の噂を知らないのか? いやいや、それだと俺の名前を知っている理由が分からなくなってしまう。
「なんか用って、言い方がもう少しあるだろうが……まあ、いいだろう。おい、茅野。最近お前、光紀にちょっかい出してるみたいじゃあねえか」
「……んん?」
俺は首を傾げた。身に覚えがないのだが。
……ミツキ、って誰だっけ?
「樋田光紀だよ!」
ああ、そうか。樋田の下の名前は『光紀』だったか。自分も担任も名字でしか呼ぶことがないから、あまりに聞き慣れてなさ過ぎて今一ピンと来なかった。
「それは違うぞ。俺はむしろ、ちょっかいを出されている側だ」
それにしても、彼は樋田の知り合いであったか。
「俺と樋田が関わっているのは、君にとっても都合が悪いのか。あいにく俺も樋田がしつこくて困ってたんだ。君から何とか言ってやってくれないか」
学校で誰かとこんな風に話すのは久しぶりだ(樋田を除く)。あまり長引くと彼にも迷惑がかかるだろうから、なるべく手短に済ませたいものだが。
「そ、その話本当か!?」
彼は目を丸くしながら声を上げた。
「それは余計に厄介だな……よし、今日は丁度部活もないから、俺も一緒に同行する。俺はお前が光紀と居られると困る。お前も光紀と居ることを望んでいない。つまり、俺等の利害は一致してる。そういうことだな?」
ぐいぐい進めていく彼。俺が頷いたかどうかなんて気にしていない感じだ。まあ、俺は一応頷いたのだけれど。
「茅野、急に呼び止めたりして悪かったな。じゃ、そういうことだから放課後は頼む」
そう言って帰っていった。初めの態度との違い様に驚きつつも、俺はため息を溢した。
また面倒なことになったな。
その日の放課後、下駄箱で昼間の彼が待っていた。
「よう、茅野。光紀はまだか?」
「ん、ああ。……これから来るんじゃないかな」
そんな俺たちのやり取りを不審そうに見るクラスメイト。これってやっぱり彼にとって良くないのではないだろうか。
「とりあえず出ようぜ?」
言うと、彼は素直に頷いた。
さて、今のところ〝彼〟でどうにか通しているが、流石に名前を聞いておきたい。これだけ会話をしておきながら名前を知っていませんでした、というのも少し間抜けな話だが、仕方あるまい。此処はさらっと聞いてしまうのがいいだろう。
「ところで、えっと、名前なんだっけ?」
そうは言っても本人に面と向かって名前を聞くというのは結構勇気のいることだ。多少どもってしまっても仕方のない事だろう。
意外にも、彼はあっさりと答えてくれた。
「俺か? 馬場光太郎ってんだ。因みに三組な」
「馬場君か……宜しく」
「なんだなんだ、下の名前で呼んでくれよ。俺もお前のこと裕也って呼ぶようにするわ」
裕也。
家族以外に下の名前で呼ばれるのは久しぶりだ。何だか変な感じがする。
「じゃあ、光太郎で……」
「おう!」
馬場君――もとい光太郎は満足そうに頷いた。それにしても、俺とこんな風に話してくれるのは嬉しいが、光太郎はいいのだろうか? 小学生の頃の俺の噂を、まさか全く知らないわけでもないだろうに。
「なあ……」
そう切り出そうとした時、タイミング悪く樋田が登場した。
「およ? こうちゃん、何でいるの?」
……『およ?』って。俺の中での樋田のイメージが音を立てて崩れていく。しかし、違和感がない。これが樋田の自然体なのだろうなと思う。
「まあ、ちょっとな」
言葉を濁す光太郎。
「俺も仲間に入れてもらおうと思ってさ。まあ、それには深いわけがあるんだけど」
「へえー、そっか」
人数は多い方が楽しいもんね、と言う樋田。楽しいも何も、樋田は今まで自分から話を振ってきたことなどないではないか。もし樋田が楽しさを求めていたとするなら、その思いと行動とが矛盾しているのでは。
そんなことを考えていると、二人が歩き始めたので俺も後を追う。どうやら光太郎の説得が始まったらしい。俺はそれを後ろからぼんやりと聞き流しながら歩く。いつもとは逆の立場だな、とちらりと思った。
数分後、どうやら話が付いたようだ。光太郎の様子を見る限り、説得は失敗に終わったらしい。
「お前を説得しようだなんて考えた俺が馬鹿だったよ……」
「そうだよ、こうちゃん。私が意見を曲げるわけがないもの」
そんな会話が聞こえてくる。それはつまり、俺と光太郎の目的は果たされなかったことになるわけだが、何故だがあまり気落ちしなかった。
「あー、すまん、裕也。うまくいかなかった」
「らしいな」
光太郎が急に後ろを向いたので吃驚した。慌てて反応しようとしたので、返事が素っ気ないものになってしまった。
「あれ、こうちゃん、『裕也』って……」
そんな俺たちのやり取りを見ながら、樋田は意外そうな顔をしていた。
その後は、三人で世間話をしながら歩いた。
「なんか何気に楽しいな、こういうの。来週もまた一緒してもいいか?」
途中、光太郎がそんなことを言っていた。こうなってくると、本当に俺の噂を知らないのかもしれないな。しかし俺は「光太郎がいいなら」と言ってしまった。俺は、久しぶりに話し相手ができて(樋田はノーカンだ)嬉しかったのだ。いつかは確認するべきだろうが、少しでも長くこの関係を壊したくなかった。
樋田がいつも引き返す地点まで来ると、二人は仲良く肩を並べて帰っていった。どんな会話がされているのだろうか。二人の背中を見送っていると、少しだけ寂しさを感じた。
一人でいる方が気楽だと感じていたのは、ただの虚勢だったのかもしれない。
久し振りの更新です。書いていると、なかなか光太郎がいいキャラをしているなと思います。