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4.進路とレールの違い


 僕がこの学校を選んだ理由は、安全圏で一番レベルの高い公立高校だったから。中学の先生はもう少し上の私立高校をすすめたが、やんわりとお断りした。

 塾講師として働く両親を中学の頃に見続けて、働くことの大変さ、お金を稼ぐことの難しさを、知ったからだ。私立高校に行って高い学費を払うのは無駄遣いだと思った。

 僕自身、明確な目標がないのも原因の一つだ。将来なりたい職業、熱中しているスポーツ、そういうありきたりなものを僕は持ち合わせていなかった。

 それは大学受験を控えた今も変わらず、周囲との温度差は日に日に増すばかりだった。

 こんな曖昧(あいまい)な状態になったのはいつからだろうか。

 昔はもっと目標や夢を持っていたはずだ。

 僕の人生の中で、転機といえる事柄が起こったのは一度きり。だとすればその時に変わってしまったのだろう。

 それは、両親が塾を開いた時。

 言い方を変えれば、両親が教職を退いた時。


 §


 シャープペンの芯が紙をこする音が室内に響く。複数のこする音が重なってリズムを刻んでいるように聞こえる。

 隣に座ったポニーテールの座嶋さんが黙々とペンを走らせる。

 節電設定なのか、ただ調子が悪いだけなのかわからないが、冷房の効きが悪く、彼女のうなじに汗がにじんでいた。

 僕が見ていることに気づいて無言の抗議をしてきたので、自分の勉強に戻る。

 両親の教えで、「短所をなくす」ことを重点として勉強を行っている。

 それが受験を勝ち抜く一番効率的な方法だ、と言われたため反発することもできず従っているが、あまり好きな方法ではない。

 「短所をなくす」は全ての科目を同程度になるようにすることであり、僕にはそれが平均化されていると感じてしまう。平均になるということは長所を潰されているのと同じだ。

 自分が特別優秀だとは思ってないが、積極的に普通になりたいわけではない。

「ごめんなさい。ここ教えてくれない?」

 体を近づけて、彼女は聞こえるぎりぎりの小さい音量で話す。

 市の図書館とはいえ、僕らがいるのは勉強用に用意されたスペースで、少しくらいの会話なら許される場所だった。

 彼女の匂いを感じてしまうほど近くにいて、緊張で顔が赤くなっていることがわかったが、どもらないように努める。

 彼女は勉強に集中していて、参考書とノートしか見ていなかったから、僕の変化に気づくことはなかった。

 それは少し残念な、そんな気もした。

 緊張しているのが、僕だけで、不公平、そう感じる。

 これは、自分勝手な感情。

「わかった。ありがとう。草群くんは教えるの上手だよね」

 珍しく、まっすぐこちらの目を見てお礼を言ってきたので驚いてしまい、いつもとは逆で僕の方が目をそらす。

「どういたしまして。同じ誕生日のよしみですよ」

 軽口が滑っているのがわかった。

「そうか。そういえば誕生日が同じだったよね」

 私も同じ誕生日のよしみとして何かしなきゃ、と座嶋さんはクスクス笑う。

 

 そろそろ塾の時間ということで、五時過ぎに図書館を出た。

 七月頃から座嶋さんと一緒に勉強するようになり、関君やクラスメイトから付き合っているのかと疑われたが、僕と彼女の関係はあくまで勉強仲間だった。

 勉強仲間になったきっかけはよく覚えていないけど、そうなった理由は覚えている。

 ただ単純に、勉強している時に近くにいたからだ。

 教室では隣の席だし、塾はそもそも部屋が狭いので近くになるし、学校や市の図書館でもしばしば近くに座ることがあった。

 挨拶や軽い日常会話もできるようになっていたから、近くにいたら勉強の質問も気軽にできた。

 どっちが最初に質問をしたかは覚えてないけど、僕は臆病者(おくびょうもの)だから、座嶋さんが最初だったかもしれない。

「草群くんは志望大学をもう決めた?」

「全然。先生は早いうちから決めた方が勉強に身が入るからいいっていうけど、大学なんて遠い未来過ぎて考えられないよ」

「じゃあなんで草群くんは塾の時間以外も図書館で勉強しているの?」

「保険のつもり。美大みたいな特殊な大学に行きたくなったら高い学力は必要ないけど、一般的な大学に行こうと思ったら学力は必要になるから」

「それは誰でも同じ考えだと思うよ。でも実際にコツコツ勉強している人は少ない。やっぱり家が塾だからかな?」

「他の家の子どもにはなったことがないからわからない。でも、違うような気がする…」

 道路の向こう側の公園では、幼稚園くらいの子どもが砂場ではしゃいでいた。その様子をベンチに座りながら母親が穏やかな表情で見ている。

「座嶋さんは、なんで勉強をコツコツやっているの?親がうるさいとかあるの?」

「…親がうるさいってことは、ないよ。後悔したくないから、やってるんだと思う」

 そう言った彼女は少し苦しそうな顔をした。それが、強い西日(にしび)が照りつけているための苦痛だったのかどうかは、わからなかった。


 §


 九月に入ったが、まだ暑い日が続いた。駅から学校までは歩いて十分もかからないが、教室につく頃には汗だくとなる。

 夏休みの間に数人の見た目と中身が華やかになっていて、クラスの雰囲気(ふんいき)に違和感を感じていたが、一週間で慣れてしまった。

 僕はここ最近、憂鬱(ゆううつ)な気分になっていた。夏休みが終わって授業が面倒だからではなく、原因は目の前の机に置かれた用紙だ。

 ”進路相談シート”とタイトルが記されたその用紙は、一週間前に担任から渡されたもので、提出期限は明日。

 ”2年次からの希望選択クラス”や”希望する大学(国立 or 私立)”など複数の項目があるが、ほとんど白紙だ。

 あくまで希望であり、これから何度も変更する機会は与えられると担任は言っていたから、適当に書いて提出しても問題はないのだろう。

 頭では冷静に考えることはできているが、指が思うようには動いてくれず、記入欄は白いまま放課後の貴重な時間が過ぎていく。

 校庭で練習をしている野球部の声が聞こえる。

 力強いその声からは、目標を持って練習に取り組んでいるということが伝わってくる。

 記入をあきらめてプリントを机に入れる。

 勢いをつけて入れたせいでプリントが曲がってしまったが、気にはならなかったので、そのままにして帰ることにした。

 

 部活に入らず、コツコツ勉強はしているので、成績は夏休み前くらいから上がってきていた。

 だから深く考えず、大学進学希望にして適当にレベルの合った学校を記入してしまえばよかったけど、それはなんだか()に落ちないというか、自分を納得させることができない。

 ”進路とは確固たるものであるべき”

 将来の目標も決まっていないのに、軽々しく口にすべきものではない。

 安定な将来を得る可能性の高い進路をとっていればいい、という一般的な考え方から進学率は向上したが、それには疑問に感じる。

 将来の安定を考えるなら、別に高卒で就職してもいいのである。

 大学四年分、一般社会に出て技術と知識を身につけることができるし、高卒の方が賃金が低いので、雇い主にとってコストパフォーマンスがよい人材となれる。

 高卒で働くことはデメリットだけではないく、きちんと考えればメリットもある。

 深く考えるほど、答えは底なし沼の奥深くに沈んでいく。

 答えを探し求めるほど自分の体も沼に沈んでいった。

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