3.相対的な距離の変化
座嶋さんのポニーテールは一度しか見れなかった。
あの日から、一週間が過ぎたが、再びポニーテールにしてくることはない。
これ以上話しかけないでって意思を込めた、無言の拒絶に感じた。
それでも、あいさつだけは続いている。これが世に言う乙女心だろうか。だとしたら、僕にはその真意を知ることはできない。
自分のことも満足に制御できないのに、他人のことを理解しろっていう方が無理だ。
いや違うな、これも言い訳だ。
逃げようとして、自分を正当化できる理由を探している。
高校生になっても、相変わらず自分はダメな奴だ。ダメな奴ならダメな奴らしく、行動しよう。自分でダメなら、他人の力を借りるまでだ。
「それで、俺に相談することになったのか」
どこか嬉しさを含んだ、嫌そうな顔をして関君はつぶやく。教室ではしづらい相談だったから、僕らは食堂に来ていた。相談料ということで、昼飯は奢りだ。
「座嶋さんとの微妙にギクシャクした関係をどうにかしたい、そこは理解したよ。最終的な目標は恋人になることで合ってる?」
それは違った。僕は座嶋さんに恋愛感情を持ってない、はずだ。友情とも違うだろうから、適切な言葉は浮かばない。
「そこによって、アプローチの仕方が変わると思うんだけど、まあいいか。俺の意見を言ってもいい?」
いつも漂わせているおちゃらけた雰囲気を減らした、ちょっと真剣な表情で関君は言った。
「時間が解決する、そう思う。”急いては事を仕損じる”だよ。少し言い方がきつくなるかしれないけど、言うね。内向的な人間は、自分の意見を変えるのに慣れていない。意見のぶつけあいの経験が少ないからそうなってしまう傾向がある。座嶋さんも、同じだと俺は思う。彼女は今、こう考えている”草壁くんに私の見られたくない部分を見られた。恥ずかしいし、これ以上自分の嫌な部分を見られたくない、関わらないでおこう。”ってね」
どん詰まりの状況だった。時間に身を任せることが一番有効なことはよくわかったが、はやる気持ちが自分の中にあるのも事実だ。この状況のままでいることは苦痛だった。一刻もはやく解決しないと僕の精神衛生上、よくない。
忍耐力が、必要だった。
僕が元々のステータスで一番低かった項目だ。
それに気づいて、今まで努力してきた部分でもある。
がんばろう、そう思った。
§
僕らの通う幾島高校は、地元ではそこそこ優秀な進学校として知られている。東大や京大などの一流大学にも毎年数名から十数名合格しており、成績がよくて自宅から通いたい学生は、こぞって幾島高校を受験する。
公立高校であるため、私立高校に比べると校舎の綺麗さでは劣るが、歴史を感じさせる趣きをいたるところに見つけることができる。漫画なんかで登場する高校のイメージに似ている、と高校見学のときに思ったものだ。
体育の授業はマラソンだったため体に大量の乳酸がたまった。足を引きずるように、人の群れに混じって教室に向かって僕の同じように歩く。
運動部に所属してないから体力もない方だと自覚があったが、マラソン自体はそんなに嫌いじゃなかった。
体育というものは、集団行動を学ぶ授業であり、個人種目はのぞくが、コミュニケーション能力が求められることが多い。
マラソンはその例外にあたる個人種目であるため、周りを気にせず悠々自適に行えることが良い点だ。
今日もいつもどおり、適度に力を抜いて走り、周りを観察して思考した。
走ることに限らず、人間は苦痛をともなう作業を行うとき、その人の人間性が表に出る。
真剣に取り組む者、手を抜く者。
スタートダッシュをかける者、ラストスパートをかける者。
一人でもくもくと走る者、複数人で喋りながら走る者。
校舎の外に広がる穏やかな風景と、それらの人の思惑が交じりながら走る姿は、マーブル模様みたいに歪だ。
僕は帰宅部で体力がないから、全体平均よりも後方を走った。最後尾にならない程度の速度を保って、目立たないようにした。
女子も途中までは男子と同じコースを走る。男子と違って女子は集団で話しながら喋りながら走ることが多い。もちろん、後半は体力的にきついから、話してる人は少ないが、前半で教師の目が届かない所では歩きながら話すのだ。
それでいて、コースの短い女子と同じくらいのタイムになってしまう自分は、不合理を感じてしまう。
『正直者がバカをみる』と『努力は必ず報われる』は対極の意味を持つ言葉である。
そして、今は前者を支持したくなる状況だった。もちろん、学生である僕たちは後者の言葉を胸に刻んで勉学に励む。建前上は。
重たい足をひきずり教室まで歩き、着替える。汗を大量に含んだ体操服は重く気持ち悪い。まるで自分のようだと思う。
こんな回りくどい性格だとは知られたくない。
脱いだ体操服を乱暴にバッグに詰めて、汗の匂いを気にして制汗スプレーをかける。
女々しいな。そう、唐突に頭にひらめいた言葉が、胸にストンっと落ちた。
§
季節はめぐる。春服から夏服へ衣替えを行う時期となり、詰襟から半袖シャツに制服も移行した。
高校生という多感な時期での二ヶ月は、内面および外見の変化を及ぼすには十分な時間である。
しかし、僕に変化はなかった。すでに一個人として確立した自我を持っているわけでもなければ、体が成長しきっているわけでもない。
それは、ただ単に、無為な時間を過ごしたからだった。
本日のすべての授業が終了したことを告げるチャイムがなると、クラスメイトたちが一斉に帰り支度を始めた。
開け放たれた出入り口から、教室にこもっていた冷気が出て行き、代わりに湿り気を帯びた暑い空気が入ってくる。
「外、暑そうだよね」
隣で帰り支度をしている座嶋さんから話しかけられる。彼女のカバンにはぎっしりと教科書と参考書が詰まっていた。
「教室から出るのが嫌だな」
教室の空調は授業終了とともに自動的に切られるため、このまま残っていてもいずれ暑くなってしまうのだが。
僕と座嶋さんの間にあった不穏な空気は、関君の言っていた通り、時間が解決してくれた。
あいさつだけだった言葉のやりとりが、いつの間にか世間話も加わるようになり、今のように気軽とまではいかなけいど、普通の会話はできるようになった。
二ヶ月でそれだけ、と驚く人の方が多いと思うが、僕としてはすごい進歩だと思っている。
主に頑張って成長して、変化をもたらしたのは、座嶋さんなんだけれど。
彼女は変わった。それは大きな変化ではなく、ささやかな変化だったけど、たまたまこのときに身近にいた僕はその変化に気づくことができた。
目線が少し上を向くようになった。
表情が少し明るくなった。
会話が少し弾むようになった。
そういったことに気づいたとき、心が暖かくなるのを感じた。
たぶん、それは恋愛感情ではなくて家族や友人に向けた親愛の情なのではないかと思う。
会話をしながら、帰り道を歩く。
西日が背中に当たり汗が出て不快だけど、座嶋さんとの会話のおかげで楽しく歩くことができた。
うちの個人塾に通う理由でもあると思うけど、僕と座嶋さんの家は近く、百メートルほどの距離にある。
当然、通学ルートはほぼ同じだから、通学時に度々見かけるし、こうして話しながら歩くことも増えてきている。
お互いしゃべる方ではないから、周りから見たらたまたま隣を歩いてる高校生に見えるかもしてないが、僕らにとってこの距離感は心地よいものだった。