1.誕生日で繋がった
「席替えをしよう」
幾島高校に入学して1ヶ月が経過したこともあり、名簿順になっていた席を替えようと、担任の磯辺先生が提案した。
五月の太陽の光を直接浴びると、学ランではちょっと暑い。だから、窓際の席はいやだと思った。授業中に寝るから、というわけではなかったが、前の席もいやだった。すこしでも目に付く動きをすれば、教師からもクラスメイトからも目撃されてしまうからだ。
中央ややうしろが一番ではないかと、思った。扉のちかくだと、休み時間のたびに人が行き交うので、落ち着けない。
僕は今の席――廊下側の真ん中――から教室をぐるっと見回した。入学から一ヶ月が経ったため、見慣れたと言えるクラスメイトたち。仲が良いとはまだ言えなかった。ぎこちなさがクラスの中にはただよっていた。
「誰か、席替えの方法でいい案あるか?」
クジじゃない、とあちこちで小声が聞こえた。クジでは面白くないだろ、と言って磯辺先生は席順の書かれたA3用紙を取り出した。
こうなるだろうと思って先生が案を用意してきたんだ、ニカッと笑って言う。
「クジじゃ味気ないから、誕生日順にしようと思う。そうすれば、クラスメイトの誕生日を覚えられて一石二鳥だろ」
たぶん先生はこのクラスをもっと仲良くしたかったのだろう。誕生日を知ることがその役に立つと考えたのだ。
効果はどうだったのだろう。一年生が終わる頃、柚子さんにクラスメイトの誕生日を覚えたか、と聞いたがほとんど覚えていないと答えた。
ほかのクラスメイトも似たり寄ったりの答えをするのじゃないかと思う。でも、仲良くなるきっかけにはなったかもしれない。少なくとも、僕と、柚子さんはそうだった。
反対意見があがらなかったので、誕生日順で席替えすることになった。僕は、一月一日生まれだから、一番右前の席。そして、隣の席が座嶋柚子さんだった。
「草壁潤平です」
女子との会話に慣れていないから、ボソボソとした話し方になってしまったが、名前を告げて、よろしくと言っておいた。柚子さんは僕より異性との会話に不慣れなのか、聞き取れるギリギリの声で、知ってます、座嶋です、よろしくお願いします、と言った。
彼女の視線は下に向けられていた。それが、僕たちの初めての会話だった。
「誕生日順といっても、隣同士が男女になるように組んでおいたからな」
お前らもそっちの方がうれしいだろ、と先生は言った。
「そうそう、めずらしいことに、誕生日が同じで隣同士になってる席があるんだ。一月一日生まれの草壁と座嶋だ」
クラスメイトの視線が僕たちに集中した。隣を見ると、柚子さんが耳を真っ赤にしてうつむいていた。さきほど話したときにわかったが、彼女は人に見られることに慣れていなかった。
自然と、リアクションは僕に求められた。我ながらしまらないとわかっている顔を、にへら、とゆがめて笑顔をつくった。注目されて困ったなぁという表情になっていたと思う。こういうつまらないリアクションをすれば、クラスの空気に溶け込めているように感じる。
目立ちすぎず、薄すぎず。中庸でいることが、一番うまい学校での過ごし方となる。
僕はそう、思っていた。
§
僕と柚子さんが会話したのは席替えのときが初めてだったけど、お互いの顔を見る機会は他のクラスメイトより多かった。
僕の両親は小さい個人塾を経営している。高校受験用の塾なので、生徒は基本的に中学生だ。月曜の定休日以外は毎日、中学生たちが通ってきた。塾は自宅のそばに建てられている。二階建てで、二階がメインの講義室、一階が資料庫兼個別指導室になっていた。
息子である僕は、強制的に塾に参加させられており、そこに柚子さんもいたのだ。中学生のときはほとんど見た記憶がない。目にする機会が増えたのは高校生になってからだ。
うちの塾は高校受験用だが、高校生でも希望すれば勉強を教えている。少ないので授業はやらずに、一階の個別指導室で分からないところを個人に教えるというスタイルをとっていた。
この個別指導室は、大手の塾のように仕切りがあるわけではない。ただ、二階の教室より机の間隔が広く、数が少ないだけだ。
だから、お互いの顔はよく見えた。
休憩スペースなんてない塾だし、個別指導だから決まった休憩時間なんてないから、話す機会はなかった。あったとしても話かける勇気は僕にはない。
今回の席替えで、そんな関係に小さな変化が起こった。ゼロからイチへの変化。今まではなにをかけても結果はゼロだったが、これからはゼロ以外になるはずだ。
§
昼休みとなった。学食へ向かう人、売店でパンを買いに行く人などが、教室を出ていく。僕は自分の机を反転させて後ろの机とくっつける。この時期は後ろの席の関君と一緒にいることが多かった。
隣の席の柚子さんは、一人で弁当を食べようとしていた。
じっと関君が僕の方を見ていたので、何か言いたいことがあるの?と聞いたら、一回咳払いをして関君が言った。
「草壁君さ、もしかして、だけど座嶋さんと付き合ってる?」
隣でけほ、けほ、とむせた音が聞こえるけど、恥ずかしくて振り向けない。たぶん、彼女は耳と顔を真っ赤にしているだろう。だから、振り向けない。
関君を見て、なんで?と聞く。なるべく大きくならないように、声をしぼった。どうしてそう思ったの?と。
「二人のこと、噂になってるよ。きっかけは席替えのときだと思う。二人が同じ誕生日だって話を聞いて、まずは双子じゃないか、て面白半分で言う人が出てきたんだ。そしたらさ、いやいや二人は付き合ってるんだよ、だって俺は座嶋が草壁の家に向かうところみたぞ、て言う人もでてきた。それで噂は混沌に」
誕生日が同じなのは偶然で、柚子さんが草壁宅に来たのはウチの塾に通っているからだ。そう、大きな声で主張することもできた。けれど、それは逆効果になりどうだから、言わなかった。今、焦った調子でそう主張すれば、ますますクラスメイトに面白おかしく脚色されてしまう。基本的に、リアクションが面白いほど、いじりたくなるものだ。いじられた本人が不快に感じているかいないかは関係ない。
つまらないリアクションになるように、下手な笑顔で「違うのに」と軽く流しておいた。僕にとっての最良の選択肢をとった。
「ねえ、ねえ、草壁君はこう言ってるけど、座嶋さんはどうなの?」
「えっ、あの、ち…違います…」
全力です、これ以上は何も言葉が出ません、そういう様子だった。
そして、涙が溜まった目で僕を見た。
さっきと同じ笑顔を作ろうと思ったがやめた。前とは違う意味を持つからだ。柚子さんの言葉と仕草の結果で、あの笑顔は「付き合ってるのバレちゃったか」と解釈されてしまうかもしれない。
数秒間の沈黙。昼休みなので、周りが騒がしいから目立たないが、緊張した。
柚子さんがまだ残っている弁当を急いで片付け、僕らに会釈して教室を出ていった。
言葉が出ないので、逃げ出したのだ。僕と関君は顔を見合わせた。彼は、軽い後悔をにじませた顔をしていた。
§
食事を済ませたあと、柚子さんを探した。学校では一人で過ごせる場所は多くないから見つけるのは簡単だった。図書館に彼女はいた。
筆談にしようかと考えたが、やめた。筆記具と紙がないし、声のボリュームを落としてしゃべっている人が何人もいたから、そこまで木にする必要はなさそうだ。
柚子さんの向かいの席に座ると、彼女も気づいてこっちを見た。
「ちょっといい?」
「…うん。大丈夫」
「教室で、付き合ってるかって聞かれたでしょ。もっと軽く流していいと思うよ」
彼女は”付き合ってる”の言葉に過剰に反応した。けど、きちんと伝わったのか大きくうなづいてくれた。
嘘は全くついてないんだから、堂々と行こうよ、と最後に言って僕は席を立った。
好きなミステリーシリーズの新刊が入荷されていたので、借りて帰る。現実も、物語の探偵のように、だれかが解答を容易してくれたら生きやすいのに。