第五十五話:祭りぱーと3
夜も更け、空は深い群青へと染まり始めていた。
屋台の灯りは徐々に数を減らし、人々の流れは自然と中央広場へと集まっていく。
「……人の動きが変わってきましたね」
セフィルが周囲を見回しながら言った。
さきほどまでの雑多な熱気とは違う、期待と静けさが入り混じった空気。
「もうすぐ本命ですね。
あそこで座りながら見ましょう。ちょうど空いてますし、せっかくなら見晴らしのいいところで見たいですから」
ミリアはそう言って、人の流れを読みながら、自然にセフィルを連れて行った。
そして観客席に座った。
観客席の目の前にあるのは、中央広場。
巨大な円陣。その中心に設置された祭壇と、その上に浮かぶ古代魔導具――
『星の動脈』
すでに封印結界は解かれているが、先のような暴走は起きない。それを完璧に制御する術者がいるからだ。
祭壇に女性が立ち、鐘の音が一つ鳴る。
ざわめきが消え、静寂が降りた。
祭壇に立った一人の魔女。
黄昏色の外套を纏い、星を映すような瞳を持つ存在。
「…『黄昏の預言者』マリン・フォルゼマート…」
この祭りの本命は彼女と彼女が行う奉納。
祭りの客達は彼女の動きを固唾を呑んでいる。
セフィルは息を呑んだ。
「奉納を始めます。その目で奇跡をご覧ください」
マリンは丁寧なお辞儀をした後、『星の動脈』を腕にはめ、手を天高く伸ばした。
それに『星の動脈』が応える。
低く、深い脈動。
大地、空、人の想い――それらを魔力と共に優しく吸い上げ、歪みなく循環させる。
─空に、光が生まれた。
星だ。
一つ、また一つ。
実在しないはずの星々が夜空に浮かび、ゆっくりと軌道を描く。
「…幻術ではなく、高濃度の魔力を媒体とした…こんなの本当に奇跡じゃない」
セフィルは静かに驚愕しながらも、ただ空を見上げていた。
星々はやがて線となり、円となり、複雑な紋様を描く。
それは人々の祈りであり、誓いであり、人々への赦しだ。
最後に、星々が一斉に砕けた。
星は先ほどと比べ何十倍も小さくなり、光の雨として、優しくゆっくりと人々に振り注いだ。
「……あ」
セフィルの肩に、淡い光が触れた。
驚く彼女とは対照的に、ミリアは静かに見届けていた。
『黄昏の預言者』が退場することで奉納が終わり、歓声が遅れて広場を満たす。
セフィルは、まだ空を見上げたまま、小さく呟いた。
「……今日のこと、一生忘れません」
「思い出になれたなら良かったです」
「……あなたのおかげです」
ミリアは一瞬、何かを言いかけ――やめた。
「ありがとうございました」
「…貴族のお仕事頑張ってください」
セフィルが戻ろうとしたところを見ながら、ミリアは思うところがあった。
「待ってください」
「はい?」
ミリアは落ち着きながら言う。
「最後に、あなたに伝えたい言葉があります。あなたには少し酷かもしれませんが…」
「…聞きましょう」
「『誰の為でもなく、自分の為に生きなさい。自由に生きなさい。幸せになりなさい』」
「それは…?」
訝しむセフィルを尻目に、ミリアは続ける。
「例え他人より何か劣っていようと、勝っていようと…そんなこと関係なく、ただ切実に…生きてほしい。そんな思いが込められた言葉です」
「なぜそれを私に?」
「迷っていたからです」
誰が…というのは必要ない。
「迷っているつもりはなくとも迷っている様子でしたので、少々忠言させて頂きました。
出過ぎた真似、お許し下さい」
「構いません。…その言葉、素直に聞くことにします。
私もせっかくなので一つお聞きします」
「何ですか?」
「あなたの…お名前は?」
「ミレアです。ただのミレア」
「…ありがとうございます。それでは、さようなら」
今度こそ、セフィルは戻っていった。
ミリアは先ほどセフィルに告げた言葉を思い出しながら感情にふけていた。
「『誰の為でもなく、自分の為に生きなさい』…
私…ちゃんと果たせてる?####…」
ミリアは誰も居ないはずの空を見上げて、赤い瞳の奥を輝かせていた。
「まだ寝るには早いね。さっかくなんだ…もっと探し回ろうか」
─セフィル視点─
人波を抜け、裏道に入った瞬間、胸に溜めていた息がふっと抜けた。
(……緊張、してたんだ)
自覚した途端、足が少し重くなる。
灯りの少ない道を進みながら、私は胸元に手を当てた。
そこにあるのは、ミレアさんが射的の屋台で撃ち落としてくれた景品、星型の小さな飾り。
「……ふふ」
思わず、笑みがこぼれた。
今日一日、名前を呼ばれなかった。
肩書きも、立場も、役割もなかった。
ただ一緒に歩いて、
同じものを見て、
同じものを食べて、
同じ星を見上げた。
ただそれだけ。
なのに楽しかった。
(こんな時間……初めて)
城に戻れば、また「第二王女」。
言葉遣いも、姿勢も、度胸も、選ぶ言動も何一つ間違ってはならない。常に正しくあればならない。
間違えれば叱責され、
躊躇えば未熟と呼ばれ、
感情を見せれば「王族らしくない」と言われる。
(でも……)
胸の奥が、じんわりと温かい。
『誰の為でもなく、自分の為に生きなさい』
『例え他人より何か劣っていようと、勝っていようと…そんなこと関係なく、ただ切実に…生きてほしい。そんな思いが込められた言葉です』
あの言葉が、何度も頭の中で反響する。
セフィルは他の兄姉達に大きく劣っている。
ラオネスお兄様のような寛容さもなく、
アリエルお姉様のような度胸もなく、
(酷い言葉……簡単に出来たら、誰も悩まない)
そう思うのに、
不思議と拒絶する気にはならなかった。
むしろ――
(……言われて、少し楽になった)
どうしてだろう。
初対面で、名も知らない相手だったのに。
貴族でもなく、
騎士でもなく、
学者でもなく、
まして貴族でもない。
ただ、落ち着いた声で、
当然のように、
「私の人生」を肯定してきた。
(……ミレア、さん)
名乗られた名前を、心の中でそっと呼ぶ。
あの人は、自分のことを何者でもないと言った。
けれど、その背中は不思議と大きく見えた。
(まさかね……)
セフィルは13歳の頃、今のようにお忍びで外に出たときがあった。
その時に魔獣に襲われ、助けられた。
その人の名前は聞けなかったけど、今でも鮮明に覚えている。
だから、ミレアさんとその人が一緒の人なわけはない。だって、髪色も目の色も違うのだから。
街の門が見えてきた。
私は一度だけ、振り返った。
当然、そこに彼はいない。
祭りの灯りも、もう見えない。
それでも─
星型の飾りを、ぎゅっと握る。
静かに門をくぐりながら、
私はもう一度、夜空を思い出した。
あの星の雨と、優しい人の横顔を。
「ありがとうございました」
セフィルは小さく呟く。それと同時に。
「……お嬢様」
低い声が、正面から聞こえた。
見ると、暗がりの中から数人の影が現れる。
見慣れた顔。護衛だ。
「ご無事で何よりです。突然姿を消されて、どれほど心配したか……」
「……ごめんなさい」
反射的にそう答えていた。
以前なら違ったはずだ。
謝るより先に、言い訳をしていた。
「少し散策しただけ」とか。「息抜きが必要だった」とか。
でも今日は。
「……楽しかったんです」
自分でも驚くほど、素直な声だった。
護衛は一瞬、言葉に詰まった。
何を言っているのかよくわからないから混乱してるのだろう。
「それは……よろしゅうございました」
それ以上、何も言われなかった。
言わせなかった、と言う方が正しいかもしれない。
城へ戻る馬車の中。
揺れながら、私は窓の外を見つめた。
(ミレアさんですか……)
あの人は、何者だったのだろう。
また会えるのだろうか。
でも──
(会えなくても、いい)
今日もらったものは、形だけじゃない。
胸の奥に、確かに残っている。
誰の為でもなく。
自分の為に生きること。
それは、王女である私には、
とても遠くて、難しいことかもしれない。
それでも─
「……忘れません。
そして、また会える日まで」
小さく、そう呟いた。
誰に向けた言葉かは、自分でも分からない。
けれど、胸に確かに刻まれた。
王女としてではなく、あの夜、名も知らぬ一人の少女として過ごした確かな時間を。
そして、優しいあの人の言葉を。
──星の導きは、確かに私の中に残っていた。
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後1、2話で章終了です。




