第百十七話:彗星の魔女
レーブンの森の上空で、強い風が渦巻いていた。
魔力を帯びた風は、夜に吹く陸風も巻き込んで、ゴウゴウと音を立てて木々の枝を揺らす。
陽動を行なっていたモナカはその風に、不意に上を見上げた。
揺れている木々の中、唯一揺れていない木があった。
モナカの眼前にそびえ立つ木のてっぺんには、美しいメイドが手を重ね、両足を揃えて無機質にモナカを見下ろしていた。
風の上位精霊アルファードは、いつもならモナカ達にとっての心強い味方だ。
だがアルファードは、今はただ作業のように淡々とモナカに風の刃を振り下ろす。
「フィーちゃんさん!」
防御結界で防御し、見上げるモナカの返事に、アルファードは言葉を返さない。
言葉の代わりに風の刃が振り下ろされる。ただそれは防御結界に阻まれモナカには届かない。
だが、巨大な斧を振り下ろされたような衝撃に、防御結界が壊された。
モナカは間髪入れずに次の防御結界を展開する。
そして同時に風の刃に破壊される。
展開、破壊、展開…その繰り返しだ。
(さすが上位精霊の攻撃…魔力密度が人間とは大違い!)
魔術の威力および強度とは、魔力出力と魔力密度の三つによって決まる。
精霊は人間よりも圧倒的に魔力が多く、しかも魔術を自然に感覚で使用している。つまり人間より力の扱いに長けている。
魔力量が多くなれば当然、魔力密度も高くなる。
詠唱を必要としないアルファードと無詠唱魔術を扱うモナカの攻防は、息を吸う隙もないほどの間隔で行われている。
息をする間もなく繰り出される幾つもの風の刃。途切れることなく展開し、防ぐ防御結界。
この拮抗した状況において、長引くほど不利になるのは、精霊より魔力の少ない人間のモナカだ。
また結界が砕けた。モナカは展開しつつ思案する。
アルファードを操っているのは、装置や魔導具などではなく人間、『黎明の魔術師』デリックだ。
デリックを倒して、支配契約を誰かが解除してくれるまで待つ?
いやダメだ。デリックは支配契約をした精霊以外にも、自前の契約精霊が何体もいる。その上位精霊達に阻まれる時間を考えれば、デリックを倒すのを待てば、間違いなくモナカは魔力切れを起こす。
(フィーちゃんさんを消滅させるか…封印術式で封印するか…)
モナカ的には、お世話になっているアルファードを消滅させることには抵抗がある。
だが、精霊は力の扱いに長けている故、魔力に対する抵抗力も強い。モナカが単に封印術式を施しても効かない可能性が高い。
(でも、今のフィーちゃんさんは動きが単調になってる。複雑に施せばしばらく封印できるかも……けど)
一般的に、魔術師が同時に発動・意地できる魔術の個数は2個。
モナカは現在防御結界を展開している。あと使えるのは1つだ。
その上、モナカはアルファードの攻撃に対して全方位対応するため、半球形の防御結界を張っている。
つまり、移動ができないのだ。
アルファードに逃げる暇も与えないほどの範囲と、封印術式の抵抗力を下げるためにギリギリのダメージを与える高威力。そして動かないままで行う1つの魔術。
(あるにはある…けど)
ただ、威力が高すぎれば消滅してしまうかもしれないし、低ければ倒せるまでダメージを与えられないかもしれない。
モナカには苦渋の決断が迫られていた。
* * *
レーブンの森のすぐ近くにある崖で、2人の女性が森を俯瞰していた。
1人の女性─ローランにイリスと呼ばれた人物は、遠視の魔術と感知術式を同時維持しながら、森内の状況を把握していた。
「『繁茂の魔女』とミリアはセレスティナの生徒達と接触、救助中。
モナカちゃんはローランのアルファードと交戦中さね。押され気味だけど、対抗手段はあるだろうから特に増援は要らないね」
「『結界の魔術師』と『弾劾の魔術師』は?」
「結構な下位精霊と交戦してるけど、大丈夫そうさね。ローランも魔力無いけど、斧で温存してるからすぐに回復しそう」
「ローランちゃん頑張ってたもんねぇ」
ローランはこの騒動が起きてから、各地を飛び回っていた。アルファードがいなかったせいで、飛行魔術をバンバン行使することになったため、今の魔力量はかなり少ないことだろう。
イリスが同時維持を続けていると、後ろに魔力反応があった。それは人間のものではない。中位相当の精霊だ。
精霊が彼女達に飛びかかる前に、イリスは更に短縮詠唱を行い、雷の槍と風の刃を精霊に浴びせた。
致命傷となる威力の魔術をくらった精霊は、淡い光の粒、魔力を大量に流し、そのまま消滅するかと思われた。だが、精霊は消滅寸前で札に縛られ、地面に倒れた。
『黄昏の預言者』マリンは、イリスの行った離れ技に息を漏らした。
「封印術式と攻撃魔術を合わせるなんてねぇ…そのやり方、論文に出したの?」
「ちょっと時間がなかったもんで、まだ出してない」
「その様子じゃ、まだまだ公表してない論文が多そうねぇ」
軽口を叩きながら、マリンは横目にイリスを見た。
一般的な魔術師は、通常2つまでしか魔術を同時発動できない。
だが彼女─イリスは、遠視の魔術、感知術式、風の刃、雷の槍+封印術式という5つの魔術を同時に発動した。
正に、神業。
「可愛い可愛いうちの妹弟弟子達のためさ。できることはやってみますよ」
「そう?それなら遠慮なくお願いするわぁ」
そうしてマリンは彼女の名を口にする。
彼女こそ、元七賢者、7つの魔術を同時維持する神の如き大天才。
「『彗星の魔女』イリス・アストレアちゃん」




