第百八話:初めての怒り
会場はざわめきに包まれていた。
舞台に映る映像は、音声までを再現してはいない。だがそれでも、ラークが、メランが、ダーウィンが、声にならない悲鳴を上げ苦しむ様はまざまざと伝わってくる。
そして、ヘッケランが詠唱無しに火の矢を操っていることも、伝わっていた。
フィリップは映し出される光景に目を釘付けにされていた。
観客の誰かが「…無詠唱魔術…」と零れ落ちるように呟くと、ざわめきは更に、一気に広がっていく。
無詠唱魔術を扱えるのは、世界でただ一人─フィリップが敬愛する『沈黙の魔女』のみ。
(『沈黙の魔女』は彼だった?
新年の儀では、確かに女性だった…でも、もしあれが幻術だったなら?)
珍しく混乱しているフィリップのポッケの中では、契約精霊のウェンラポートがもぞもぞと心配そうに動いていた。
もしラーク達がヘッケランとの魔法戦で負けるようなことがあれば、ウェンラポートにヘッケランを暗殺させようとフィリップは考えていた。
ただ、相手が無詠唱を扱うなら、戦闘能力は低いウェンラポートでは厳しいものになる。
フィリップが判断に悩んでいると、彼の隣からニナの悲鳴のような声が聞こえた。
「ちょっと、モナカ!大丈夫?」
フィリップが振り向くと、モナカが口元を手で押さえながらうずくまっていた。
「……やめて…もぅ、やぁ…」
どよめきにかき消されるほどか細い声には嗚咽が混じっていた。
隣に座っていたニナがモナカの背中をさすっても顔色は良くならない。
「吐いていたほうがいいんじゃない?」
ニナが告げると、モナカはコクコクとうなずきながら立ち上がった。
「だったら私が付き合いましょう」
運営会実務のホルンが介護しようと近づいたが、モナカは首を横に振って断った。
「…2人は、最後、誰が勝つか、見てて」
モナカはそれだけ告げて小走りで席を離れた。
それを見たフィリップも席を立つと、隣の席に座っていた生徒会書記のメアリーは扇子で口を隠しながらフィリップを見上げた。
「モナカ・オルフェの介護に行かれるのでして?」
「放ってはおけないからね」
「ではわたくしは、この魔法戦の結末をこの目に焼き付けておくとしましょう。書記としてあとで記録しなければいけませんもの」
「ありがたいね」
フィリップは苦笑混じりに言葉を返し、モナカの姿を探した。
観客席付近は立ち見している者も多いから、人混みに紛れてしまうと、小柄なモニカを探すのは困難だ。
フィリップは周囲の人間が自分に注目していないことを確認した上で、ウェンラポートに命じた。
「ウェン、魔法戦に介入しヘッケラン・ジェラートを事故に見せかけ暗殺しろ。方法は問わない」
「…殿下は?」
「僕はモナカを探すよ。
何処かで倒れでもしていたら大変だからね」
「……仰せのままに」
ウェンラポートがポケットの中から素早く出て森に向かうことを確認すると、フィリップはモナカを探し始めた。
ちょうどその少女が今、飛行魔術で森に向かっているとはつゆ知らずに…
* * *
飛行魔術というのは、魔術としては珍しく、魔術式以外にも運動神経─特にバランス感覚が求められる。
モナカは運動神経が悪いので飛行魔術には苦戦していたが、今はそうも言ってはいられない。
モナカは不慣れな飛行魔術で森に向かっていた。
そして森の入り口─つまり魔法戦の結界による監視が生じる範囲まで来ると、モナカは飛行魔術を解除して霧の魔術を発動した。そしてその霧を森全体まで展開する。
そうして霧に姿を隠しながら森の奥へ向かうと、ミリアがヘッケランの前で倒れていた。
ヘッケランがかなり消耗している様子なのに対し、倒れているミリアからは息が荒くなっていないところから見るに、どうやらミリアはわざとヘッケランに負けたようだ。
そして辺りを見回すと、倒れたラークとメラン達3人の姿も遠くに見えた。
「………ヘッケラン先輩」
モナカがポツリと呟くと、ヘッケランはピタリと止まりモナカを見た。そしてニンマリと笑った。
心の底から嬉しそうに…最高の獲物を目の前に待ちきれない狩人のように。
その恐ろしい顔をモナカはいつも怖がって逃げていた。だが今は、それを打ち消しなお高ぶる激情があった。
ラークとメラン。大切な人たちを傷つけられたことに対する、怒りだ。
「ヘッケラン先輩、わたし、今…すっごく怒ってるので…」
モナカは怒ったことのない、怒ることを知らない少女だった。その少女が今、誰かのために怒っている。
モナカは歯を食いしばり、姿勢を真っ直ぐに正してヘッケランを睨みつける。そしてモナカは右手を少し振り上げる。
そしてモナカは拳を控えめに振り下ろした。
「ガツンっ…てします…!」
ヘッケランは呆気にとられたような顔をし、そして笑い出した。
「…あっひゃっひゃっひゃっ!そうか、そういうことか!全く、最高だぜお前は!
…なぁ!『沈黙の魔女』よぉ!」
ヘッケランは笑いを抑えると心底楽しそうに、そのまま真っ直ぐモナカを見据えた。
モナカはいつもは視線をそらしていたそれに、沈黙と冷めた目を返した。
「…この決闘、何人でも参加はできましたよね?
だったら、わたしも飛び入り参加で決定です」
「あぁ!やっぱり俺を最後まで満足させられる奴はお前しかいねぇよエルノートぉ!」
そして、誰にも観られない魔法戦の結末が始まりを迎えた。
明日は17:10時に投稿しようと思います。




