第3話「最初の一枚」
三枝さんから借りた畑は、想像以上に荒れていた。背丈ほどの雑草が風に揺れ、ところどころには石や枯れ枝が散らばっている。祖父母の家に戻って以来、何度もこの光景を見ていたはずなのに、「自分がここを使う」となると、その荒れようが胸に重くのしかかった。
「こりゃあ……ジャングルだな」
亮が苦笑しながら草刈り機を回した。モーター音が響き、草がばったりと倒れていく。隼人も鎌を握りしめ、汗をぬぐいながら草を刈った。ふたりきりの作業は気が遠くなるほど遅かったが、スケッチブックに描いた桃太郎の絵を思い出すたび、隼人の手には力がこもった。
数日かけて土が見えるようになり、ようやく畑らしい姿に戻った。
「ここに川を描くんだ。青い花を並べて……この辺に桃の形を」
隼人はスケッチを広げながら説明する。亮は肩をすくめて言った。
「おいおい、二人でできる規模か? 正気か?」
「できる。やってみなきゃわからない」
その言葉に、自分自身を奮い立たせるような響きがあった。
最初の挑戦は、種をまくことだった。花の種類を選び、色の配置を考え、慎重に地面に種を落としていく。だが一週間後、芽が出たのはまばらで、思い描いた模様にはほど遠かった。さらに追い打ちをかけるように、咲いた花の色がスケッチと違って見えた。想定していた鮮やかな青は、実際には淡い紫だった。
「こんなんじゃ……桃太郎にならない」
畑の真ん中でしゃがみ込み、隼人は手で顔を覆った。空から見ても、ただの斑点模様にしかならない。頭の中で描いていた夢が崩れ落ちる音がした。
そのとき、近所の園児たちが三枝さんに連れられてやって来た。畑をぐるりと見回した子どもたちの一人が、目を輝かせて言った。
「お兄ちゃん、あれ桃だよ! 川に流れてる!」
「ほんとだ、桃が見える!」
無邪気な声が次々と上がる。隼人が「まだ全然できてない」と思っていた模様を、子どもたちは想像力で桃に見立ててくれたのだ。
亮が肩を叩きながら笑った。
「ほらな。大人が完璧じゃないって思うものでも、子どもは夢に変えてくれる。これでいいんだよ」
隼人の口元に、ようやく笑みが浮かんだ。
数日後、亮がドローンを飛ばした。小さな機体が空に舞い上がり、畑を見下ろす。隼人はタブレットを手渡され、息をのんだ。
そこには、不器用ながらも確かに「川を流れる桃」のシルエットが浮かび上がっていた。雑草にまぎれた線も、花の色のばらつきも、上空から見れば一つの絵にまとまっていた。
「……できてる。俺たちの桃だ」
声が震えた。胸の奥が熱くなり、涙がこみあげそうになる。夢が現実の形を取りはじめた瞬間だった。
夕暮れの畑に二人並んで立つ。隼人は拳を握りしめた。
「もっと大きな絵を描こう。犬、猿、キジも登場させる」
亮が笑って答える。
「じゃあ次の仲間を探さなきゃな。桃太郎の出番だ」
空は茜色に染まり、畑のシルエットが長く伸びる。その景色を見つめながら、隼人は力強くうなずいた。
――これはただの始まりにすぎない。
小さな畑に生まれた「最初の一枚」が、これから町を動かす物語へとつながっていくのだ。