第2話「仲間を集めろ!」
夜の机の上、スケッチブックには桃太郎のラフが増えていった。川を流れる桃。鬼ヶ島。犬、猿、キジが並ぶ行列。描けば描くほど、隼人の胸は高鳴った。
だが同時に、冷静な声が心に忍び込む。
――本当に、こんな大きな絵を畑に描けるのか?
紙の上なら自由自在だ。けれど畑は何十メートルもの広さ。線一本引くにも鍬や機械が要る。花の色や開花時期を計算しなければ、ただの雑草畑にしかならない。
「……一人じゃ無理だ」
鉛筆を置き、隼人は深く息を吐いた。
翌日、隼人は最初の一歩として地主を訪ねた。祖父の古い友人で、かつて一緒に田を耕していた人だ。
「畑に絵を描きたいんです。桃太郎の物語を」
勇気を振り絞って告げると、老人はしばらく黙って隼人を見た。
そして渋い声を落とした。
「隼人、遊び半分で畑を使うもんじゃない。あそこは先祖が汗流して守ってきた土地や。草にしとくのも情けないが、絵なんぞ描いて何になる」
胸に重い石が落ちたようだった。言葉を返す余裕もなく、隼人は頭を下げて家を出た。
――やっぱり無理なのか。
冷たい風が心の奥まで吹き抜けた。
その足で畑の脇に差しかかると、ブーンという音が聞こえた。見上げると、小さなドローンが宙を舞っている。
操縦していたのは幼なじみの亮だった。学生の頃から機械いじりが好きで、今は趣味で空撮をしている。
「おい隼人! また畑に桃太郎はどうなった?」
「……うん。地主に断られた」
落ち込む隼人に、亮はあっけらかんと笑った。
「じゃあ他の畑探せばいいだろ。俺も手伝うよ。どうせ上から見ないと絵本にならないんだろ?」
「ほんとに?」
「当たり前だろ。俺が犬役だな。猿とキジはあとで探そうぜ」
冗談めいた言葉に、隼人は不意に笑った。重く沈んでいた胸に、温かい火が灯る。
数日後、再び幼稚園を訪れると、子どもたちが駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん、亮兄ちゃんから聞いたよ!ほんとに桃太郎描いてくれる?」
期待に満ちた目が一斉に向けられる。
「見てみたい! 畑に桃が流れるの!」
小さな声援が胸を突き刺した。あの無邪気な笑顔を裏切るわけにはいかない。隼人は拳を握りしめた。
だが現実は厳しい。土地も人手も足りない。焦りを抱えたまま日々が過ぎていった。
そんなある夕暮れ、祖父母の家の縁側で考え込んでいると、近所の農家の三枝さんが声をかけてきた。白髪交じりだが背筋の伸びた女性だ。
「隼人、あんた最近、畑で何やら考えてるんだって?」
「ええ……桃太郎を描けたらと。でも地主さんに断られて」
隼人が打ち明けると、三枝さんはしばし黙り、遠くの山を見つめた。
やがて柔らかな声で言った。
「若い頃、あんたが描いた絵を見せてもらったことがあるよ。祖父さんが自慢してた。あのときの目を、また取り戻したんだね」
隼人の心臓が強く跳ねた。
「……三枝さん」
「うちの畑、何個もあるけどもう誰も使ってない。草ぼうぼうだけど、もしよければ自由に使ってみなさい」
「いいんですか!」
「夢を笑う人は多い。でもな、誰かが一歩踏み出さんと町は変わらん。あんたがその一人になればいい」
涙がにじみそうになるのを隠しながら、隼人は深く頭を下げた。
――ようやく、一歩を踏み出せる。
その夜、スケッチブックを開く手は震えていた。
だが鉛筆の線は確かに未来へとつながっていた。
仲間はまだ二人。土地も一枚だけ。
それでも隼人の胸は、不思議なほど軽かった。
「ここから始めよう。俺の桃太郎を」
机の上に広がったラフは、もうただの落書きではない。
畑というキャンバスに、本当に命を吹き込むための設計図だった。
外の夜風が窓を揺らす。
隼人の胸の中には、確かな灯が燃えていた。
――物語は、ここから動き出す。