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AI短編小説「火の獣が降る夜に」

作者: りぃてぁ

祖母が、戦争の話をしてくれたのは、ある冬のことだった。

外では風花が舞い、窓ガラスが白く曇るほどに寒かった。

こたつに足を入れながら、祖母は手の中の湯呑をじっと見つめていた。


「空襲っていうのはね……空から火が降ってくるのよ」


静かにそう言ったその声は、震えていた。

私がまだ子どもだった頃には想像もできなかった、“空からの火”。

でもそのときの祖母の表情は、ただ事じゃない何かを、確かに語っていた。


「音も、匂いも、光も……全部、忘れられない。

 あのときの夜は、朝が来るって信じられなかったのよ」


その目は、遠くの過去を見つめていた。

そこにはもう存在しない街と、誰かの叫びと、消えてしまった祈りがあったのだろう。


私は黙ってうなずくしかなかった。

戦争なんて知らない。空襲も知らない。

だけど、祖母の声の揺れだけは、確かに私の胸を締めつけた。


その夜、私は夢を見た。

焼け落ちる屋根、鳴り響く悲鳴、逃げ惑う影。

そして、空を裂くようにして現れた──“火の獣”。


それは獣のようで、人のようでもあり、

炎と絶望の化身だった。


夢なのに、現実よりも鮮明だった。

まるで、私自身がその時代に生きていたかのように。

-------❁ ☾ ❁-------

第一章:焼け落ちる街

-------❁ ☾ ❁-------


世界が赤く、歪んで見えた。

空は燃えていた。

ビルの屋根が崩れ、電柱が倒れ、道路は熱で波打っていた。

まるでこの世の形が、すべて崩れ去ろうとしているかのようだった。


私は祖母と並んで、焼け落ちた商店街の角に立っていた。

祖母の腕が私の肩を包み、何も言わずにそっと寄り添っていた。


周囲には誰もいなかった。

いや、正確には、“もう誰もいなくなっていた”。


火の粉が空から降るたび、木造の家屋が燃え上がる。

煙が嗅いだことのないほど苦く、喉の奥を灼くようだった。


「……なんで……誰も助けてくれないの……?」


泣きながら、私は震える声でそう言った。

祖母は答えなかった。ただ私を強く、強く抱きしめた。


その時、遠くで“何か”が爆ぜる音がした。

鼓膜に触れる前に、心臓が先にそれを感じ取った。


次の瞬間、炎の向こうからそれが現れた。


──火の獣。


人と獣が交わったような、禍々しい存在。

骨が露わになったような細長い肢体。

燃えるような赤い目と、火を纏った背中。

その身を包む黒い影が、まるで世界の輪郭を飲み込むように揺らいでいた。


「ひ……っ」


私は足がすくんで動けなくなった。

声も出ない。涙だけが、熱で蒸発しそうになる中、ぽろぽろと零れ落ちていく。


火の獣は、街を見下ろしながら、一歩、また一歩と歩を進めた。

歩くだけで地面が裂け、炎が噴き上がる。

何も言葉を発さないくせに、すべてを呪っているようだった。


祖母は私の頭を抱きしめて、小さく震えていた。


「見なくていい、いい子だから、お願いだから……」


でも私は見てしまった。


自分たちのいた街が焼けていくところを。

誰かが叫ぶ声が聞こえた気がした。

でもその人の顔はもう分からなかった。

火の色がすべてを塗りつぶしていく。


──私は、この世界の終わりを、

祖母の腕の中で、ただ見届けるしかなかった。



-------❁ ☾ ❁-------

第二章:黒煙の記憶

-------❁ ☾ ❁-------


目が覚めた時、部屋の中はひどく静かだった。

まるで世界に自分ひとりだけが取り残されたような、

そんな錯覚に陥るほどに。


夢の中で焼かれていた街の匂いが、まだ鼻の奥に残っている。

煙に巻かれたような苦しさが、胸の奥にじんわりと残っていた。

布団の中で丸まったまま、しばらく私は動けなかった。


それが夢だという確信が、すぐには持てなかった。

あまりにも鮮明すぎて、現実の記憶と混ざり合ってしまったのだ。

街の瓦礫、燃える空、火の獣──そして祖母の腕の感触。


夢で感じた祖母の温もりが、妙にリアルだった。

少しだけ冷えた手のひら、私を包むように回された腕。

あんなふうに、子どもの頃によく抱きしめられた。


「大丈夫よ」

そう言ってくれる声が、確かに夢の中で聞こえていた。


でも、それは本当に夢だったのだろうか。

あるいは、遠い昔に交わした本当の記憶だったのかもしれない。

わからない。ただ、どちらも私の中に確かに“ある”感触だった。


ゆっくりと布団から抜け出して、部屋の窓を開けた。

朝の光が差し込んできた。

昨日までは見慣れていたはずの風景が、どこか違って見えた。

空が青いことすら、不思議に思えるほどに。


私は、押し入れの奥にしまっていた箱を引き出した。

祖母が亡くなったあと、整理しきれずに放置していた遺品の箱だ。

ふと思い立ったように、蓋を開けた。


中には手紙の束や、古い白黒写真、使い込まれた茶碗などが入っていた。

その下に、折りたたまれたハンカチが一枚あった。


広げてみると、それは焦げたように黒ずんでいた。

角の一部は焼け焦げて、文字がかすれている。


「……え……?」


そこには見覚えのある言葉が、震えるような文字で書かれていた。


“どうか、この子だけは、生きて。”


その文字に、胸の奥が締めつけられた。


夢の中で祖母が最後に囁いたような言葉と、同じだった。

記憶の断片が一気に押し寄せる。

あの夢の中で、祖母は確かに私を守ろうとしていた。

炎の中で、あの“火の獣”から私を抱きしめていた。


でも──

本当にそれは夢だったのか?

それとも、あのハンカチの文字が語るように、

どこかで“本当に”起きた出来事だったのか?


私は床に座り込み、ハンカチを両手で抱きしめた。

視界が滲んで、何も見えなくなっていく。


どうしてこんなにも、祖母の記憶は私の中に焼き付いているのだろう。

子どもだった私は、戦争なんて知らなかったはずなのに。

でも今では、祖母の話と、あの夢と、

そしてこの焼けたハンカチが、すべて繋がっている気がした。


ふと、窓の外に目を向けた。

遠くの空に、ひとすじの黒い煙のようなものが見えた。

白い空の中で、それだけが異物のように揺らめいていた。


私の中に残る記憶の煙──

それは、夢の名残だったのか。

それとも、祖母が私に残した、最後のメッセージだったのか。


はっきりとした答えはない。

けれど、私はもう一度あの夢を見たいと思った。

もう一度、祖母に会いたいと願った。


その想いが、また次の夜に、私をあの世界へと導くことになるとは、

このときの私はまだ知らなかった。


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-------❁ ☾ ❁-------

第三章:白装束の女

-------❁ ☾ ❁-------


夜が訪れ、目を閉じた私は、またあの夢の世界へと戻っていた。


しかし今回は、前とは違っていた。

焦げた空も、赤い炎も、黒煙も、そこにはなかった。


足元には苔むした石畳。

空は夕暮れのような色に染まり、風は穏やかに吹いていた。

遠くに鳥の声が聞こえる。

あまりにも静かで、穏やかな世界だった。


私は自分が立っている場所を見渡した。

そこは古びた神社のような場所だった。

木々に囲まれた境内。

石造りの鳥居があり、階段が山の上へと続いている。

けれど、どこにも人の気配はなかった。


ただ、ひとつだけ──

本殿の奥から、「祈る声」が聞こえていた。


耳を澄ますと、それは確かに“言葉”だった。

だけど意味はわからない。

言葉のようで、音楽のようでもあった。


私は引き寄せられるようにして、その声のほうへと足を運んだ。


本殿の扉は開いていた。

中は薄暗く、燭台の明かりがかすかに揺れていた。

中央にひとりの女性がいた。

背を向けていて、顔は見えない。


長い黒髪を結わえ、白い着物のような服をまとっていた。

その背中は細く、でも芯の通った強さを感じさせた。

彼女は、静かに手を合わせていた。


その姿に、私は言葉をかけるのを躊躇した。

ただ、祈りが終わるのを待つことにした。


しばらくして、彼女はゆっくりとこちらを振り返った。


──祖母ではなかった。


だけど、不思議と懐かしさを感じた。

彼女の目は、まるで長い時を生きてきたような深さがあった。

口元に浮かんだ微笑みは、あたたかく、どこか悲しげだった。


「あなたは、まだ忘れていないのね」


彼女はそう言った。

その声は夢の中で何度も聞いた気がした。

けれど、現実には出会ったことのない人。


「……私、あなたを知っていますか?」


そう問いかけると、彼女はかすかに首を横に振った。


「私は、“あなたが忘れていたもの”の形。

 思い出されるために、ここにいるの」


その言葉が何を意味しているのか、すぐにはわからなかった。

でもその瞬間、胸の奥がざわついた。


「あなたが覚えているかどうか、ずっと待っていたのよ。

 祈りは、誰かが覚えていなければ、消えてしまうから」


祈り──

その言葉に、私は祖母の姿を思い出した。

夢の中で、火の中で私を抱きしめてくれた祖母。

そして、遺品の中にあった、焦げたハンカチの文字。


「……“この子だけは、生きて”」


私が呟くと、彼女はそっと目を閉じた。


「それが、最後の祈り。

 あなたがその祈りを繋いだとき、火の獣は眠る。

 でも、祈りを忘れた時──

 炎は、また目覚めるのよ」


私はその言葉に震えた。

夢だとわかっているはずなのに、あまりにも現実的だった。


「あなたは、これから試される。

 記憶に残ったものだけが、あなたを導く。

 そしてそれは、あなた自身の“選択”になるのよ」


彼女の言葉は、まるで預言のようだった。

私は何も言い返せなかった。

ただ、自分の心の奥に沈んでいた記憶たちが、

少しずつ浮かび上がってくるのを感じていた。


燭台の火が揺れる。

彼女の姿が、ゆっくりと光に溶けていった。


「次に会う時まで、どうか覚えていて──」


その声を最後に、私は本殿の中でひとり取り残された。

静寂だけが残っていた。


そして次の瞬間、世界がゆっくりと暗転していく。


まるで、物語の章がひとつ終わり、新たなページが開かれるように。


-------❁ ☾ ❁-------

第四章:炎の目覚め

-------❁ ☾ ❁-------


目覚めたのは、またあの世界だった。


いや、今度は最初から分かっていた。

ここが夢の中であること。

けれど、目を開けた瞬間から漂っていた異様な空気に、私は喉の奥が詰まるのを感じた。


空が、焦げ茶色をしていた。

遠くの空に、うっすらと赤い光。

微かな地響きが、大地の奥から唸っていた。


私はまた、あの街に戻ってきたのだ。


ただ、今回は“その時”よりも前。

まだ建物が崩れていない。

人々が、どこか不安げな顔をしながらも、日常を装って動いている。

だが、私だけが知っていた。


この街はもうすぐ焼かれる。

あの火の獣に、すべてを飲み込まれてしまうのだ。


私は叫びたかった。

逃げろ、と、どこかに隠れろ、と。

でも声が出なかった。


「またここに戻ってしまったのね」


耳元で声がした。

振り返ると、そこに彼女がいた。

白装束の女性──前の章で祈っていた、あの人だ。


「これは夢でしょうか。それとも記憶……?」


「両方よ。

 でも今のあなたには、それを見分けることが重要ではないわ」


彼女は静かに答えた。

その目に、わずかな悲しみが滲んでいるように見えた。


「炎は、忘れられた祈りの残骸。

 祈りを失った街は、焼かれてしまうの」


私は彼女の言葉を理解しようとした。

でも頭の中では、炎の中で祖母に抱きしめられたあの瞬間が、何度もよみがえっていた。


──「この子だけは、生きて」──


祖母の祈り。

それが私を守ってくれた。

では、他の人たちには祈りがなかったのか?


「……私、逃げたままだったんです。

 助けたいとも、守りたいとも思わず……ただ怖くて」


思わず、声が震えた。

あの夜、私は泣いているだけだった。

祖母の腕の中で、ただ震えていた。


そのことが、ずっと心の奥に引っかかっていた。

「何もできなかった自分」が、恥ずかしくて、情けなくて。

その記憶を閉じ込めて、忘れたふりをしていたのかもしれない。


「でも、あなたは生きて、今ここにいる。

 その記憶を抱えながら、祈りを継ごうとしている。

 それこそが、火の獣に立ち向かう唯一の力になるの」


彼女の言葉は、夢にしてはあまりにも具体的だった。

そして、心のどこかに希望の火を灯すような力があった。


「では、私は何をすれば……?」


問いかけたそのときだった。


──ゴオォォォォ……ッ


大地が震えた。

街の中心にある神社の奥、山のふもとから、黒煙が立ち昇った。

空が一気に赤く染まる。

叫び声が、街にこだまする。


「来たわ。目覚めの時」


彼女が静かに呟いた。


「もう逃げることはできない。

 あなたの中にある“願い”が、本当の力になる」


私は、足がすくんだ。

けれど、その奥でなにかが叫んでいた。


──私は、もう逃げない。


炎に呑まれる夢でも構わない。

その中で、私は確かに“何か”を守ろうとしていた。

今度は、ちゃんと見届ける。

そして、願おう。


そう決意した瞬間、視界が歪んだ。

強烈な熱と共に、街が揺れた。

遠くの空に、見覚えのある姿が浮かぶ。


黒い影を纏いながら、真っ白な獣が跳ねた。


それは人とも、獣ともつかぬ異形のものだった。

かつての夢で私を恐怖に陥れた“それ”。


──火の獣。


私は、目を逸らさずに見つめた。

たとえ涙が溢れても。


世界は、燃えていた。


でも、私はそこに立っていた。

祖母の祈りを、胸に抱いたまま。



-------❁ ☾ ❁-------

第五章:亡き者の歌

-------❁ ☾ ❁-------


炎はすべてを飲み込んだ。


街の輪郭はとうに崩れ、瓦礫と焦げた木々、崩れた屋根、そして赤黒い空だけが、そこに残されていた。

私の足元には、炭化した地面が広がっている。熱は引いたが、焦げた匂いが鼻を突く。


私は、祖母の姿を探した。


どこにもいない。

あの夜、あの腕で抱きしめてくれていた祖母が、夢の中からも消えてしまった。

あの温もりだけが、確かに残っていたのに。


「おばあちゃん……」


名前を呼んでも、誰も応えない。

風が灰を舞わせるだけだった。


私はふらふらと歩き出した。

足はどこへ向かっているのか分からなかった。

ただ、あの人に会いたかった。

もう一度、顔を見たかった。


焼け落ちた鳥居の先に、小さな丘が見えた。

そこにだけ、わずかに草が残り、炎が届かなかったように感じた。

不思議と風が優しく、空の赤も幾分か薄れていた。


その丘の中央に、小さな石碑が立っていた。


「ここは……」


夢の中で、何度か見たことがある気がした。

昔、祖母と手を繋いで訪れた小さな祠──

それが変わり果てた姿で、今ここにあるように思えた。


私は膝をついて、石碑に手を触れた。


冷たかった。けれど、心の奥に温もりが広がった。

その瞬間、ふと、耳に歌が届いた。


……ちいさな ちいさな いのちのこえ

……おおきな おおきな やみのなか

……わたしは あなたを わすれない


それは、祖母の声ではなかった。

でも、なぜだろう。どこか懐かしい。

幼いころ、どこかで聴いた子守唄のようでもあり、

誰かが私の心の奥をそっと撫でてくれるような、静かな調べだった。


「誰……?」


私は周囲を見渡したが、誰の姿もなかった。


「この場所は、亡き者たちの祈りが集まる場所」


後ろから声がした。

振り返ると、そこにあの白装束の女性が立っていた。

彼女の姿は、少しずつ薄くなっているように見えた。


「もうすぐ、あなたは目覚める。

 でも、その前に“歌”を覚えて」


「歌……?」


「祈りとは、想いを手渡すこと。

 この歌は、あなたの祖母が残した願いの形。

 そして、次はあなたの番」


私は静かに頷いた。

今まで、自分は祈りなんてものを知らないと思っていた。

でも、違った。


あの夜、祖母の胸の中で泣いていた私も、

ただ助けを求めていたのではない。

誰かに生きてほしいと、願っていた。


それが“祈り”の最も小さな形なのだと、今ならわかる。


「火の獣は、祈りを忘れた街に生まれる。

 でも、ひとつの想いが、それを止める力にもなる。

 覚えていて。歌うことを。願うことを。

 そして、怖がらずに前を向くことを」


彼女の姿は、風の中に溶けていった。

最後にひとことだけ、微笑みながら言った。


「あなたの中には、あの人の祈りがちゃんと息づいてる」


私は、ゆっくりと目を閉じた。


耳の奥に、あの歌が静かに流れていた。

亡き者たちの声。

私の中で、確かに生きている声。


「……ありがとう、おばあちゃん」


その言葉とともに、空が青くなり始めた。


焼けた街の向こうに、光が差し込む。



-------❁ ☾ ❁-------

第六章:再燃の記録

-------❁ ☾ ❁-------


目が覚めると、見慣れた天井がそこにあった。


息が浅く、胸の奥がまだ熱を持っているようだった。夢の余韻が、身体の奥にこびりついている。

けれど、今ここはもう現実だ。炎も焦土も、祖母の姿も、すべて夢の中に置いてきた。


私はゆっくりとベッドから起き上がり、カーテンを開けた。

薄曇りの朝。窓の外に見える街は、きちんと整っていて、いつも通りの平和が流れていた。


けれど、心の奥では何かが静かに軋んでいた。


祖母の遺品を整理しようと決めたのは、その数日後だった。


部屋の隅にある古びた箪笥。開けるのも少し躊躇するほど、そこには祖母の時間が静かに積もっていた。

一つひとつ、丁寧に手に取っていく。古い写真、使い古された櫛、小さな湯呑み──そして、底の引き出しに、手のひらほどのノートが挟まっていた。


茶色く変色した表紙には、何の文字もなかった。


私はそっと開いた。

そこには、まるで“夢の記録”のような走り書きが並んでいた。


“空が赤く染まり、獣が火をまく”

“あの子を守る腕。夢の中で抱きしめた記憶”

“焼かれる街の中、歌が聞こえた”

“忘れないで。祈りは消えない”


指先がかすかに震える。


これは、私が見た夢そのものだ。

けれど、このノートが綴られたのは、私が生まれるよりもずっと前のようだった。

文字の筆跡は、まだ若かりし頃の祖母のもの。


夢は、ただの夢ではなかったのかもしれない。

祖母は、自分の夢を、もしくは“記録”を、ここに書き残していた。


ノートの中ほどに、見覚えのある旋律の断片が記されていた。

文字に起こされた短い詩のような一節。

私はそれに、覚えがあった。


あの祠で聞いた歌。

炎の中、優しく響いたあの歌の、欠片のような──


言葉を読むことはできたが、私はあえて声に出さなかった。

それは、文字以上の何かだった。


祈りとは、きっとそういうものなのだろう。

読まれずとも、言葉にならずとも、誰かの胸に灯るもの。


私はノートを閉じ、両手でそっと抱きしめた。

その中に、確かに祖母のぬくもりが残っている気がした。


リビングに戻り、棚の一角にそのノートをそっと置いた。

目立たない場所だけど、いつでも手に取れるように。


何かを伝えたくて、それを残してくれた祖母の気持ちを、

今になって、ほんの少しだけ分かった気がした。


部屋の隅に冬の陽が差し込んだ。

その光が、まるで新しい何かが始まる合図のように、ゆっくりと床を這っていた。


そして私は、そっと呟いた。


「私も……書き残そうかな」


誰かのために。

もしかしたら、いつか生まれてくる“誰か”の、祈りになるように。



-------❁ ☾ ❁-------

第七章:継承

-------❁ ☾ ❁-------


夜の帳が降りる頃、私は机に向かっていた。


白い紙の上に、黒いペンを走らせる音だけが静かに響く。

祖母のノートをそっと傍らに置きながら、私は新しいページを開いていた。


そこに何を書くべきか、はじめはわからなかった。

けれど、自然と手が動いた。夢の情景、炎の赤、泣き声、そしてあの腕の温もり。


あれは、ただの夢じゃなかった。

それを証明するように、祖母のノートはあった。


同じ風景を、彼女も見ていたのだ。

それは“祈りの記録”だった。


──この火の獣は、ただの恐怖ではない。


あの夢の中で、何度も私は泣き叫んでいた。

けれど同時に、誰かに守られていた。

祖母の腕に抱かれ、炎の中で祈りの歌を聞いた。


“火の獣”とは何だったのか。

私の心のどこかに巣食っている、怒り?悲しみ?忘れられない恐怖?

それとも、この世界そのものの業のようなものなのか。


答えはまだ出ない。

でも、私はこの記憶を“誰か”に繋ぎたいと思った。


私は思い出す。

夢の中で、火の獣に立ち向かおうとしたあの瞬間。

膝が震えて、一歩も動けなかった自分を。

けれどそれでも、立ち上がりたいと願った心を。


それは、祖母がくれた祈りだったのかもしれない。


ノートの端に、こんな言葉が書かれていた。


「記録は、忘却を照らす灯火となる」


たった一行。

けれど、それが私の背中をそっと押した。


私は、自分の言葉で書き始めた。


“ある街が、炎に包まれた。

誰も声をあげられず、ただ燃え続けた。

ひとりの少女と、その祖母が手を取り合い、

絶望の中で、ただ祈るように、寄り添っていた──”


言葉にすることで、少しずつ気持ちが整理されていく。


これは私だけの物語じゃない。

きっと、あの時代を生きた祖母の物語であり、

今を生きる私たち全員に、静かに繋がっているもの。


ふと窓の外を見ると、夜の空に星が瞬いていた。

その光は小さくても、確かにそこにあった。


私は目を閉じて、心の中で問いかける。

「おばあちゃん、私、書き続けていいかな?」


返事はなかった。

けれど、どこかで頷いてくれた気がした。


そして私はもう一度、ペンを握った。


この祈りが、誰かの心に届くように。

誰かの夢を、少しでも明るく照らすように。


たとえ燃え尽きてしまうとしても、

その灯が一瞬でも、誰かの足元を照らせるなら。


私は記す。

祈りの継承者として──



-------❁ ☾ ❁-------

第八章:灯火の果て

-------❁ ☾ ❁-------


夜が再び、私を包み込む。

現実と夢の境界は、もう曖昧になっていた。

私は、自分から“あの夢”へと足を踏み入れたのだ。


燃え落ちた街、崩れた瓦礫、赤く染まった空。

懐かしいはずの景色は、記憶よりも静かだった。

そして、そこにいた。


火の獣。


あの姿は変わっていなかった。

人のようで、獣のようで、言葉も通じない。

けれど私はもう、怯えてはいなかった。


ゆっくりと歩み寄る。

私の足音に、火の獣が顔を向けた。


その瞳に映る私は、

あの日泣いていた子供ではない。


私は声を張った。

けれど、叫びではなく、祈りのように。


「私は、あなたを忘れない。

あなたが焼いた街も、悲しみも、恐怖も、全部、記憶する。」


火の獣は動かない。

ただ、じっとこちらを見つめていた。


「そして私は、この記憶を語り継ぐ。

あなたが消えたとしても、あなたがいたことは、ここに残る。」


その瞬間、何かがほどけた。

燃えていたはずの空が、灰色に色を変える。

崩れた街並みに、微かに花の匂いが混ざった。


火の獣の輪郭が、かすかに揺れる。

黒い影が剥がれ、風に溶けていく。

まるで「ありがとう」と言いたげに──

けれど何も言わずに、それは消えた。


夢の空に、星がひとつ浮かんでいた。


私はその場に立ち尽くしながら、

ただ、小さな息を吐いた。


そして気づいた。


これまで私が見ていたのは、

「祖母の祈り」だったのかもしれない。

けれど今、ここにいるのは

「私自身の祈り」だった。


私が、記録する者になる。

私が、忘却に抗う者になる。


夢から覚めると、朝日がカーテン越しに差し込んでいた。

机の上には、まだ書きかけのノート。

祖母のノートの隣に、私の物語が並んでいた。


私はそのページに、こう書き足した。


「この火は、私の中で静かに灯る。

 誰かの祈りとともに。」


それは、終わりではなかった。

始まりだった。


私の物語の、そして、誰かの灯火の。

この物語は、私が幼稚園の頃に見た夢をもとにしています。

赤く染まる空の下、火のようなケモノが街を焼き尽くし、

私はただ祖母に抱きしめられて泣くことしかできませんでした。


幼い私にとって、それはあまりに強烈で、

今でも鮮明に覚えている夢のひとつです。


そして、この物語を書こうと思ったきっかけは、

祖母が亡くなったことでした。

優しかった祖母。

時に厳しくも、私の小さな話を真剣に聞いてくれた祖母。

あのときの夢が、祖母との最後の記憶と重なって、

もう一度、言葉にしてみたいと思ったのです。


“祈り”という言葉をテーマにしたのは、

祖母がよく言っていた「想いは届く」という言葉から来ています。

それがどんな形であれ、誰かを想い続けることには

小さな意味があるんじゃないか。

そう信じたくて、この物語を紡ぎました。


この物語は、過去の記憶を持ち寄るような夢であり、

未来に手渡したい祈りでもあります。


どうか、あなたの心に、

ほんの一瞬でも静かな灯火がともりますように。


読んでくださって、ありがとうございました。


——— りぃてぁ

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